カウントダウン、開始
望月が目を覚ました。
改めて詳しい話を聞くために、帰宅後の召集を呼び掛ける桐条からのメールは、常よりも事務的にすら思えてしまうものだった。いや、そうした連絡はいつでも事務的にこなされるものだから、今回ばかりが特別というわけではないか。
それでもそう感じてしまった理由はきっと、偏に皆の困惑の度合いの強さに要因しているのだろう。さすがの桐条もそれを隠せずにいた様子だったから、おそらく多分に語る言葉を持てずにいたのだろう、と、そう邪推してしまったに他ならない。
とにかく。話は今夜、帰宅してからだ。
今日もまた不在の席がふたつ並ぶそこをぼんやりと眺めながら、梓董は白い少女を想った。
《12/03 カウントダウン、開始》
イルはどうやら、ずっと望月に付き添っていたらしい。その間、彼女は何を問われても、アイギスを傷付けたのは自分だというそれ以外のことを語ろうとはしなかったという。そうしてしまった、その理由さえも。
ただただ静かに望月に寄り添い続けていた彼女は、望月が目を覚まし、同じく付き添っていた桐条と真田が僅か目を離した隙に、またどこかへと姿を消したと桐条らが告げた。混乱に困惑を重ね疲弊の色を宿す彼女らとは違い、全てを悟っているのか......少なくとも、今この場にいる誰よりも多くの情報を持ち得ているだろう望月は、イルの行き先もわかっているような素振りを見せるが、それを言葉にして語ることはない。
今はそれよりも昨日の話の続きだ。
納得は別にしても、皆の理解は得られた提案に、寮の四階、作戦室に集まった面々を見やることもなく、望月は伏し目がちなまま話を切り出した。
「母なるものの名は......“ニュクス”。太古、この星に“死”なるものを授けた、僕らシャドウの母たる存在だよ」
シャドウの、母。それが、彼の言っていた大いなるもの。
それが目覚めてしまうということはつまり......。
「目覚めれば......星は純粋なる死に満たされて、全ての命は......消え失せる」
静かに。そして重々しい響きを乗せて。望月はただただその情報をゆっくりともたらした。
「命が消える!? まさか......全て死ぬってのか!?」
そんな馬鹿な話があるかと、声を荒げて問い返したのこそ真田だったが、他の皆もその思い自体は同じようだ。疑念、というよりも、むしろ否定して欲しいといった懇願にも似た眼差しが望月に集う。
けれど望月が言葉を覆すことはなかった。
生命活動の停止。そうした直接的な死がもたらされるわけではない。
俯いたままの望月が繋げた言葉は、無気力症患者......つまり、満月が近付くたびに増えていたあの影人間達こそが、全人類にもたらされる死の末路。ニュクスが運ぶ、滅びなのだということ。
「けど、仮にそうだったとしても、防ぐ方法とかあるんでしょ?」
希望。たとえひと欠片だったとしても、それさえあれば繋いでいける。諦めずに、絶望に支配されずに、前を向いて歩き続けられる。
今までが、そうであったように。
何でもいい。難しくても、希望があるなら。
そんな願いを、けれど望月が落とす沈黙は、痛いくらいに......何よりも如実に、事実を突きつけてきた。
「まさか、防げないとか言わないよね......?」
震える、声。
悲しみでもなく、怒りでもない、その響きはやはり痛切なまでの懇願。言葉にされないのなら信じない。いや、信じたくなどない。
そうまでの想いを乗せる岳羽の確認に、今度ははっきりと......望月の、否定が紡がれる。
「......済まない......」
「待ってよ! なに謝ってんの!? そんな......確定って事!?」
まるで逃げ場を奪うかのように、つきつけられる言の葉が、残酷なまでに希望を砕いた。言葉にさえされなければそれでも望みを抱いていられたのに。
無情を告げる内容に、悲愴さを覚えるほどの岳羽の声音が響き渡る。誰もが、想いを抱いて瞳を揺らした。
「そうさ......。“鐘”が鳴ったのを聴いたろ......。あの時、すべては決したんだ。僕は“宣告者”......。死を“宣告する者”......」
その存在自体が、滅びの確約なのだ、と、望月の言葉は静かに連ねられていく。そうして彼の告げるその期限は......次の春は、迎えられないだろうということだった。
冬には、滅びが訪れる。
そう、もうこの冬に、だ。
その上、ニュクスの前では力の大小など関係なく、消す方法など等しく皆無と望月は言う。
打つ手なし、ということだ。
「僕は、シャドウが集まって生まれた存在だ。なのに人の姿をしてて、君たちとこうして話せたり、喜んだり悲しんだりも出来る」
絶望を突きつけられて皆が言葉を失う中、ぽつり、ぽつり。望月は言葉を重ね続ける。
彼は何を想っているのか、何を望んでいるのか。ふいと上げられた双眸が、何かを強く宿し梓董を捉えた。
「これは、僕が彼の中に居た事の恩恵だ。おかげで僕は......君たちに選択肢をあげられる」
避けることのできない、ニュクスの、死の訪れ。その中で望月が与えられるというその選択。
それは......。
「僕を......殺せばいい」
息を、飲む。
皆が揃って目を見開いて望月を凝視するのと同様、そこには梓董も含まれていた。
彼は今、何と言った?
......殺す? 望月を?
何故?
戸惑いも困惑も強いまま、けれどそれすら飲み込んで、腹の奥がずしりと重くなる。鋭いような鈍いような痛みが胸の奥を圧迫するような感覚に、思わず呼吸すらも忘れてしまいそうになった。
どうして。
どうして......。
疑念は、それでも冷静に答えを与えられる。
「“宣告者”の僕が消えれば影時間に関わる記憶は全て消える。つまり、君たちの記憶から、この救いのない現実を消すことができる。もう何も......決して思い出す事はない。滅びの訪れは一瞬のものだ......何も知らずに迎えるなら、苦しまずに済む」
どうして、どうして。
どうして、彼は、自らの死を、それほど淡々と語るのか。
本来、望月の......いや、宣告者の性質はニュクスと同様、殺すことのできないものらしい。けれど今の彼は望月としての性質......そう、梓董の中にいたお蔭で、人としての性質も僅かに持ち得ているのだということで。だからきっと、その性質を与えてくれた唯一の存在......梓董ならば、望月を、宣告者を、殺すことができるだろうというのだ。
それだけが、絶望の中の唯一の救いになるだろうと、そう、彼は言う。
全てを投げ出し、忘れてしまえば。
そうすれば、痛みを知ることなく全て失える。
抗うことすら許されない絶対的な終わりの前に、もはやできることなど何もないのだと、彼はただただ静かに語るのみ。
せめて苦しまないで欲しい。そう願う彼の想いは優しさなのかもしれないけれど、だけど......。
答えは、今月の終わり......。大晦日の夜に聞きにくる。だからそれまでよく考えておいて欲しい。
そう残し立ち去る望月の背に、梓董は言いようのないやるせなさから、知らず拳を握りしめた。
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