今宵の月も青白く、炯々と緑の闇を照らす時間。その時間に梓董がそこを訪れたのは、随分と久方ぶりだった。

理由は、ないのだと思う。ただ何となく目が冴えて、足が自然と向かった先が、ここだっただけなのだ。

だからもしもこれが必然というならば、運命は実に梓董に都合良く定められているのかもしれない。そんなことを冗談めいて思いながら、梓董はただ、その声に聴き入っていた。







《11/28 唄》







キミにしかできないことと、僕にもできること。僕にはできなくて、キミにはできること。明日が、晴れるために。

そんな内容の歌詞。緑色の闇に通るその唄に、声をかけることすら忘れて聴き入り、そうしてそれが終わりを迎えた頃、梓董はようやく白い背に声をかけた。


「イル」
「え? あ、え!? 戒凪!?」


気付いて、いなかったらしい。

何となく彼女らしくないような気がしながらも、彼女からしたら突然の闖入者である梓董の登場に慌てふためく彼女の傍まで歩み寄る。寮の屋上の縁に一人立ち、大きな青白い月を見上げ歌っていた彼女は、梓董が傍まで来たことで僅か俯く。そうしながらちらりと軽く視線を向けてくる彼女の頬は、ほんのり赤みをさしていた。


「き、聴いてた、の?」
「うん。いい唄だね」
「ぅ、あぁぁああ……恥ずか死ぬ……っ」


顔を両手で覆い呟く彼女が、何をそんなに気にしているのかわからない。彼女が紡いでいた唄は先の感想通りいい唄だと思うし、彼女の歌声とて綺麗だったと思うのに。

まあ、羞恥に悶える様もかわいいとさえ思ってしまう自分のことだ、贔屓目も多分に含まれているだろうが。

とにかく。梓董にしたら別に気にするようなことでもないだろうと、特段態度を変えることもなく、梓董はイルの傍らに腰を降 ろした。屋上の縁から宙に足を投げ、そうしてすぐ隣をぽんぽんと軽く叩く。意図を察したらしいイルは、すぐにそこに腰を降ろした。そのまま、二人で並んで空を仰ぐ。

戦いばかりに費やしていた影時間が、何だかとても穏やかだ。


「……いつもは、ね。ファルロスとこうしてたんだ」


ファルロスが来る時だけだけど。

イルが呟くその名に、しましま服を着た、まだ幼い容姿の少年を思い出す。別れを告げに来たと現れたあの日以来目にしていない姿に、思ったより寂しいと思わない自分がいることに驚いた。別れを告げられたあの日は、確かに胸に喪失感による穴があいた気がしたというのに。

薄情、なのだろうか。普通ならこういう時どうするのかもわからず、梓董はただただイルの話に耳を傾ける。


「なんか、少し不思議な感じ。ファルロスといた空間に、今は戒凪といることが」
「……ファルロスがいなくて、寂しい?」
「それは、うん。でもだいじょうぶ。ファルロスは今も、傍にいてくれているから」


永遠なんてなくても、繋がってる。きっと、繋がり続けてる。

それは梓董自身が口にした言葉。縋るような希望を乗せたその言葉を、知らないはずのイルがまっすぐに紡いだ。

想いを、共有しているような、それでいて支えてもらっているような。そんななんとも言えない柔らかな感覚が優しくて、何故だろう、今この場に本当にファルロスもいるような、そんな感覚すら覚えた。


「イル」
「ん?」
「さっきの唄、もう一回歌って」


明日が、晴れるように。こころが、晴れるために。

僕が、君が、できること。


「……下手でよければ」


少し照れたように、躊躇いつつもゆっくりと紡ぎ出される旋律に耳を傾ける。そうして見上げた夜空には眩いばかりの月が広がっていて。

今日もきっと、晴れるのだろう。

そう、思った。







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