職業体験



寮の空気は再び重さを増して、その中心たる伊織はひどく塞ぎ込んでいる。原因は知れど、だからこそ誰に何ができるわけでもないそれに、皆はただただ伊織が乗り越えるのを待つばかり。

頼られれば、もちろん応える。
彼はひとりではないのだと、見守る皆はそう思っていた。







《11/25 職業体験》







そんな中、伊織不在のままにそれでも行われたそれは、職業体験。名の通り、働くことを実際に体験しようという学校行事だ。それは三日に渡り施行され、梓董は来る日も来る日もひたすらダンボールを運ぶという、なんだかよくわからない業務についた。広い世の中には、こういった職種もあるということか。確かにこういった機会でもなければなかなかに体験しないことかもしれないと、どこか他人事のように思う。

ちなみにその作業を繰り返すこと二日目。中日となる今日は、仕事上がりに望月と待ち合わせ、ワイルダックバーガーで働くイルの元を訪ねていた。


「はー、働くって大変なんだねー」


注文したシェイクに口を付け、感慨深く紡ぐ望月に、同様の思いで苦笑するイル。彼女も先程仕事上がりになったらしく、ついでだからと三人でしばしのんびりしていくことにしたのだ。

まあ、夕食の準備もあることだし、それこそそれぞれシェイク一杯と軽く胃を満たす程度の注文に留めた時間だけなのだが。


「そうだね。あたしもバイト経験とかないし。大人の人達の大変さが、少しはわかった気がするよ」
「本当本当。ほとんど毎日こうして働いてるんでしょ? 凄いよね」


イルの言葉にしきりに頷く望月は、なんだかとても感心している様子。普段何気なく生活している影には、こうして頑張ってくれている人達の努力があるわけだと、自らが経験することでもっと身近に理解を得ることができたということか。

梓董としても、働く大変さは実感できている。


「まあ、本来ならタルタロスで荒稼ぎなんてできないしね」
「へ? タルタル? ソースが何?」


思ったままに口にした言葉は、イルの理解は得られ苦笑を招いたが、当然のように通じることのない望月はただ疑問符を浮かべるばかり。あまり口外していいことではないが、話したところで理解できるものでもないだろう。それに。

望月になら、話しても大丈夫だと思えた。

何となく、だが。

とはいえ詳しく説明する気はないので、その話はそれだけで打ち切る。どこか納得のいかない様子をみせる望月なれど、それでもすぐに切り替えたようだ。次の話は彼が切り出した。


「でもさ、いろんな経験ができるって楽しいよね。この職業体験も、僕には結構いい経験かな〜」


へらりと笑う望月の言葉に、一瞬。一瞬だけ、イルの視線が落ちたように見えた。

けれど本当に刹那的であったそれは、次いだ笑顔に打ち消されるように、まるで気のせいだとばかりに振る舞われる。


「そうだね。大変かもしれないけど、せっかくだしいい経験だって思わないと」


ね、と笑う彼女はいつもよりどこか寂しげで、けれどそれも梓董の感覚的な捉え方でしかないため、望月は純粋に頷き返していた。

彼女が何を想い、何を感じているのか。わからないが、今日はただ、明るい話題に満ちる談笑を三人で交わし、時を過ごすのだった。







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