市中探索→危機一髪
彼女があの言い方をしてくれなければ、気の強い岳羽のこと、逆に意地になってこちらを探しにかかっただろうことは目に見えていて。そのことにすらもきっと、目の前の三人は気付いていないだろうと思うと、思わず溜息が吐いて出た。
真田は被害者だからともかく、伊織と望月には天罰が降ればいいと心底思う。それはもう、盛大に。
とりあえず大事を取って、時間を置いて様子を見てから風呂を出ることにした。もちろんこれ以上露天の方にいられるほど神経が図太いのは望月のみに限ったことだったので、渋る彼を引きずって大浴場の方で時間を見計らう。しばらく生きた心地がしなかった様子の者達も、少しゆったり湯船に浸かることで、僅かでも平静を取り戻せたようだ。
せっかくの最終日に、何故こうも疲れなくてはならないのかは、甚だ疑問ではあったけれど。
とにかく、そうして少し時間を置いてから浴場を後にし、ロビーへと戻ろうとしたところ。その廊下の途中で、一人佇むその姿を見つけ、皆は揃って息を飲む。
着ているものこそ皆と同じ、宿備え付けの着物なれど、さらりと揺れる白銀の髪を見紛うはずがない。
今の皆にとっては救世主であるのだからこそ、余計に。
思わず足を止めてしまったが、どうやら彼女はこちらに気付いたらしい。ロビーの方に向けていた視線を、ふいにこちらへと向けてきた。
廊下は一本道。部屋に戻るには一度ロビーを通らなければならないわけで。つまるところ、彼女の方へと向かう形になってしまうのは避けようのない必然ということだ。
「……やっぱり、キミたちだったね」
呆れ気味に溜息を吐くそのアオの視線は、当然のように元凶を予期して伊織と望月を射抜いていた。乾いた笑みをもらす二人に、イルの溜息は増す。
そんな彼女の登場に焦ったのは何もその二人に限ったことではなく。あからさまにそわそわとしだす真田の様子に気付いたらしい彼女は、今度は小さな苦笑を浮かべた。
「美鶴先輩たちなら先に部屋に行きましたよ。ここにいるのはあたしだけです」
そして、気付いたのもきっとイルだけ。
どうやら彼女は望月が梓董を呼びに来たあの時から僅かばかり不審を抱いていたらしい。それは明確な理由が存在してのものではなく、ただ何となく様子が妙な気がする程度のものだったそうで、その後しばらくしてから風呂に向かおうとする桐条達に会い、もしかしたらという仮説を立てたのだそうだ。
杞憂なら良し、そうでなければ何か対処しなくては。お互いのためにも。
それが、イルが桐条達に同行しあの場にいた理由だとか。
「やっぱりそうか。イルは幽霊の類、平気なはずなのに、怖がるなんて不自然だと思ったんだ。助けてくれて、ありがとう」
それは以前、夜の校舎を歩き回った時の話。岳羽と比べると比較対照が極端すぎる気もするが、とにかくイルは全くもって怖がる素振りなど見せなかった。もちろん、今までだって苦手だという話は聞いたことがない。
迷惑かけて、ごめん。礼を告げ、続けてそう謝れば、イルはふるりと首を振った。
「ううん。……戒凪が巻き込まれるのが、イヤだっただけだから」
「えー、僕は?」
「元凶だろ!」
小さく笑み、梓董を見上げるイルの姿に、不服そうに頬を膨らませたのは望月。もちろん、すぐさま真田からの鋭いつっこみが入り、黙らされた。
そんな様子に溜息を吐いた梓董は、彼だけは本当に痛い目に遭ってくればよかったと、心底思う。そうして冷たい視線を彼に向けていると、今までの空気を一変、真剣な眼差しを向けてくるイルに気付き、もう一度彼女と向き合った。
どうしたのかと不思議に思えば、彼女は僅かばかり朱をさした頬で、どこか言いにくそうに切り出す。
「そ、それとね、一応、確認。その……見てない、よね?」
ああ、なるほど、その心配か。それは確かに彼女にしたら、というか、女性陣にしたら気になるところだろう。
「それどころじゃなかったしね」
「そうだな」
「ちょっと残念だけどさ」
「……順平」
「い、イヤだなあ、真田サン。冗談ですって、冗談。あははは〜」
梓董と真田に次いだ伊織の答えは実に彼の内心をよく表していて。もう本当に、こいつも痛い目に遭ってくればよかったのにと心底思った。
そんな中、三人の答えにイルが安堵するのも束の間、続いた望月の言葉が場を一気に凍りつかせる。
「え、みんな見てないの?」
「!?」
「もったいないなあ。みんなスタイルいいのに! あ、もちろんイルも」
皆まで言わせず。がっ、と。それこそ目にも止まらぬスピードで。梓董の手が望月の顎を捉える。
あいにく舌を切ることはなかったようだが、そこを押さえ込む力の強さに、望月はもう言葉を紡ぐことができずにいた。
「じゃあ、綾時は少し、話があるから」
にっこり。最近はよく笑うようになったにしても、それでもこうも満面の笑みはなかなか見せることはないだろう。元が綺麗な顔立ちにある彼の笑顔はどこまでも美しく、そして。
どこまでも、冷たかった。
「イル、今日は本当にありがとう。あとでちゃんと埋め合わせするから」
「え、あ、いや……」
「じゃあ、おやすみ」
「お、おやすみ……」
あまりの笑顔の迫力に圧倒され、何を言うこともできずに、望月を引きずり去っていく梓董の背を、残された三人はただただ見送るに留まる。
「あたし……怒るタイミング、逃した……?」
「いや、ていうかアイツ、生還できんのか?」
茫然と呟くイルに続く伊織の問いに、肯定を返せる者は誰もいなかった。
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