市中探索→危機一髪



今日で三日目の世話となる宿。三日目であり最後でもあるこの宿は、最初に受けた印象変わらず、雰囲気も接客も……そして風呂も、日本を絵に描いたようで、学生が修学旅行として利用するには充分過ぎる宿だった。お蔭で、分け振られた部屋にも一抹の寂しさを覚える。

そんな中、浴衣に着替えた梓董は、最後だから少しうろうろしようかとロビーへと向かうことにした。土産なら買い済ませたが、土産物を取り扱う一角の傍に野点があるのだ。まるで昔の茶屋の光景を一幕だけ切り取ったかのようなその空間に、望月がとても興味を持っていたことはまだ記憶に新しい。

そんな野点がすぐに視界に入ってくるロビーに入る廊下先で、その更に奥、土産物を取り扱う一角から見知った姿が出てくるのを見かけ、はたと瞬く。見知った姿は、けれど見慣れない装いをしていて、だからといってそれは決して妙だということもなく、いつもの白とは違う印象を好意的に受けることができるものだった。


「イル」
「あ、戒凪」


少し近付き声をかければ、ぱたぱたと部屋に備え付けられていたスリッパの音を響かせ彼女が小走りに駆け寄ってくる。にっこり微笑む姿に、つられるように表情が緩んだ。


「買い物?」
「うーん。ちょっと違う、のかな。自販機でジュース纏め買いしようと思って」


各フロア、かはわからないが、階段を上がったすぐの場所に設えられた自動販売機。そこに並ぶラインナップは一応確認し、更には全種類買ってみた梓董は、あああれかと、小さく頷く。少しばかり珍妙な名前のジュースが並んでいるが、味自体はそこまで悪くもなかったと記憶していた。


「エリザベスに買っていってあげようかと思って。フツーのお土産は昼間に買ったから、別途でね。あとは、部活の罰ゲームにちょっと買っておこうかって理緒と話してて」


それで纏め買いになるので、持ち帰りやすいよう、店で袋を貰ってきたところだったのだと彼女は笑う。なるほど、その手にある、中身の入っていないビニール袋はそういった意味を持つのか。


「戒凪は?」
「特に目的があったわけじゃないけど……最終日だからうろうろしようかと思って」
「そっか」


納得した様子で一つ頷いた彼女は、そのままじっと梓董を見つめる。急にまじまじと見られ不思議に思えば、彼女はまた一つ頷き、そうして改めて梓董を見上げた。


「それにしても、本当戒凪って浴衣似合うね。女の子より綺麗ってもう、感動ものかも。あたし、写メ、家宝にするよ!」


どうにも、彼女は梓董の浴衣姿をいたく気に入っているらしい。初日の騒ぎようはいくら梓董でも少しばかり恥ずかしかったものだ。まあ、綺麗云々は置いておくにしても、これだけ彼女が喜んでくれているということは、梓董としても嬉しかったりするもので。とは言え、梓董からしたらその思いはそのまま返したいものでもあった。


「俺としてはイルの方が似合ってると思うよ。かわいい」
「いっ、あ、かっ……! うああああっ、あ、あり、ありがとう……」


どうにも彼女は自分の想いを口にすることにはあまり抵抗がなくても、こうして逆に受ける立場になると一気に恥ずかしがる傾向にあるらしい。瞬時に顔を真っ赤に染め上げ、視線を迷わせ始める姿は、やはりかわいらしいと感じるもの。身に纏うものもいつもの白ではなく、梓董のそれと同じ、宿で貸し出す青の浴衣であるせいか、普段とはまた違った雰囲気を感じられることもまた、更にいとしさを募らせる。

惚れ直す、とは、こういうことを言うのだろうか。


「あ! 見つけた! 戒凪君、ここにいたんだ」


気恥ずかしさからか所在なさげに視線を泳がせるイルと、そんな彼女を優しく見つめる梓董との耳に、ふいに一つの声が降ってきた。聞き覚えのあるそれに、その発信源へと顔を向ければ、丁度階段を降りてくるところだった望月と目が合う。

彼は梓董を見やり、それからその傍にイルの姿を見付けると、きょとりと小さく首を傾げた。


「あれ、イル? あ、もしかしてお取り込み中だった?」
「いいい、いやいやいや! あああ、あたしのことはどうぞ気にせず! ささっと用を! りょ、綾時、戒凪に用だもんね!」
「うん、まあ。……ねえ、イル真っ赤だけど、何したの? 戒凪君」
「かわいいって言った」
「ぎゃあっ! もう本当勘弁してくださいいいっ!」


人間、ここまで赤くなることができるのかと、思わず妙に感心してしまうくらいに真っ赤な顔をしたイルが、その頬を自分の手で挟み込み首を振る。その様子に望月もかわいいねと笑うが、こちらは強く睨まれてしまっていた。日頃の素行の問題だろう。


「で、用は?」
「あ、そうだった。あのさ、お風呂行かない?」
「……風呂?」
「うん。最後だし、せっかくだからって。順平君とさっき話してて、今真田先輩も誘」
「行かない」
「え、ちょ、即答!?」


いやだって嫌な予感しかしないのだ。望月に伊織といったこの二人の考えが、いい方向に向かうとは思えない。きっと裏があるはずだ。いやむしろ、絶対に。


「ねえ、そんなこと言わないでさ、せっかくだもん、行こうよ、ね?」
「行かない」
「頑なだね。でも僕も退かないよ。さ、行こう行こう!」
「だから行かな……って、綾時、引っ張るな!」


強制連行。まさにそれ。最終的に有無を言わさぬ行動に出た望月に引かれ、準備のためにと部屋へ連れて行かれてしまう。

嵐のような一連のその流れを、イルのアオイ眼差しが無言のまま見送っていた。




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