そうして踏み入った店内は、相変わらず店というよりも個人の趣味の書庫のような内装をしており。古い本独特の臭いが微かに鼻を掠めた。


「おじいちゃん、おばあちゃん! こんにちはー!」


そんな店の奥に設えられたカウンター。そこで今日も穏やかな時間を纏う老夫婦は、仲睦まじく談笑していた。

そんな二人に真っ先にイルが声をかけ、そこから続いて梓董と望月も挨拶を口にする。老夫婦は来訪者である三人の若者を目に、やはりどこまでも優しく目を細めてくれた。


「おお、おお、イルちゃん。よく来たのう。で、えーっと、そっちのふたりはどちらさんじゃったかの?」
「いやですよ、おじいさん。戒凪ちゃんじゃないですか」
「そうじゃそうじゃ、戒凪ちゃんじゃ! いや、うっかりしとった」


いつもの夫婦漫才にも似たやりとりも懐かしく、いらっしゃいと優しく笑う光子の笑顔に梓董の心はほんのり柔らかな熱を帯びる。時折認知症の傾向を垣間見せる文吉だが、それでも梓董をかわいがってくれる想いは変わりないようだ。いつものように菓子パンをポケットにねじ込まれ、お前さんもとその初体験をさせられた望月と顔を見合わせ苦笑する。容量オーバーな場所に無理矢理ねじ込まれるのだ、帰る頃には圧力に負けて潰れてしまっているのだが、それでもそのパンはいつでもおいしさを保っていた。

それから望月の紹介も済ませ、軽い談笑を交わした後は、ある意味お決まりとなりつつあるあの質問が繰り出される。


「で、イルちゃんの本命はどっちかの?」


少しだけ笑みに含みを持たせて。
イル本人の目の前だろうとお構いなしのその問いに、半ば予想はしていた梓董は溜息を吐くに留めたが、これもまた初めての体験である望月は、軽く見開いた目をしぱしぱと瞬くばかり。理解のためにだろう、少し間を空けた後に、彼は小さな笑みを浮かべて梓董を見た。


「……本命だって。僕だったら光栄だけど、イルの本命はやっぱり君だよね」
「っちょ、綾時!」


いつも通りうまく流そうと思っていたのだろうイルは、けれどそうするよりも早く望月にそんな風に返されてしまったものだから、焦った様子で慌てて声を上げる。意図してか無意識かはわからないが、そのまま望月の黄色いマフラーをぐいと引くものだから、必然的に首を絞められる形となった望月から、低い呻きがもらされた。が、だからと言ってイルのその手が緩められることはなく、顔を真っ赤に染め上げた彼女は、そのままの状態で、あわあわと困ったようにアオの視線を迷わせる。


「ち、違っ、いやあの、違わないけど、そうじゃなくて……っ、ああもうちょっと綾時、体育館裏で話して来ようか!」


......何故体育館の裏なのか。
わからないが、珍しくもかなり取り乱している様子のイルを、文吉はにやにやと、光子はどこか微笑ましそうな笑みを浮かべて眺めていた。梓董としても、あからさまな肯定を示す彼女の態度は心の底から喜びを生むもので、じわりじわりと広がる暖かな熱に、自然と優しい笑みが浮く。

もちろん、未だに首を締められたままの望月はそんな呑気なことを言ってはいられないようで、ギブアップと、マフラーを握るイルの手をぺしぺしと叩いていた。

馬鹿だなあ、と呆れもあるが、その光景を面白いと思ってしまう気持ちもまたあり、元は自業自得なのだからと梓董から助け舟を出す気は更々ない。


「も、もう。あたしのことはいいの! 今日は綾時の紹介に来たんだから!」
「ふふ。イルちゃんと戒凪ちゃんにこんなにいいお友達がいて、嬉しいわ。ねえ、おじいさん」
「いい子はいい子を呼ぶんじゃよ。また孫が増えたみたいで嬉しいのう」
「ええ、本当に」


これもまたやはりと言うべきか、話をうまく逸らす手伝いを担ってくれたのは光子で。穏やかな流れに空気が逸れたことに安堵したらしいイルの手が、ようやく緩む。拍子に、やっと解放された望月は、すぐさまマフラーを緩めて首をさすっていた。そうしながら不思議そうに瞬かれた視線は、まっすぐに老夫婦を捉えている。


「孫……?」
「そうじゃよ。イルちゃんも戒凪ちゃんもワシらの孫みたいなもんじゃ。その二人の友達なんじゃから、お前さんもワシらの孫みたいなものじゃよ」
「そうですね」


にこにこにこにこ。優しい笑みは慈愛に満ち、心からの言葉であることに疑いなどない。そんな二人の気持ちに、それを示す言葉に、望月もくすぐったそうに微笑んだ。


「じゃあ、僕もおじいさんとおばあさん、って呼んでもいいのかな」
「もちろんじゃよ、のう婆さん」
「ええ、もちろんですよ」


こんなに可愛い孫が三人もいるなんて、幸せだわ。続けて紡ぐ光子の言葉は、それが本心だと表情でも語っている。

それをまっすぐに受け止め、そして素直に喜べるイルの姿を、以前は眩しく思ったものだけれど、今なら梓董も彼女と同じ、そこに立てるような気がしていた。

嬉しくて、暖かくて。言葉に尽くせないほど優しい想い。それを惜しむことなく注いでくれるこの老夫婦が、血縁などなくとも本当の祖父母のように思えるのだ。そしてそう思える今が、なんだかとても嬉しかった。


「そうじゃ! 孫が増えたお祝いに、今日はみんなで夕飯でも食べに行かんか?」
「あら、いいですね。でもおじいさん、可愛い孫のためですもの。わたしが腕を奮ってはいけませんか?」
「おお! それはないすあいでぃあじゃ! イルちゃんも戒凪ちゃんも綾時ちゃんも、婆さんの料理は絶品じゃからのう。遠慮せずに食べて行っとくれ」


息子を亡くしてしまった老夫婦にとっては、もしかしたら賑やかな食卓というものに懐古にも似た想いがあるのかもしれない。断ることに気が引けて、それに何より断りたくもない誘いだったため三人で揃って顔を見合わせれば、真っ先に望月が了承を示す。それを耳に、梓董とイルもどちらからともなく頷き合い、そうしてイルが今夜の夕食の件を寮生達に連絡し、ご相伴に預かることに決まった。

食事作りを張り切る光子をイルが手伝い、それを光子はとても喜んでいて。準備が整うまでも、そして整ってからも、話題を絶やすことなく喋り続けた文吉もまた、とても楽しそうに笑っていて。梓董もイルも望月も、皆笑顔が絶えなくて......。

ひとつの家族の形が、確かにここにある。

そんな風に思えるその瞬間が、たまらなく愛おしかった。







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