曇天



ひゅっ、と、短く息を吸う。冷静に「それは違う」と現実を馳せる理性と、自分が立つために縋る先を求める感情とが内側で入り混じり、腹の底に重く冷たいしこりを生む。ぐらり、揺れる思考に、両手をきつく握りしめることで踏ん張った。

恨みたくない。けど、恨んでしまいそうになる。心に開いた穴は大きく、その深淵は底なしに闇を深めているのだ。

囚われることは、容易い。


「……だとして、君は私の父のことまでわかっていたのか?」


必死に平静を装い、紡ぐ。声が震えていない自信はないが、感情を抑制するうまい術など見つからなかった。押し殺すしか、吐露を防ぐ方法はないのだ。


「それは……」


否定。はっきり口にされたわけではなくともわかるそれに、少しだけ気持ちが軽くなる。そこまでわかっていたと言われたら、恨まない術はもうなかったから。

最後の一線で辛うじて踏み留まる危うさに、何だかひどく泣きたくなる。彼女のこともとてもとても大切に想っているのに、それなのに、それでもやはり父を亡くした穴は埋められない。闇の先に光は見えないのだ、今もなお。


「なら責める道理はない。君は君のできることをしてくれたんだ」


磔にされていた皆を助けてくれたこと。それ以前にも、彼女の力には常に助けられてきた。

それで、いいじゃないか。

そう思って終わらせなければ、押し殺した感情が再び湧き出てきてしまう。人を恨むことなど、ひどく簡単なことなのだ。


「……美鶴先輩は優しすぎます。あたしは、狡いから……この話をしにきたのも、きっと、自分が耐えられなかったからなんです。荒垣先輩みたいに、憎しみを糧にすればいいなんて、そういう言葉もかけられない。……自己満足なんです、きっと」


すみません。申し訳なさそうに、悔しそうに謝る彼女の姿を目に、目の前がくらりと揺れた気がする。

謝るべきは彼女ではない。優しいなど、そんなことはないと、この胸の内が強く訴えた。

誰を責めるべきかなど、もはやわからなくなっている。直接の原因は幾月にあろうが、それも含めた間接的な要因とて、辿れば桐条の祖父へと帰結した。取り繕っても、取り繕われても。どこへも向かえない想いはただ、桐条を締め付けるばかりなのだ。


「……あたしが、こんなことを言うのは違うかもしれません。けど……」


綺麗なアオは、眩しすぎた。


「ひとりで、抱え込まないでください。せめて、苦しい時や悲しい時の吐け口くらいにはして欲しいんです」


痛切な想いを乗せ、訴える言葉。彼女が自分をどれほど慕ってくれているかも、案じてくれているかも、とてもよくわかっている……と、思う。

今回の話とて、隠そうと思えば隠せたはずだ、彼女には。むしろそれを疑い、察しただなどと、伝えられなければきっと誰も気付きはしないだろう。それが当人の言葉通り、桐条を想ってや誠意からくるものではないとしても、それでも告げることに何の勇気も必要なかったとは思えない。

傷付くことは、誰だって嫌なはずなのだから。

わかっていて、それでも腹の奥にどしりと残る重みが、自分で嫌になる。彼女を大切な仲間……友だと思うからこそ、恨みたくなどないし憎みたくもない。けれど、目の前に提示された矛先から簡単に目を背けられるほど、今の自分は強くないのだ。

悲しみは、それだけ深いのだから。

そんなどろどろとした葛藤から目を背けるには、この方法しか思い付かない。そう思い、桐条は僅か視線を伏せる。


「……今日は、わざわざすまなかった。私なら大丈夫だ。時間も遅いからな、帰るなら影時間があけたら誰かに送らせるし、泊まっていくなら部屋を用意しよう」


答えを紡がない自分は卑怯だろうか。それでも、紡げる言葉など思い付きはしなかった。

心から受け入れるには、まだ整理のつかない自分の気持ち。かと言って上辺だけ受け入れるような器用な真似ができるほどの余裕とてない。

水の奥底でもがくような息苦しさに苦痛を覚えながら、それでもそれを表にしないよう努める桐条に、少し間を置きイルは小さく首を振った。


「……いえ、あたしなら、だいじょうぶです」


それは一体、何に対してのだいじょうぶだろうか。まかり間違ってもこんな時間に女の子一人を外に放り出すわけにはいかない。いくらなんでもそのくらいは案じることのできた桐条がふと顔を上げると、寂しそうに、悲しそうに、少しだけ歪んだ笑みを浮かべたイルと目が合った。

その目が語る感情は……懺悔。

何に対してかも、どうしてそう思ったかもわからないが、けれどそう、どこか確信にも似た思いでそう感じたのだ。


「あたしこそ、こんな時間にすみませんでした。……寮で、待ってますね」


失礼します。小さな一礼を残し去っていく白く小さなその背は、備え付けの扉に飲み込まれ消えていく。どこまでも無音が広がる世界の中、その扉が閉じる音だけが、やけに大きく鼓膜を揺らした。


「…………」


白き闖入者の立ち去った後、再び一人残された部屋の中、桐条は何を思うでもなく、誘われるように窓辺へと近付く。どうしようもなく渦巻く感情の荒波を鎮める術さえ持ち合わせてなどいなくて、ただただ苦しさに息を詰めるしかできない。

見上げた闇の奥先で煌々と照る月を目に、ひどく、泣きたくなった。








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