一歩、新たに
そのメールが届いたのは今朝方のこと。未だ精神的な慌ただしさは収まらない寮内の面々の内、今回ばかりは本当にただ一人となる梓董だけが、既に平常心を取り戻していた。そんな中でのことだ、その誘いが文面からでもわかるほど躊躇いがちに齎されたのは。
――今日、お時間いただけませんか?
《11/07 一歩、新たに》
アドレスの交換は確かにしていた。それこそ今更だと思えるくらいには過去に。ただ、そこから繋がる形と成り得たことは未だ少なく、正直少しばかり意外だったことも事実。
思い起こす黒い髪。肩口まで伸ばされたその髪をさらりと揺らす少女は、内気なのだと一目にして知れるくらいには視線が伏せられ気味で落ち着きがない。その割に時折見せるまっすぐさは、きっとそれこそが彼女が本来持っているはずの芯なのだろうと思わせた。
そんな彼女、入峰に誘われるまま、特に断る理由もなかったことからも昼食を共にする約束をし、今こうしてわかつにて向き合うに至っている。
「あの、梓董さん……今日は、ありがとうございます」
待ち合わせして合流した直後に向けられた言葉を再び受け、梓董が返す答えは気にしなくていい、の短い一言。そんなに気を遣わずとも構わないし、梓董の性格上何か不都合があれば、まずこの誘い自体受けてはいないのだから、それは本心からの言葉でもあった。
そんな梓董の言葉に入峰は小さく微笑み、それでも、と微かな声で続きを紡ぐ。
「感謝、しているんです。本当に。早瀬のことも、私のことも。梓董さんと出会えて、本当に良かったです」
俺も……きっと琉乃も、お前に会えて良かったと思ってる。
入峰の言葉に、思い返す早瀬の言葉。以心伝心というほど大袈裟ではないかもしれないが、それでもお互いが同じ想いを抱え、それを理解しあっているというその関係は、どこか羨ましくも思えた。
「お礼になるかはわかりませんが、今日は今までお世話になった分、奢らせてください」
約束を交わし、それからずっと果たされずにきていた話。それを持ち出し何故か意気込む入峰の姿に、なんとなくおかしくなる。そんな彼女の反応もまた、イルを思い起こさせるものだからだろうか。
とりあえず長らく繋げてきた約束なのだから、ここで断る方が礼を失している。
そう思い、それでも一言礼を付け加え、 梓董はその言葉に甘んじることにした。安心したような、満足したような笑みを入峰が浮かべてみせたことからも、間違いではない選択だったはずだ。
「……入峰さんは、もう大丈夫?」
「え?」
「早瀬のこと」
思い返しふと問いかけた梓董の問いは、持ち出す話題としては適したものだと思われる。入峰と話したあの日からも、早瀬が旅立ったあの日からも、どちらからとも日は過ぎているのだから。
頼むと言われ了承したあの日。それから彼女のことを忘れたわけではなかったが、こうして話す機会がなかったことは事実。こうして会えたことを期に、問うことも不自然ではないはず。
「それは……寂しくないといったら嘘になります。ずっと私の面倒を見てくれていた、兄のような人ですから」
でも。続ける彼女は、その言葉通り少し寂しそうに、けれどそれでも小さく笑みを浮かべてみせた。
「なかったことに、なるわけじゃないですから。私にとって早瀬は、どれだけ離れていようと兄に違いはないんです」
だから、大丈夫。はにかむように笑う彼女は、締め括りに、そう思えるのも梓董のお蔭だと告げた。
彼女にそう言われるような何かをした覚えはないが、それでもここで水を差すのも違う気がして、とりあえずそっかと笑みを返す。大丈夫、と言えるなら、それはきっと彼女自身の強さなのだと思うと、それだけは言い加えて。
「そういえば、今月、修学旅行があるんだ」
「あ、もうそういう時期でしたね。梓董さん達は、どこに行くんですか?」
「京都」
「いいですね、京都。歴史観光とか、素敵です」
「……ん。お土産、買ってくる」
「え、ええ!? え、えっと……あ、ありがとうございます。とても……楽しみです」
ほんのり頬を染め、嬉しそうに笑う入峰に梓董も小さく笑みを返し。他愛のない雑談を交わしながら、戦いとは無縁の一時を過ごしていった。
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