終幕の鐘は遠く
「お父様っ!?」
現状に惑う皆の中、ただ一人別のことに意識をとらわれた桐条が、慌てた様子で声を張る。それに導かれるように視線を移せば、一人だけこの拘束を受けずに済んだらしい彼女の父が、アイギスに捕らわれた形で梓董達の足元に立っていた。
そんな彼と対峙するのは、当然のように幾月だ。
「幾月……。これは何の真似だ!?」
「見ての通りですよ……。彼らには、滅びの先駆けとして“生贄”になってもらう。これで予言書に記された段取りは全て完了だ」
声高に糾弾されようと、ものともせず。ただひたすらに愉悦に歪んだ笑みを浮かべ続ける幾月は、大仰なまでの動作で両手を広げ喉を鳴らす。嬉しくて、待ち遠しくて、仕方がない。恍惚と歪む彼の眼差しからは、もはや倫理の欠片も見いだすことはできなかった。
狂っている。そう思わせるには、充分だ。
「貴様……正気か!?」
「もちろん」
改めて問うまでもないくらい判然とした様子であろうとも、信じられない言葉を受ければ問い直し確認したくなるという気持ちもわからなくはない。が、やはり幾月は自己を見失ってなどいなかった。
幾月は己を確立したまま、そう、正気のままに語るのだ……狂気を。
彼は桐条の祖父、この全ての原因となる実験を指示していた指導者の晩年の研究に強く賛同する者だった。道徳的にみて、倫理的にみて、とてもではないが肯定しえないその思想にいくら桐条の父が否定をぶつけようと、幾月が揺らぐことはなく。会話はどこまでも平行線にしか進むことはなかった。
その中で、先に痺れを切らしたのは幾月の方。彼は交わらない会話に若干苛立ちを乗せ、そうして告げる。アイギスへの、次の命令を。
「貴方はもう邪魔なだけだ。……アイギス!」
「やめろ! やめてくれ、アイギス!!」
命令。そして無感動なまでに無機質な金属音。耳に届くチャキリ、という小さな擬音を、桐条の悲痛な叫びが打ち消す。
銃の代わりを成すアイギスの指先が、桐条の父を捉えたまま微かに震えた。
「何をしている、アイギス!」
「わたし……は……」
自我を、取り戻そうとしているのだろうか。光の宿らない眼差しが仰ぐ先は、幾月ではなく梓董。
何かに耐えるように、何かを思い出そうとするかのように。アイギスの目は、ただただ梓董を捉え続ける。
「ちょーっとごめんね」
逡巡か、プログラムへの抵抗か。アイギスが動きを止めているその間に、場にそぐわない軽い口調の声音が響いた。次いで梓董の身を襲う、僅かな衝撃。
痛みを伴うわけではないそれは、まるで強い風にでも煽られたかのようなもので。紅 い甲冑の後ろ姿が見えたかと思えば、そのままふわり。地に足が着けられる。
「……イル!」
驚きと戸惑いの声。それを上げたのは梓董ではなかったが、それを上げた皆もまた、拘束から解放され地に降り立っていた。
「えーと、なんか遅くなってごめんなさい。状況がいまいちよくわからないんだけど……幾月さんが黒幕ってことでいいのかな」
視線が、合わない。普段の彼女なら真っ先に梓董の身を心配してもおかしくはないというのに、今の彼女は簡単に皆へ謝った後、すぐにそのアオイ眼差しを幾月へと向けてしまった。
状況が状況なのでそれも当然の反応とも思えるが……納得は、できない。
梓董としては言いたいことも訊きたいこともあるのだ。それをはっきりさせねば納得などいくはずもない。
ただ、そのためにも今はまず幾月を止めることを優先せねばならないことは理解していた。そうしなければ落ち着いて話もできやしない。
今度は逃がさない。その思いだけは強く、今は梓董も幾月を見やった。
我を取り戻したらしいアイギスもまた、皆に謝ってから幾月を睨む。
「ふ、ふふ……。君のことを忘れていたつもりはなかったんだが、まさかここで登場するとはね。君の存在は本当にイレギュラーだよ」
形勢逆転。そんな状況を前に、少し前の余裕さが嘘のように幾月の顔が引きつる。皆から距離のあいた場所に一人立つ彼は、隠し持っていたらしい小型の銃を取り出すと、それをそのまま前方へと構えた。
狙う、先は……。
「っ、戒凪!」
皮肉にも、幾月は特別課外活動部の皆のことをよく知り得ている。イルに関してはその素性を把握してはいないようだったが、それでも彼女の行動パターンやその理念はよく知っていたのだ。
梓董を狙えば、彼女は絶対に庇う、と。わかっていての照準だったのだろう。
アイギスからも届く、梓董の名を呼ぶ声。
それと同時に忌々しそうに吐き出された呻くような低い声は、多分桐条の父のものだろう。
息を詰める、仲間達。
伸ばされた、白い少女の手。
−−銃声は、二発分、辺りに響いた。
「お父様ーっ!!」
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