まだ見ぬ姿



「そういえば、イル、結局何も話してないよね。私たち、まだイルの本当の名前だって知らないんだけど」
「え? あ、えーと」


満月の日が迫ろうと……いや、迫っているからこそ余計にだろうか。いつもと変わらぬ夕食会の場で、雑談の合間を縫って思い出したようにそう口にしたのは岳羽だった。







《11/01 まだ見ぬ姿》







突然ふられた話題にきょとんと目を瞬かせるイルに、他の寮生達からの視線も集まる。理由はそれぞれだろうが、おそらくきっと誰も訊くに訊けなかったそれを、やはり気にはなっていたということだろうか。その話題をふった岳羽を諫める者はおらず、皆話の動向を見守る態勢を貫いている。


「それは……まだ、言えない。そういう約束だから」
「約束? って、誰と?」
「あたしが、今こうしてここにいられているきっかけをくれたひと」


それが誰かを、彼女は語らない。けれどそのひとが彼女の言っていた“彼”なのだろうことは、梓董には容易く想像がついた。

彼。全く予測もつかない人物像に、けれどそのひとこそがイルが今ここにいてくれている路を作ってくれたというのなら、感謝の念が胸中にわきあがる。

梓董とすれば、いずれ必ず語られるそれを今ここで急く気はないが、話を振った岳羽にしたらそうはいかないのだろう。納得いかないと、眉間に僅か寄せられた皺が物語っている。


「なんか……イルっていつもそうだよね。大事なことは何も話さない」
「ゆ、ゆかりちゃん……」
「そりゃあ、確かにイルは強いし? 助けられてるのは事実だけど……でも、一緒に戦ってる仲間なんだから、もっと信用してくれてもいいのに」


不服を棘にし含んだ言葉に、慌てて山岸が諫めようと声を上げた。けれどそれは意味を成すことなく、結局岳羽が紡ぎたい想いは全て素直に口からこぼれでる。

岳羽のその気持ちは、多分もっともなのだろう。

命を預けあった仲間同士、その名前すら知らないというのはやはりいい気はしない。全てを語れというのは傲慢でも、少しは知りたいと思うことは自然とも思える。

それがわからないイルではないだろう。彼女は困ったように眉尻を下げ、少しだけ視線を落とした。


「信用、してないわけじゃないんだけど……。あたしのことを仲間だと言ってくれることも、すごく嬉しい。でも……今は、言えない」


きっぱり言い放つ彼女は、やはりどこまでも揺るぎなく頑なだ。それを彼女らしいと穏やかに感じるのは、今は梓董だけかもしれない。岳羽の眉間の皺はやはり和らがないし、他の皆も惑うような困ったような表情を一様に浮かべている。

それでもイルの言葉が覆ることはないのだ、絶対に。


「わ、私は……待ちます。イルは嘘を吐いたりしないから。だから……いつか話してくれるまで待とう? ゆかりちゃん」
「風花……」


微妙な空気に耐えきれなくなってか……いや、おそらく言葉通りの本心からなのだろう。山岸の諭すような言葉に、岳羽はもう一度イルを見据え、それからゆっくりと息を吐き出した。


「……はあ、別に無理に暴こうってわけじゃないしね。ただ、これが最後なのになんかちょっと……寂しかった、っていうか」


最後。その言葉を否定するように、先日のイルとの会話が梓董の脳裏に蘇る。けれどもちろんそれを口にすることはせず、続く岳羽の言葉に耳を傾けた。


「いいよ。私も、待つから。別にこれが終わったからって、はいさよならってなるわけじゃないしね」


その代わり。続けて一拍置いた岳羽の顔に浮かぶのは、どこか晴れやかな……少しだけ悪戯めいた笑顔。


「ちゃんと話さないと、許さないから」
「……うん。ありがとう」


本当に終幕となるかなんてわからない。それでも迫る満月は、何かを変えていくのだろうか。

小さく笑うイルの笑顔が少しだけ曇ってみえたことに、気付いたのはきっと、梓董だけだった。








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