名前と愛称



「大型シャドウももう残り一体なんだよね……」


チーズの芳しい香りを撒き散らし始めたオーブンの前、刻々と時を縮め刻んでゆく目盛りを見つめながら、ぽつり、山岸が呟く。フライパンの上で米と具材とを併せ炒めていたイルは、その言葉にちらりと視線を移した。その視線に気付いたからというわけではないが、どのみちオーブンのタイマーは見ていようがいまいが勝手に進んでいくもの。あえて見つめている必要もないため、ゆるりと山岸は顔を上げる。

とはいえ気にはなってしまうので、今いる場所から離れる気だけはないのだが。


「次で、終わるんだよね」


期待と不安で揺れる瞳の先で、イルのアオはもう、山岸を捉えてはいなかった。







《10/22 名前と愛称》







「大型シャドウは十二体。その内十一体はもう倒したから、計算上は次が最後で間違いないはず……だよね?」


問いかけたのは自分の方だというのに、返ってきたイルの言葉は答えではなく自身の疑問。確認するように問う彼女の視線はやはりこちらを向いてはおらず、けれど手元が忙しなく動いている様子から、山岸がそれを指摘することはない。


「うん。屋久島で見た映像から考えても、そのはずだよ」
「そう、だよね」


ガス台の火を止め、イルの手は盛り付けへと移行する。短く答えながらもその動きはいつもと何ら変わりなく、イルが何を思ってその疑念を口にしたのかはわからない。

終わりが近付いてきて、単に心配だというだけだろうか。その気持ちなら山岸も理解できるため、そう捉えて話を進める。

元より今回の本題はその先にあるからだ。


「あのね、イルちゃん……夏紀ちゃんが転校しちゃった話はしたよね」
「うん」
「あの時にも話したけど、たとえ体が離れてても、心は繋がってるってそう思えるから……だから、私は大丈夫」


イルとは共に夕食作りをしているということもあり、こうしてほぼ毎日話をしている。森山が転校してしまったあの日もまた、イルと今話したような話をしていた。まあ、話をする、というよりも、自分の想いや考え、決意を聞いてもらった、が、正しいのだが。


「私、絆っていうものが何か、なんとなくわかった気がするの。……えっと、それでね、イルちゃん。あの、お願いがあるんだけど」


盛り付けが終わり、使い終えたフライパンを流し台へ。そうしながら、ようやくイルの顔が山岸へと向けられた。きょとんと不思議そうに瞬くアオに見つめられ、山岸は僅かに顔に熱が集まってゆく感覚を覚える。

元より内気気味の山岸にとって、それは自ら切り出すには勇気のいる話だったから。


「あのね、イルちゃん。その……私にとっては、イルちゃんも大切なお友達なの。だから……風花って、呼んで、ください」


異性への告白でもないのに上がる心拍音。期待と不安に耳の後ろ辺りがどくどく高鳴りうるさい。まっすぐにイルを見ることができずに俯き、それでも気になりちらりと目線を上げれば、そこにはいつもの明るい笑顔を浮かべたイルがいた。


「そうだよね。いつまでも山岸さん、じゃアレか。あのね、あたしにとっても大切な友達だよ……風花」
「!」


嬉しい。嬉しい、嬉しい!

イルの答えに、言葉に、喜びと安堵が胸を占め、体中に巡る。知らず詰めていた息を吐き出し上げた顔。変わらず笑みを湛えたイルに、山岸もつられるように小さく笑んだ。


「ふふ……。私、あんまり自分からこういうこと言ったことないから、ちょっと緊張しちゃった」
「そっか。あ、ならあたしもお願い。風花もあたしのことイルって呼んで」
「え?」
「風花がみんなを敬称つけて呼んでるのは知ってるけど、でもほら、あたしの名前、あだなみたいなものだし」


気負うことなんてないでしょ? そう言い笑う彼女に、山岸は躊躇いがちに小さくイル、と、口にしてみる。

あだなだから。そう前置かれたからかもしれない。抵抗なくするりと出た声に、少し嬉しさも覚えた。


「うん。じゃあ……イル」
「うん。やっぱりなんかこういうのって、嬉しいね」


あはは、と声に出して笑うイルに、山岸もつられるように小さく声に出して笑みを零す。たかが呼び方と思われるかもしれないけど、それでもなんだか少し、近付けたような気がした。


「いつか、風花にもちゃんとあたしの名前を言える日がくるから……。それまで、待っててね」
「うん。大丈夫。私、イルのこと、信じてるから」
「……ありがとう」


さ、それじゃあそろそろ食卓まで運びますか。

オーブンが出来上がりの合図を鳴らした数秒後、出来上がった料理を食卓まで運ぶそのいつもの動作さえ、今日はなんだか少し、いつもより心が跳ねるような気がしていた。








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