ひとりじゃない



「イル、これから天田とコロマルの散歩に行くんだけど、一緒に行こう」


疑問符を付けない確定した言葉で告げる誘いは、けれど予想通り断られることはなかった。







《10/10 ひとりじゃない》







荒垣が入院して六日。立ち直るための時間とすれば短いのか長いのか。わからないが、最近ではちらちらと寮生達の気持ちも持ち直り始めている。

真田にイル、梓董にコロマル、アイギス。最近では桐条も重い空気を纏うことはなくなったし、天田も……ぎこちないながらも、前を向こうとしているのはきちんと伝わってきていた。

とは言え寮内の全体の空気が元に戻ったとはさすがに言えず、事情があったにせよ当事者には変わりない天田には居心地のよくない空間だろうことには変わりない。当の本人がそれをどうこう言うわけでもないし、ましてや寮生達に彼を責める気は全くないのだが、その辺りは仕方のないことなのだろう。

そうそう気軽に全てを持ち直せるような生き物ではないのだ、人間は。

そんなこともあり、今日のコロマルの散歩に天田を誘ってみたところ、少しばかり驚いた様子をみせた彼も断ることはせずに頷いた。外に出れば多少の気晴らしにはなるだろう。

そこにイルも誘った理由は単に一緒にいたいからというものもあるが、元々口数の少ない梓董と二人という状況よりも、天田を可愛がっているイルが一緒にいた方が気も紛れるのではないかという梓董なりの気遣いもあった。その辺りもやはり、自分が「変わった」のだと思う一部なのだろう。少しだけ他人事のようにそう感じた。


「あの……すみませんでした。ご迷惑と……ご心配をおかけして……」


いつもの散歩ルートである長鳴神社に着き、いつもと変わらず境内を自由に駆け回るコロマルを眺めていると、ふいにぽつり、天田が小さく呟く。視線を落として彼を見やるが、あいにく彼まで顔を伏せられてしまうと身長差からその表情は読み取れなくなってしまう。ただ、どんな表情を浮かべて紡いでいるかは想像に難くないので、あえて覗き込むような大人気ない真似はしないが。


「僕は……大事なものを失って……同時に、大事なものを得ました……。だからもう……一人で、大丈夫です」


人は失って初めて大事なものに気付くことができる生き物だと、何かで聞いた気がする。それでは遅いのだと後悔しても、そうでなければ気付けないそれは、きっと人間だから。手探りで、迷って悩んで生きている生き物だから、間違えもすれば躓きもする。けれど、それと同時に、人は強さも持ち合わせているはずなのだ。

踏み出す一歩。上を、前を見据える眼差し。立ち上がる想い。例え小さくても進もうとするその想いが、意思が、人の持つ強さなのではないだろうか。

そしてそれは……。


「……えい」
「っいっっ!?」


ばしっと、予想以上に大きな音が響いたことに少し驚く。自分ですら驚いたのだ、当然のように隣にいたイルの目も丸く見開かれていた。

驚いたとはいえいつものポーカーフェイスを全く崩すことのない梓董の視線の先では、音の発信源……額を両手で押さえた天田がその場にうずくまっている。慣れないせいで力加減を間違えてしまっただろうかと、天田の額を打ち多少熱を持った右手の中指を軽く見下ろしてみた。今度伊織辺りで練習してみようか……でこぴん。


「な、何するんですか! いきなり……」


やはり予想以上に威力があったらしい。涙目で見上げてくる天田の視線を受け、梓董はそれでも表情を変えることなくさらりと返した。


「……ひとりじゃないだろ」
「え?」
「天田は、ひとりじゃないよ」


小さく笑う。こういう時にどんな表情を浮かべるのが一番いいのかなんてわからないけど、自然と浮かんだその表情が、小さな微笑だったのだ。

そんな梓董の柔らかな微笑を受け、しかし天田は戸惑うように再び視線を落としてしまう。どう答えたらいいのか迷っているのかもしれない。踏み出す一歩を、躊躇っているように見えた。何も、迷うことなどないはずなのに。

そんな彼の姿と今までの一部始終を見ていたイルが、ここでふいにしゃがみ込む。下げられた目線は丁度天田のそれと同じ高さ。梓董同様緩く細められたアオが、天田へと注がれる。


「うん。天田くんは、ひとりじゃないよ。あたしや戒凪だけじゃない。みんながいる」
「わんわんっ」
「ほら、コロマルも。ね」


会話を理解しているのか、絶妙なタイミングで戻ってきて声を上げたコロマルに、イルの表情がより優しく和らぐ。梓董にもイルにもアイギスのようにコロマルの言いたいことを理解できる特技はないが、それでもきっとコロマルはコロマルなりに天田のことを案じているのだと、そう思った。


「……コロマル……」


上げられた天田の瞳と交差するコロマルの眼差し。そこに天田は何を感じたのだろうか。


「……今日、連れ出してくれてありがとうございました……」


ぽつり。呟いた天田は、その場にすっと立ち上がる。梓董とイルを交互に捉えた眼差しは、まだ少し痛々しくて切なく見えたけれど、でも。

まっすぐ、だった。


「二人が……ううん、コロマルも入れて三人か。いてくれて、良かった。僕なら本当にもう大丈夫です。……もう一人だなんて、言いません」


天田の言葉と眼差しに、ふとイルを見下ろせば、嬉しそうに細められたアオと視線が交錯する。同じように目を細めた梓董は、口元を小さく緩めたまま天田の頭をくしゃくしゃと撫で付けた。癖毛が指に絡む感触が、何となくくすぐったい。


「……じゃ、帰ろう」


差し出す、右手。併せるように立ち上がったイルは、にこにこと笑んだまま左手を差し出した。

天田は撫でられて乱れた髪を直しながら、その手を交互に見やり……ゆっくりと自身の両手をそこに添える。

普段なら子供扱いするなと怒られそうだが、今日ばかりはそれも許されるらしい。並んで歩く帰り道、繋がる手のぬくもりはただ……優しく、暖かに胸を満たした。








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