元気のくすり



これでは駄目だと訴えかける理性は、けれど感情の前ではその機能を充分には発揮せず。ただそれを自分までもが表に出すには立場が許さないだろうとそう思い、なるべく普段通りを通すことに決めた。悩んでも悔やんでも事態は変わらない。それも、理性ではわかりきっていることだった。

日々暗く沈んだままの寮内で、いち早く立ち直りを見せた数人には心から感嘆する。彼らを冷たいだなどと思う気は更々なかった。

自分も、しっかりせねば。

寮長として、先輩として、皆を巻き込んでしまった身として、自分がしっかりせねばどうするのだ。

とにかくまずは「普段」を取り戻そう。そう意気込む桐条には、目の前に迫った試験はある種タイミングのいいイベントだった。







《10/08 元気のくすり》







そんなわけで、というと少し違うような気もするが、現在桐条がいるこの場所は生徒会室。試験前である今時期は活動を休止しているのだが、教員に頼み開けてもらったのだ。

一つ年下の後輩三人の勉強を見るという、その理由で。

図書室だと他の生徒もいるだろうし、少人数で落ち着いて勉学に取り組むには今の生徒会室は丁度いい場所だろう。桐条にとっては自身の試験勉強など今更し直さずとも問題などないということもあり、また、話に聞いた問題児が後輩三人の中に二人ほどいるということも今回のこの勉強会を開くきっかけになった。……一人でいるより気が紛れるという理由もあるが、それを彼女らに伝えることはない。彼女ら……まあ内一人は別だが、にはわからない話を含むことになるし、知らないで済むならその方がいいだろう話でもあるのだから、あえて告げる必要もないだろうというのがその理由。

彼女らが知らないのをいいことに利用していることになるかもしれないとも思ったが、提案した時の岩崎の喜びようが少し気を楽にしてくれた。ちなみに残る二人こそが問題児なわけだが、やはりというべきか勉強という言葉に一歩退いたようで。最終的には三人でするよりも助かることは事実だろうと受け入れてもらえ安堵した。

……今までの岩崎の苦労が目に浮かぶようだ。


「……だからここにこの式を代入し」
「えーと……あれ、何か変な余りが出るんですが」
「余り? ……ああ、ここだな。この計算が違っている」
「あ! やだ、本当だ。じゃあこうなって……できた!」
「よし、正解だ。よくやったな、結子」
「ありがとうございます、美鶴先輩」


岩崎にも自分の勉強がある。だからこそ時折は彼女も含め、他二人の勉強は基本的に桐条が見る形になっていた。あまり他人に教鞭を取る機会はなかったのだが、どうやら教え方にもさほど問題はないらしい。理解し飲み込み答えを導き出してくれる姿を見ると、何だか自分まで嬉しくなるような気がする。


「あの、美鶴先輩、この問題なんですけど」
「ん? ああ、これか、これはな」
「あ、そっか、勘違いしてました」


わいわい、というほどまではいかずとも、静まり返ってただ黙々と勉強に励むわけではない。集中力を欠くほどでもない会話は、無言を貫き通すよりもよほど空気を緩め、ほどよい緊張感を生み出してくれていた。詰め込みすぎて破裂でもしたら本末転倒だろう。まあ勉強の仕方は人それぞれに合ったものがあるにせよ、今の岩崎達にはこれが丁度良さそうだと思えた。

あまり遅くなっても良くないし、皆それぞれ都合もあるしと、勉強会は六時を目処に解散とする。終わってしまえば短いようにも思えたこの時間は、そう思えたということからもいい気分転換になったということだろう。この調子で前を向かなければ。皆に恥じないよう、荒垣に恥じないよう、何より自分に恥じないように。

そう改めて内心で意気込みながら、途中まではと一緒に帰路へとついていた西脇と岩崎が、ふと思い出した様子で口を開いた。


「あ、そうだ。試験終わったら、美鶴先輩も一緒に打ち上げしましょう」
「打ち上げ?」
「はい。カラオケでワーッと騒ぐだけなんで、いつもとやってること自体は変わらないんですけどね」


なるほど。いつもの「遊び」に「打ち上げ」という名の器を与えたということか。

確かに彼女らと共にそうして遊ぶことは楽しい。同年代の子達と遊ぶなどという機会すらなかったから余計にかもしれないが、その時間をとても大切に思っていることも事実だ。けれど……。


「せっかくですし、遊びましょうよ! ね、美鶴先輩」
「イル……」


確かに桐条に比べたら時間は短かったかもしれない。けれど、イルが荒垣にとても懐いていたことは桐条もよく知っていて……。

その彼女が笑ってそう言うのだ。桐条が断れるはずもなかった。


「……そうだな」
「やった! じゃ、楽しみにしてます!」
「それはいいが、まずは試験だ。心置きなく打ち上げを楽しめるよう、試験までの間はしっかり勉強するんだぞ」
「う、わ、わかってますって」


本当だろうか。視線をさまよわせるイルと、あからさまに逸らした西脇に、若干不安を覚える。それは岩崎にしても同じらしく、目が合った彼女と共に苦笑を交わした。


「じゃあ、私達はここで。また明日、イル、美鶴先輩」
「うん、ばいばい、理緒、結子!」
「気を付けて帰るように」
「はーい!」


帰路の都合上、途中で別れることになった岩崎と西脇を見送り、桐条もイルと共に寮へと向かう。相変わらず空気は重いままだろうが、それに無意識下でも気落ちせずにいられているのは、きっとイルや西脇、岩崎のお蔭だろうとそう思った。

ここ最近の内では今までよりもよほど軽くなった気持ちを抱える桐条に、傍らを歩くイルがぽつり、小さく呟く。


「……結子達、気付いてるんですよ、本当は」
「え?」
「もちろん、詳しく話したわけじゃないから、何となくなんだろうけど、でも、何かあったことくらいは気付いてるんです」


言われて思わず振り返る。どこかで道を曲がったのか、先程別れたばかりの後輩二人の姿はもう、見つけることはできなかった。

それでもしばし道の向こうをじっと見つめ続けていた桐条は、やがて小さく息を吐くと進行方向へと向き直る。

前を見据えるその眼差しは、自覚できるほど緩やかだった。


「……いい友人を持ったな」
「ですよね。自慢の友達です」
「ああ。……本当に」


知らなくても、わからなくても。

言えなくても、訊けなくても。

繋がる気持ちに、涙が出そうなくらい、こころの奥が締め付けられた。








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