かける、もの
「これは……何があったんだ!?」
「わからない……。俺が来た時には、もう……」
「わん!」
「コロマルさんが立ち去っていくストレガの後ろ姿を見たと言っているであります」
「ストレガ……」
まさか、ここで出てくるとは……。
桐条の問いかけに首を振る真田に代わり、答えたコロマルの言葉をアイギスが代弁する。それに悔しげに拳を握り締める真田には悪いが、今はそれどころではなかった。
「……二発撃たれてる。弾が貫通してるかはわからないけど、とにかく止血しないと」
流れ出る血液が、尋常ではない。下手にペルソナで傷口を塞いで、銃弾が体内に残りでもしたら大変だ。出血量からして失血多量も心配だが、どちらが最善かまではさすがにわからない。日本では銃創の知識など身近ではないのだ。
とにかく、せめて傷口さえ押さえれば多少なりとも止血の効果は得られるだろう。今は一刻も早い治療設備への移動を求める他ない。
都合のいい止血に適した道具など持ち合わせてはいないから、代わりに着ていた制服を使う。二つの銃創の内より危険だと思われる胸元の傷の方へ袖を利用し括りつけ、その上から手で傷口を押さえつける。正しい止血法などわからなくて、こんな時もっとしっかり知識を広げるべきだったと自分自身に腹が立った。
後悔なんて、今は何の役にも立たない。
制服の上からじんわりと伝う湿った感触が、より焦燥感を煽った。
隣には、持っていたらしいハンカチをもう一つの傷口に当て、梓董と同じようにそれを手で押さえるイルの姿がある。どうすればいいかわからなくとも、何かしなくてはいられないのだ。
傷口に当てた手の平に、小さくだが確かに上下する動きが伝うことが、救いだった。
「あま、だ……」
苦しげな吐息に紛れた、ともすれば聞き逃してしまいそうな小さな小さな呟き。それが誰の声かなんて皆わかっているのだから、視線はそちらへと集ってゆく。
体力を使うから喋ったらいけない。
今の荒垣の表情を前に、そんな当たり前のことを口にできる者は誰もいなかった。
「へっ……なんて顔だ。せっかく……望みが、叶うってのによ」
……望み。
思い出すのは、桐条が語って聞かせた天田の過去。彼はやはりそのためにここにいたのだろうか。
小さなその肩に背負うには、それはとても重すぎるだろうに。
「憎しみを……すぐに……捨てなくていい。力にすりゃ、いい……。お前は……まだガキなんだから……こっからだろ……。これからは……てめえの為に……生きろ……」
それは悲しすぎる生き方かもしれない。けれど、憎しみだとて生きる糧になるのなら……。今はそれが力でも、生きてさえいればいつかきっと、もっと大きな想いが得られるはず。そう信じての言葉なのだろうか……自分のために生きろ、というのは。
確信があるわけではないけれど、何となく。何となく、もしかしたら天田は自分自身をも殺すつもりだったのかもしれないと感じた。復讐を背負うには、命を背負うには、やはりその肩はあまりにも小さすぎるのだから。
「僕……は……」
振り返らない。今の表情を見られることを、天田はきっと望んでいないだろうから。
背中越しに届いた声は、悲しみや絶望や苦しみや痛みを宿して、ただ震えていた。
「……アキ。こいつを……」
「……ああ」
頼む、か、任せる、か。
わからないが、真田には伝わったらしい。皆まで言わずとも頷いた彼に、荒垣の表情が心なしか緩んだような気がした。
「イル……約束、守れなくて……悪いな。……お前は……笑って……生きろよ」
……約束?
何のことかは梓董にはわからなかったが、傍らから息を詰める気配が伝わってきたということは、本人には通じたということなのだろう。荒垣先輩と、か細く呟く声は、苦しげに痛ましく震えていた。
伝え終えた荒垣は、まるでそれで満足したとばかりに静かに目を閉じ、今度こそ目に見えて口元に微笑を刻む。
「これで……いい……。げはっ、ごほっ……ごふっ……」
そんな……これでは、まるで……。
これでいい。そう呟いた荒垣は、数度苦しげに咳き込むと、本当にその言葉通り全てに納得したかのように言葉を綴じる。
「よくない……っ、ダメって言ったじゃないですか……っ、荒垣先輩っ、ダメですっ、ダメですよ……っ」
「くそ……っ、影時間が明けなければ、医者は……」
縋るように、引き止めるように。震える声でそれでも何度も何度も荒垣の名を紡ぐイル。
焦るように、忌々しげに呟く桐条の紡いだ事実もイルの姿と併せ、より悲壮感を増していた。
これほど、影時間が早く明けることを強く願った日はあっただろうか。
刻々と手を濡らしてゆく赤が、いのちを零してゆくようにすら思えて。指の隙間から溢れるそれに、苛立ちと悔しさばかりが増していく。
間に合ってくれ。どうか、どうか……っ。
皆が何もできない無力さに、横たわる荒垣をただただ見守る他ない悔しさを噛み締める中、天田の慟哭だけが静まり返ったこの空間に響き渡っていった。
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