懐中時計



「あっらがきせんぱーい!」


夕食後。部屋に戻ろうとした荒垣を呼び止めたのは、喜色満面そのものの大きな笑顔を浮かべた白い少女だった。







《09/30 懐中時計》







「この間言ってた懐中時計なんですけど、もしかしてこれじゃないですか?」


はい、と手渡されたそれは、少し年季の入った古めかしさを感じる一つの懐中時計。受け取り、荒垣は目を軽く見開いた。


「お前……これ、どこで……」
「落とし物といったらお巡りさんですよ! 黒澤さんに訊いたら丁度届いてるって言われて。あってました?」
「ああ」


それは良かった。にっこり笑って告げるイルに、紛失物の届け出も案外あてになるものなのかと少し驚く。昨今の風潮というと語弊がありそうだが、今時落とし物を交番まで届けてくれる人がいるとは思っていなかった。盗まれるようなものだとは思っていないが、だとしてもわざわざ交番まで届けずとも見ぬ振りをする人の方が多いだろうに。一度は諦めたとはいえ、こうして手元に戻ってきてくれたのだ、拾ってくれた人と探してくれたイルには感謝の念を抱く。


「見つからなくても、それはそれでいいと思ったが……。……ありがとな」
「いえいえ。良かったですね、見つかって」


他人のことだというのに、目の前の少女はまるで自分のことのように嬉しそうに笑い続ける。それが何だか少し、くすぐったかった。


「……なあ、お前、この後少し時間とれるか?」
「へ? はあ、まあ予定はないですけど」


今夜はタルタロスに向かう予定もない。それを前提にしての問いにそう答えたイルは、不思議そうに首を傾げてこちらを見上げた。そんな彼女に、それなら付き合って欲しい場所があると告げ、寮の外へと連れ出す。ラウンジには梓董もいたため、彼に言い置きしてからついてきた辺り、律儀というか何というか……これで付き合ってはいないというのだから不思議でならない。

まあそれは荒垣が関与するところではないので置いておき、イルを連れ足を向けたのは、長鳴神社だった。

この場所に特別何か用があったわけではないが、人目を気にせず話をするには時間帯的な理由からも丁度いい場所なのだ。


「とりあえず座るか」


神社の境内に設えられた遊具傍にベンチもあるが、それより真っ先に選んだ場所が砂場近くの段差な辺り、コロマルとの散歩の時のクセが出たのだと思われる。イルも特に気にした様子もなく、荒垣の隣に腰を下ろした。


「この懐中時計の代わりっちゃ何だが、これをやる」
「え? わ、かわいい時計! ……もしかして、その懐中時計の代わりに使ってたんですか?」
「そんな趣味はねえよ。……あー、お前に、似合うかと思ってな」


差し出したのは、細い革の腕時計。シンプルだが可愛らしいデザインのそれは、どう見ても女物。見かけた時につい彼女に似合いそうだと思い、購入してしまったものだった。

もちろんきっかけは懐中時計の代わりとなる時計を探してたことに始まり、けれど予定外に見つけたそれに惹かれ購入してしまったというわけだ。とはいえ、後々よく考えれば渡すタイミング等をどうするか悩むところだったので、今日のこれは丁度良かったと思える。


「え、じゃああたしにわざわざ買ってくれたんですか? な、何か申し訳ないです」
「別にお前が気にすることじゃねえよ。俺が勝手に買ったんだ」
「えと、あの、あ、ありがとうございます」


遠慮して返す方が礼儀を失しているということくらいはわかるのか、イルは少しはにかむように微笑みながら、受け取った腕時計を大切そうに抱え込んだ。その姿に、僅か荒垣の表情も緩む。


「……お前が変だって言われんの、わかる気がする。馬鹿みてえにへらへらしてるくせに、謎だらけで、そのくせ物怖じすることもなければ妙に頑固なところもあって……でも、まっすぐなんだよな」


眩しいくらいに。揺るがない何かが、彼女の中心にはしっかりと立っている。そう思わせるアオイ瞳は、だからこそきっと他人を惹きつける何かを持っているのだろう。


「まあ俺にとっちゃあ手がかかるってのもあるけどな」


少し意地悪く口の端を持ち上げ、銀の髪をわしゃわしゃと撫でてやる。驚いてか小さな悲鳴が上がったが、さらさらと擦れあう銀糸が手に心地よかった。

少ししてその頭を解放してやれば、乱れた髪を直そうとすぐにイルが手櫛を入れ始める。その様子に一度目を細め、それから荒垣はまっすぐに彼女を見据えた。


「アキを……頼む。あいつ、馬鹿だから。馬鹿で、まっすぐで、誇り高くて、優しくて、泣き虫で……ガキだ。……だから、誰かがついててやんねーと」


突然何を、と思われるかもしれない。けれど、思ったのだ。

その誰かを任せるのなら、彼女がいい、と。

幸い、彼女は真田とも親しそうだし……というより精神レベルが似通っているといった方が正しそうだが、とにかく。真田の周りには多くの人がいることはわかっているが、その筆頭を彼女に任せたいと、そう思ったのだ。

そんな荒垣の言葉に、今までただ黙って話を聞いてくれていたイルが、きっぱりと一言言い放った。


「嫌です」


正直に言えば、全く想定していなかった答え。疑問が返ってくるだろうくらいは予期していたが、まさかそれすら通り越してきっぱりと拒否を紡がれるとは。

思わず目を僅か見開いてイルを見やれば、彼女は少しだけ表情を固くし、けれどそのアオイ瞳だけは相変わらずまっすぐに荒垣を見つめていた。




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