帰る、場所



今日はタルタロスの探索に行かないということもあり、少し思うところもあった荒垣は、夕食を済ませた後、一人寮の外へと出かけていた。

自戒、なのだろうか。あの時のことを思い出すと今でも酷く恐怖が襲ってくるし、何より……自分が、腹立たしくなる。ここにくるとその時のことを、より鮮明に思い出し、だからこそより強く思えるのだ。

償わないと、と。

覚悟は、とうにできている。あの時から、ずっと、ずっと……。

……それなのに。

溜息を一つ。揺るいではいけないと自らに言い聞かせ、空を見上げる。どこまでも暗いそこは、深淵へと誘うかのようにただただ深く、続いていた。







《09/26 帰る、場所》







何となく、今は寮に帰る気分になれなくて、何かしら時間が潰せそうなポロニアンモールまで足を運ぶ。帰る気分にはなれない、というよりも、帰ったらいけないような気がした、が正しいのかもしれない。今のあの場所は、自分にとってどうしようもなく苦しい場所だから。

温もりに息が詰まる、なんて、誰にも悟らせてはいけないのだ。

そんなことを考えつつ同時に時間の潰し方も考えていた荒垣は、その視界に見知った姿を認め眉根を寄せる。


「……おい」
「うぇ!? び、びっくりした……っ! 荒垣先輩じゃないですか。どうしたんですか、こんな時間に」
「いや、そりゃこっちの台詞だ」


こんな時間に、も、どうしたのか、も、問われるほど真面目な生活などしていなかった荒垣よりも、真面目かどうかはともかく、女子であるこの少女の方が問われるべき立場にあるはずだ。そんな思いで呆れからやってくる頭痛を覚えながら息を吐く。まあ、目の前の少女はそれでもきょとんと不思議そうに小首を傾げるのだから、頭痛は強まる一方なのだが。


「そういや初めて会った日も一人でふらふらしてたな。今日は怪我はしてねえだろうが、お前はもう少し女だって自覚を持て」
「あはは、あたし襲う物好きなんていませんよ。例えいたとしても全力で逃げれば何とかなると思いますし」
「……それ、そっくりそのまま桐条に言えるんだな?」
「うっ……。え、えーっと、で、できれば秘密にしていただけたら嬉しいなー、とか」


何だ、こちらには自覚があるのか。いや、自覚というより経験かもしれない。引きつった表情を浮かべる白い少女、イルの表情を目に荒垣の脳裏によぎるのは二つの文字。

処刑、だ。

まあいくら何でもそこまでされることはなかなかないだろうから、説教程度で収まっているだろうが。

とにかく。見かけてしまった以上放っておくのは寝覚めが悪い。特に前科持ちの少女だ、まっすぐ寮に帰れと告げてちゃんと帰るかなど怪しいもの。

……結局こうなるのか。

誰かの差し金なのではないかとすら思えるが、いくらなんでも考えすぎだろうと息を吐く。溜息は、腹の奥まで抱え込んだ重りを一緒に連れて行ってはくれなかった。


「ほら、帰るぞ」


口を吐く、帰るというその言葉。それが示す意味をふと考えてしまい思わず顔をしかめてしまう。


「……先輩?」


不思議そうに覗き込んでくるアオを認め、目を逸らす。臆すことなくまっすぐに注がれるその視線も、荒垣の息を詰まらせる要因の一つだった。……そう、いつの間にか、その一つになっていたのだ、この視線も。

ぐしゃり。軽く銀糸を撫でたその手の目的は、彼女の目線を下げること。

……そのまっすぐな視線を、受け止めることができなかったのだ。


「……何でもねえよ。ただ……帰る場所が、あるんだなと思っただけだ」


おかえり、と、何気ない平凡な言葉は、けれど本当は当たり前でも何でもない、とても尊くて優しい響きの温もりを宿しているもの。その温もりは居心地のよい日溜まりみたいな場所で……揺るぎたくなんかないのに、揺るぐことなど赦されるはずもないのに……足が、止まってしまう。

これではいけない。いけない、のに。


「そうですよ。荒垣先輩のこと、みんな頼りにしてるんですから! もうばっちしあの寮の一員です! ……って、あれ? 先輩の方が先輩なのか。うん? 先輩が先輩? あれ、何か何言ってるかわからなくなってきちゃったんですが」


むむむっ、と眉を顰めて唸るイルの姿がおかしくて。口元に少し浮かんだ笑みをそのままに、彼女の頭をぽんぽんと軽く二度叩いてその頭から手を離す。

真田にしろ彼女にしろ、どうしてこうも手がかかるのか。不快ではない辺り、それに手を焼くのは自身の性分であることは理解していた。


「そろそろ本当に帰るぞ。俺が桐条に怒られる。……そういや、今何時なんだ?」


冗談半分に、けれど一緒にいたと知れれば冗談に収まりきらなそうなことを口にして、ふと気に止めたそれ。辺りはすっかり暗くなってはいるが、一人でいた時はあまり時間を気にしなかった。だからこそ気に止めた今時間を調べようと無意識にポケットを探った手が、何を掴むことなくぴたりと止まる。浮かぶのは、苦い顔。


「あー……そうか、なくしたんだった」
「なくした? 何をですか?」
「大したもんじゃねえんだが……昔ある人に貰った懐中時計を、な……。まあそれはいい。どの道さっさと帰ることには変わらねえんだ」


ほら、行くぞ。伝えて歩き出した荒垣の後を、慌てた様子でついてくる足音が耳に響いた。








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