距離、再設定



これが荒垣でなければ、これ以上梓董達には付き合っていられないということとも思えるが、あいにく彼の行動はそんな理由からではないことくらい察するに易い。流されるように、去りゆく彼の背を見送る梓董とイルは、どちらも共にただただ生暖かく彼の背を見つめるだけだった。


「……いい人だよね、荒垣先輩って」
「うん」


ふんわりと呟くイルに同意。何というか本当にその言葉に尽きると思う。


「予定外に荒垣先輩と別れちゃったけど、どうする? ご飯、食べて帰る?」
「へ!?」


元より本当はそのつもりだったのだが、荒垣が帰ってしまうことは言葉通り予想外。今日のイルの様子を見るからに、二人きりで遊んで帰ることも食事をして帰ることも難しそうだが、もしかしたらと一応問うてみる。それに返る反応は、目を見開いて驚いている様子のものだった。


「あ、え、っと。あ、あたしも帰ろうか、な。ほら、今日は山岸さんに連絡してないし、急だとみんなにも悪いし」
「そっか。じゃあ、帰ろう」
「う、うん」


潔く退いたことが意外だったのか、安堵と戸惑いの入り混じったような複雑そうな声音で頷くイルに、けれどそれで本当に全部退いたりする気はない梓董は、自然を装い彼女へと右手を差し出した。当然のように、今度はきょとんと目を瞬かれる。


「え、な、何?」
「手。繋いで帰ろうかと思って。……嫌?」
「い、いやって言うか……。うう……ちょ、ちょっと戒凪、その顔反則……っ」


実は少し意図してます。とはもちろん言えず、小首を傾げ窺うようにイルの顔を覗き込めば、はねつけることなどできなかったのだろう、顔を真っ赤にしたイルが、おずおずと梓董の手を取った。離さないよう握りこんだその手は、自分の手よりも一回り小さく、柔らかく思える。

あの夏祭りの夜のことを思い起こすが、あの時と今とでは少し意味合いが違うように思えた。まあ自覚していたかいなかったかの差があるくらいで、こころの真ん中に違いはないだろうが。


「じゃあ、帰ろうか」
「う、うん」


隣に並ぶ彼女の温もりに、荒垣効果がどれほどあったかと考えると少し申し訳なくなるが、それでも最初のきっかけがなければ今のこの状況はなかったのだと思うとありがたく思える。繋がる手から伝う緊張も、それとていとしいと思うなんて、恋の病とは本当によく言ったものだ。これでは伊織の頭の中がお花畑だとて笑えない。


「あのさ、イル」
「え!?」
「……声、裏返ってる」


動揺しすぎなその反応がおかしくて思わず小さく吹き出せば、イルの顔が真っ赤に染まり。ああかわいいな、なんていちいち思ってしまう自分は多分、色々と末期なのだろう。それで全く構わないが。


「前にも少し話したと思うけど、俺、他人の気持ちとかよくわからなくなったまま育ってきた。……それは他人だけじゃなくて、自分の気持ちもそうなんだけど、だからなんだと思う。伝え方とかもよくわかってない」


すき、が、先行して、その表現方法がわからないのだ。思うままに伝えてみたり行動してみたりした結果、伊織に「お前って案外ストレートっつーか行動派だったんだな」と言われてしまった。そう言われてもあまりピンとこなかったが、もしかしたら自分の言動は普通、というか一般的ではないのかもしれない。その定義も、わからないのだが。


「俺はイルがすきだけど、それをイルが気負う必要なんてない。それは全部が全部はいそうですか、とはいかないのかもしれないけど……。でも、できればイルにはいつものように笑ってて欲しい。まっすぐで、いつでもだいじょうぶって笑ってて……いつもの変なイルでいて欲しいって思うんだ」


勝手だと思う、我儘だと思う。でも、こんな風に微妙な壁を感じる関係は嫌なのだ。隣で、笑っていて欲しいと、願うから。


「応えられないのはわかってる。でも……イルが抱えてるもの、いつか必ず話してくれるって言っただろ。待ってるから……気負わないで欲しい」


ああ、ことばってこんなに難しいものだったのか。伝えたかったもののどれだけを伝えられたのかも、伝えることができたのかもわからない。頭脳が天才レベルの成績学年トップなんて、こんな時何の役にも立ちやしないではないか。

どうにかもう少しまともな言葉選びができないだろうか。そんな思考を巡らせていると、ふいにぐっと腕を引かれた。正確には、イルと繋がれている右手が進まなくなった、だ。振り向けば、イルの足が止まっている。


「……話すよ、ちゃんと。あたしが誰なのかも、あたしが秘密にしていることも……戒凪に、応えられない理由も。あの人に会えたら、絶対に」


あの人。それが誰を示すかさえもわからないけど……見上げてくるアオは、やはりどこまでも澄んでいた。


「……嬉し恥ずかしすぎるのと、何も語っていないことが申し訳なさすぎてどうしたらいいのかあたしもわからなかったんだけど……でも、戒凪がそう言ってくれるなら……戒凪の隣を、歩かせて欲しい。戒凪を、守らせて欲しい」
「駄目」
「え!?」
「隣は歩いて欲しいけど、守られるのは嫌だ」


自覚した今ならわかる。頑なに梓董を守ろうとするイルのその姿勢にずっともやもやしていたその理由は。




「俺が、イルを守るよ」




守られたいんじゃない。守りたいのだ。

大切な、君だから。


「え、ええっ!? いやあのでも」
「あ、イル、俺今日唐揚げ食べたい」
「へ!? か、唐揚げ?」
「あとポテトサラダとグラタンとホッケと……」
「ちょ、待って待って! ざ、材料ないよ!?」
「じゃあ買って帰ろう」


ね、と笑いかければ、イルは何か言いたそうにこちらを見上げ返し。けれどまっすぐに見下ろしてくる梓董の眼差しを前に何かを悟ったのか、結局少し困ったように小さく笑い返して答えた。


「……そうだね。買って帰ろう。でもグラタンは明日ね」
「わかった」


まだ少しぎこちないかもしれない。けれど。

繋いだ手を握り返して君は隣で笑ってくれるから。

多分きっと、大丈夫だと。そう思った。








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