いい人の定義



「荒垣先輩! この間は本当にありがとうございました!」


にこにこにこにこ。心底嬉しそうに見上げてくるアオイ目に、何だか気恥ずかしいような照れくさいような気がして、おう、とただただぶっきらぼうに返し答えた。







《09/16 いい人の定義》







夕食後、部屋に戻る前にイルに呼び止められた荒垣は、お茶を淹れるからという彼女の言葉におされ、もうしばらくラウンジに留まることにする。宣言通り出された緑茶にとりあえず悪いな、と礼を告げれば、彼女はいえいえと笑って荒垣の正面の席に腰掛けた。


「そういえば、ここの台所、コーヒー豆挽くやつやフィルターとかまであるんですね」
「あ? ああ、ミルな。フィルターもそうだが、ネルもあるだろ、ここ」
「ねる?」
「フィルターが布になったやつだ。……もう使えねえだろうが」
「え、何でですか?」
「ネルは扱いが面倒なんだよ。放っておいて乾いちまうとコーヒーの油が布に染み込んだまま固まっちまって、味が落ちる」
「へー、詳しいんですね。コーヒー、好きなんですか?」
「……まあ、それなりにな」


答えつつ、コーヒー豆なら飲むよりも料理に使うことの方が多いが、と、内心で加える。ミルはともかく、ネルは下手したら黴が生えてしまっているのではないかと、イル達が使い始めるまでの台所の使用頻度を思い、眉根を寄せた。また改めて買ってきても、自分が使わなければ持ち腐れだろう。飲みたくなったらフィルターを使った方が良さそうだ。


「あの、話は変わるんですけど、ピーマンのこと、何で天田くんに教えちゃダメなんですか?」


せっかくおいしいと食べてくれたのだ。そのレシピを荒垣が教えてくれたのだと伝えれば、もう少し二人の仲も良い方向に向かうかもしれないのに。

イルが言いたいことは荒垣にもわかっている。わかってはいるけれど、それでも荒垣は頷かなかった。


「いいんだよ、そんなこと知らなくても。食べられたならそれでいい」
「むー、先輩がそれでいいなら天田くんには内緒にしておきますけど……でももったいないなあ。荒垣先輩いい人なんだぞってわかってもらうチャンスなのに」
「あのなあ、俺をいい人だなんざ、おまえくらいしか言わねえよ」
「え?」


わかりました、と口では言いつつも納得していなそうなイルの物言いに、荒垣は呆れ半分苦笑半分に溜息混じりでそう返す。それにイルは僅かばかり驚いた様子で目を瞬いてみせた。

……何かおかしなことでも言っただろうか。

訝しむ荒垣をよそに、その目の前でイルの表情がへらりと緩む。生暖かいようなその眼差しに、思わず僅か引いてしまった。


「荒垣先輩、わかってないですね〜。荒垣先輩がいい人なこと、知らないの、天田くんだけですよ」


ふふふー、と、してやったりな顔で笑うのはやめて欲しい。何となく腹が立つ。とはいえ、その言葉の内容に驚かされたことは事実だ。


「は? なんでそんなことになってんだ」
「なんでも何も仕方ないじゃないですか、いい人ですもん」
「おまえも恥ずかしげもなくいい人を連呼するな」
「じゃあ、兄貴と……あいたっ!」


何やら気分が乗ってきたのかイルが身を乗り出してきた拍子に、余計なことを言うなとばかりに頭を軽く小突いてやった。もちろん力加減はしてやっているので、イルの悲鳴も条件反射のようなものでしかないだろう。多分。


「ったく、おまえといると調子狂うな」
「えっ!? もしや荒垣先輩まであたしを変人扱いするんですか!?」
「……変人扱い受けてんのか」


ショックを受けている様子のところ悪いが、わかる気がすると思ってしまう。変か変じゃないかの二択にすれば、イルは間違いなく前者だと思えた。


「まあ、俺も変だとは思うが、あれだ。いい意味なんじゃねえか」
「変のいい意味ってなんですか」


それは知らない。
少し拗ねたように上目遣いで見上げてくるイルの頭を、今度は少し乱暴に撫で、立ち上がる。


「茶、うまかった。……機会があったら今度は俺がコーヒー淹れてやる」
「わわ、本当ですか?」
「……機会があったらな」


そんなに嬉しそうに表情を明らめられると、少しこそばゆくなる。照れ隠しに念を押した荒垣は、そのままイルと別れ階段を上り始めた。

その背に「だからいい人なんだよな〜」と、嬉しそうな呟きを聞きながら……。








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