育む輪
「やったね! やっと来たよ、この日が! あたし嬉しくて昨日寝れなかったよ!」
「大袈裟だって、イル。……なんて、私もすっごく楽しみにしてたんだけどね」
「もちろん私もですよ。桐条先輩!」
待ちに待ったこの日。イルと岩崎、西脇の三人に囲われ、皆から嬉しげな笑みを向けられた桐条は、照れくさいやら申し訳ないやらで微苦笑を浮かべ応えた。
夏休み期間中もグループのことや生徒会のこと等で奔走していた桐条は、今日ようやく時間を取ることができ、かねてから誘いを受けてはいたため、イルにその旨を伝えたのだが。正直、これほど喜んでもらえるなどと思ってもみなかったため、そういった経験に乏しい身としては戸惑いが強い。
もちろん、それ以上にこころが暖かくなったのだが。
「待たせてすまない。今日は一日、よろしく頼む」
「もちろんですよ! てか堅いですって」
「そうそう。気楽に楽しみましょう!」
ね、と笑う西脇と岩崎の方こそ最初は桐条に気後れしてばかりいたのに、いつの間にか屈託ない笑みを向けてくれるようになった二人が、とても暖かくそしてそれがとても心地良く感じる。そんな風に思えるようになったことが、そんな環境を得られたことが、少し前の自分からは全く想像できなくて。だからこそ今この柔らかな空気の中にいられていることを、とても尊くそして嬉しく思うのだ。
《08/30 育む輪》
「さ、さっきはその、すまなかった」
とりあえずまずは映画祭にでも参加しようか。そう切り出したのは西脇だったが、まさか今日のテーマが純愛特集だったなどと彼女も予想だにしておらず。女子四人で純愛もどうかとは思ったが、周りにも割と女友達で来ている人達がいたため気にするほどでもなかったかと結論付いた。
問題は。
内容に、身分差によるものも含まれていたということか。
最終的には王子とめでたく結ばれた一般女性。一般的にはハッピーエンドと称されるはずのそれは、けれど桐条にしてみればそうではなかったらしい。
最大の試練はむしろそこからだ。
今まで見たことがないほどに強く力説する桐条の姿に、皆戸惑うやら驚くやら。財閥令嬢だからこそわかる苦労。主演者を自分と重ねて見ていたらしい桐条は、映画の内容に納得がいかなかったらしい。しばし珍しく興奮気味に否定的な言葉を並べた後、とりあえず思いの丈を吐き出し満足したのか、ふと我に返った彼女は自分の冷静とはとても言えない言動に戸惑ったようで、慌ててすまない、と口にした。
もちろん、皆驚いただけで特に謝罪を求めるような感情を抱いたわけではなく。当然のように、気にしなくていいと笑って答えたのだった。
「そんな気にすることじゃないですって。むしろ、桐条先輩の新しい一面が見れて、親近感わきましたよ」
「西脇……」
西脇の言葉に同意を込めて頷く岩崎。そんな二人に少しくすぐったそうに桐条が微笑み、場に和やかな空気が満ち始めた……のだが。それを打ち消すように、突然イルが両手を叩いた。
「それ! それですよ!」
「……は?」
意味わからないと口にしたのは西脇と岩崎の二名だったが、唐突なイルの切り込みに当惑したのは桐条も同じこと。三人が揃って頭上に疑問符を浮かべる中、その困惑を招いた当の本人であるイルだけはどこか納得気味に数度頷いた。
「なんかなー、なんかアレだよなー、とは思ってたんですよ。そのアレが何か、今気付いたんですけど」
じっ。持ち上げられたまっすぐなアオが向けられる先には、桐条の姿。これまた突然射抜くように見つめられ、僅かばかり桐条の双眸が見開かれる。が、当然の如く、イルはお構いなしだった。
「桐条先輩! 美鶴先輩って呼んでもいいですか?」
「……え?」
真剣な眼差しで。身を乗り出して。オプションにこれでもかと期待に目を輝かせたイルの姿は、どことなく子犬を思わせる。
もし尻尾がついていたなら、ぱたぱたと忙しなく振り続けられていたことだろう。
まあ、アレやそれの示すものはいまいち理解できなかったが、それでも。
「ああ、もちろん構わない」
たかが呼び名、けれどそれはやはりたかがなどではなく。仲良くなりたいと願う相手なら、名字よりも名前で呼びたいと願う気持ちは何も不思議ではないだろう。
だからこそ、それを桐条が断る道理はなかった。桐条とて、イルに慕われてくすぐったくも嬉しくもあるのだから。
「やったね! わーい、美鶴先輩、美鶴先輩!」
「大袈裟だな、イルは」
飛び跳ねん勢いで嬉しそうに名を呼ばれ、気恥ずかしく思う気持ちもあるにはあるが、それでも。苦笑気味に告げる桐条の眼差しは、とても優しかった。
そして。そうきたら、当然の如く黙っていないのが置いてきぼりにされていた西脇と岩崎。桐条に対して畏敬の念よりも既に友情が上回っている二人がとった行動も、きっと道理なのだろう。
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