明王杯にて



「えっと、あの……ありがとうございます」


……何が、だろうか。

礼を言われる覚えなどない梓董はますます訝しみ思わず眉根を寄せてしまうが、入峰ははにかむようにただ微笑むだけで。そこには確かに感謝とどことなく喜びをも混じっているように思えた。


「早瀬と、仲良くしてあげてください」


よろしくお願いします、と。再度頭を下げた彼女は、その名を呼ぶ早瀬の声に短く返事を返し、今度こそ会釈を残し駆け去ってゆく。

嵐とまではいかずとも、その慌ただしい一連の流れが過ぎ去ったところで彼女の残した言葉をゆっくりと思い返した梓董は、ひそりと静かに一人思った。やはり保護者みたいだ、と。

どうやら入峰にとって早瀬はとても大切な存在らしい。自分には関係ないことだが、と、そう締めながら梓董は軽く結論付けた。

それにしても。


「うーん。私、やっぱりあの子見たことある気がするんだよね」


どこでだったかな、と、呟く月光館学園剣道部マネージャー西脇の言葉に、梓董も同じ感覚を再度抱く。それを口に出さない梓董に代わり、共にいた宮本が少しばかり呆れたような声を出した。


「何言ってんだよ。あの子ならこの間の練習試合に来てたじゃねえか」
「そうじゃなくてさ、もっと別のところで見た気がするの」
「んー? 俺にはわかんねえけど」
「いいよ別に。ミヤになんか答え求めてないし」
「なんだよ!」


騒がしく始まる仲良しコンビのやり取りはいつものことだと流しつつ、梓董が注目したのは宮本の様子の方だったりする。

西脇が感じた既視感のような感覚は、梓董も感じたが宮本には覚えがなかったようで。もしかしたら梓董と西脇は共通して、入峰自身か、もしくは彼女によく似た誰かを過去に見かけたことがあるのかもしれない。

そう考えたところでふと浮かび上がった一人の人物。梓董と西脇は良く知るが、宮本は多分あまり知らないだろうその彼女を思い浮かべ、もしかしてと脳内で照らし合わせてみる。

そうして考えてみると、確かに見た目や性格は違えど、どことなく仕草や表情は似ているような気はした。加えて、思い描いたその少女は自らの出自を施設育ちだと告げている。ありえない可能性ではないかもしれない。

が。それが無遠慮に問うていい話かと訊かれればそうはいかないだろう。その少女自身が気にしなくていいと言っていた出自は、けれど本当に配慮しなくていいとは思えない。梓董も似たような境遇で自分のことはどうとも思ってはいないが、彼女のこととなるとまた別だった。

他人の都合や考えなどどうでもいいと思いがちな梓董だが、彼女だけはその枠組みの中から外れているのだ。

傷付けたくない、なんて。思う相手ができるなど、少し前の自分からは到底想像できなかった。


「梓董くん? どうかした?」


ふと西脇に呼びかけられて我に返る。思ったより深く思考に耽っていたらしい。意識を現実に引き戻された梓董は、けれど今までの思考のことなど欠片も表にせず、普段通りのポーカーフェイスを貫き通した。


「何?」
「何、って。いや別に用があったわけじゃないけど……ぼんやりしてたみたいだから、どうしたのかなって」
「……何でもない」


問い返せば心配そうに西脇の視線が伏せられたため、梓董は首を振って何もないことを伝える。それに納得したかは定かではないが、少しは安堵できたらしい西脇の双眸が緩く細められた。


「そう。ならいいんだ。優勝できなかったのは惜しかったけど、準優勝だって充分凄いんだし、胸張って帰ろう? 梓董くんが準優勝したなんて聞いたら、イル、泣いちゃうかもよ」


いくらなんでも大袈裟な、とは言えない程度には想像がつくその姿を思い浮かべる梓董同様、自分でも想像してみたのだろう西脇から苦笑がもれる。大袈裟だとつっこんだのは宮本だけで、彼はやはりイルのことをよく知らないのだろうと思われた。

入峰がイルに似ている。そう感じ、想像以上にそれがしっくりときたわけだが、だからといって二人の関係を問い質す必要は特にないだろう。どこまで踏み込んでいい話題かもわからないそれは、だからこそ機会があったら尋ねればいい程度に収め、梓董はその思考に一旦終止符を打った。

イルと入峰の関係がどうであろうと、イルがイルでなくなるわけではない。

そうはっきりと胸中で思い、梓董は西脇や宮本らと共に帰還してゆくのだった。



ちなみに、だが。梓董の結果にイルが泣くことはなかったが、夕食がこれでもかと豪華だったことはきっと言うまでもない。









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