夏休みは計画的に!
「そうそう、戒凪、そろそろ明王杯でしょ? あのね、考えたんだけど、それまでの間、戒凪の朝食と夕食、あたしが作ってもいい?」
「……は?」
また何を唐突に。話の切り替えの早さにも驚きだが、その予期せぬ内容に梓董は思わず軽く目を瞬かせる。そんな彼にイルは変わらず笑みを浮かべたまま、乗り出した身だけは退いた。
「だって普段テキトーに食事とってるでしょ? ジャンクフードだったり、外食だったり。まあこの寮のみんな、割とそうだけど」
ちらりと彼女の視線が馳せられるのは、寮に備え付けられた台所。ラウンジのソファからも窺えるそこは、イルの言葉が暗に示す通り、あまりにもその役目を果たさせてもらっていない。イルが時折菓子やらを作っている以外は、湯を沸かすか買ってきたものをレンジで温めるかくらいの用途にしか使われていなかった。
……いや、前に異臭騒ぎがあったような気もするが。
とにかく、だということはイコール食事面ではイルの言う通り不摂生を通しているということで。それでは大会時に力が出し切れないという彼女の言葉も確かに的を射ている。
まあ、大会よりも日頃命をかけて戦っていることの方にこそよほど力を注ぐべきだとは思うが。というよりも、梓董はさほどその大会に熱を入れているわけではなかった。出る以上はそれなりに頑張るつもりではあるが、熱心に打ち込んでいるかといえばそうでもない。
梓董のこれで熱心だなどと言えば、同じ部の宮本に失礼だろう。大会に出られなくなってしまった彼を思えば、彼の分まで頑張るべきだろうかとくらいは思ってはいるが。
「……それはまあ、ありがたいけど……イルだって大会はなくとも合宿のための強化練習はあるんだろ? 無理はしない方がいいと思うけど」
本音を言えば確かにありがたい申し出だ。
梓董自身全く料理をしないわけでもできないわけでもないのだが、自分のためともなるとつい手間をかけることが億劫に思えてしまう。それがコンビニや外食に頼ってしまう大きな要因だったりした。
かと言ってそういった食事が好きかと言えば別にそういうことではなく。寮でちゃんとしたものが食べられるのならそれに越したことはないのだ。イルが料理をできるということを知っているからこそ、尚更。
けれど今梓董が口にした通り、イルとて決して暇なわけではない。運動部に所属する以上、彼女も明日から毎日疲れ果てる日々を送ることになるはずだ。だというのに自分のこと以外に更に労力を費やすなど、梓董にしてみれば考えられないことだし、また彼女自身の体のことも心配に思う。
疲れを溜め込んで倒れはしないか、と。
しかしそんな梓董の思いも気付かないらしいイルは、ただ笑ってだいじょうぶだと告げる。
「あたしなら平気だよ。好きでやらせてもらうんだから戒凪が気にすることないし。あ、そうだ! ついでって言ったら失礼だけど、天田くんの分も作らせてもらおうかな。少しの間だけど、でもちゃんと栄養とれた方がいいと思うし」
うんうんと、ひとりで提案しひとりで満足そうに頷くイルの中では、もう既に梓董と天田の朝食と夕食を作ることは決定しているようだ。どことなく楽しそうにすら見えるイルの表情に、梓董はそれ以上の言葉は水を差すだけだろうと口を開くことをやめた。
とにかく、どうやらこれで明王杯に力を入れなければならない理由が増えたらしい。優勝するぞという意気込みまでは抱けないまでも、せめて無様な報告だけはできまい。
いや、したくない、の間違いか。
イルならきっとどんな成績を報告しようが、健闘したと梓董を讃える。だが、それでは情けないのではないかと思う自分がいるのだ。
そんなこと、普段ならば気にもしないはずなのに、何故今回ばかり気になるのか。その理由はわからない。けれどやはり、どうせならいい結果を報告したいとそう願った。
誰かに対しそんなことを思う日が来るとは思ってもいなかったが、それもまた不思議と心地悪くないのだから少しばかりくすぐったく思う。
せめてこの強化合宿中は真面目に頑張るか、と。思う梓董の目の前で、白い少女が献立に頭を悩ませていた。
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