青い空と青い海と青い春と
へへ、とはにかむように笑うその姿から、そのことがよほど嬉しかったのだろうと思われた。買い物に行ってきたと言っていたあの日は、寮へと帰宅した時まるで抜け殻のようだったはずなのに。
……楽しすぎて気が抜けたということだったのだろうか。
よくわからない。
梓董には理解できそうになくとも構うことなくイルは嬉しそうにそう告げ、でもなあ、と僅かに眉根を寄せ続ける。
「あたし、肌を露出するの、好きじゃないんだよね。その、誇れるようなものでもないし」
最後は小さく。消え入るように紡がれたが、生憎隣に立つ梓董にはしっかりと聞こえてしまった。
イルはちらりと女性陣……おそらく桐条に視線を馳せると小さく溜息を吐き出す。もっとしっかり運動しておくべきだったか、などとぶつぶつ呟いているのも聞こえてしまった。
傍目にすれば、桐条のスタイルの方がとりわけ良いだけで、別にイルとて特別太っているようには見えない。まあ体のラインを隠すようにパーカーを着込んでいるのだから本当のところがどうかなど計れるはずもなし、何とも言えないのだが。
「……別に誰も見比べたりしないだろ。気にしすぎだ」
多分イルが思っているほど周りは気にしたりしない……と、思う。言い切れない要素がすぐ近くにいるので言い切ることはできないだろうが。
「もし気になるなら伊織が近付かないようにくらいはしてやれると思うけど」
掴んで捕らえるなりなんなり。告げた梓董をきょとんと見上げてくるイルの視線を受け、そこでようやく気が付いた。
これではまるで梓董まで、彼女にきちんと水着でいるよう促しているようではないか。
梓董にしてみればそんなつもりで言ったわけではなく、ただイルが友達に悪いと悩んでいるようだったから提案しただけだったのだが。失敗した、と、内心で自分の言葉に舌打ちする思いでいると、幸いにもイルは気にした様子もなくへらりとにっこり笑ってくれた。
「ありがと。じゃ、次はそうするね」
まだまだ日はあるし、次の機会もまだあるだろう。今更ここでパーカーを脱ぐ気は起きないらしくそう告げたイルに、梓董は小さくそう、とだけ返した。
そうしてふと視線を海へ移ろわせれば、いつの間にか伊織と真田が早くも中に突入していたようで。伊織が女性陣や梓董を急かすように呼ぶその姿に、思わず溜息が吐いて出た。
本当に元気な奴だ。
そんな風に思っていると、ふとどこかから視線を感じたような気がして条件反射で辺りを見回してみる。
「どうかした?」
突然の行動を不思議に思ったらしく声をかけてきたイルに意識を戻されると同時、その気配はまるで最初からなかったかのように霧散した。何だったのだろうかと訝しみながらもイルに首を振り応え、とりあえず梓董は呼ばれるまま伊織達の元まで向かう。
視線のことは気のせいだったかもしれないしと、すぐに忘れ去った。
その日の夜、皆を集めて桐条の父が話したことは数日前に桐条から聞いた話のほぼ補足。
彼女の祖父が欲したものは、時の流れを操作し、障害も例外も全て起こる前に除ける、未来を意のままにすることができる道具だったらしい。そのために研究を続けてきた彼は、けれど晩年になると深い虚無感を持ち始め、それ故に乱心してしまったのだと桐条の父は語る。それが、十年前の事故が起こる発端だったのだろう。語りながら桐条の父は当時現場にいた科学者が残したという、唯一の事故の様子の映像を皆に見せた。そこに映った痩身の男性は酷く疲れているようにも見え、けれどその瞳にだけは強い意志を宿しそれを伝える。
悪夢を終わらせるには、近隣に飛び散ってしまった多くのシャドウの悉(ことごと)くを消し去る他ない、と。そして彼は映像の最後をこう締めくくる。
この事故は、全てを知っていたのに当主に従う道を選んだ自分の責任なのだ、と……。
その映像が終わるや否や、桐条の慰めを拒絶して岳羽がこの場から走り去ってしまった。話の様子からしてどうやらあの映像に映っていた痩身の男性は、岳羽の父親だったらしい。
岳羽が十年前の事故に拘る理由は、自身の父親にあったのだ。
ずっとずっと信じ続けてきた父親が、影時間やタルタロス……それに多くの人を事故の犠牲にあわせた元凶の一人であったなどと。
信じられないし、信じたくないのだろう。
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