柿の木の行く末



「……わかった。おじいちゃんとおばあちゃんがそう言うなら……」


言いながらも完全に納得した様子ではないのは彼女にしたら仕方のないことなのかもしれない。それでも老夫婦の決意は揺るがないようだ。

……事故で亡くなった息子の遺した柿の木を切ることに同意する。

それが二人の決めたことだった。

残していて欲しくて、切らないで欲しくて……息子が確かに存在していたその証を。だからこそ願い続けたそれを、夫婦は自ら手放す覚悟を決めたのだ。

きっとそこに至るにはとても大きな葛藤と苦しみと痛みが伴ったことだろう。それでも夫婦はいつものように微笑んでいる。

優しく、優しく。
微笑んで、梓董達を見つめている。梓董以上に……自ら署名を集め出すほどに親身になっていたイルにしてみれば納得できないことは仕方のないことだろうけど。それでも逆に、我がことのように親身になっていたからこそ、イルは二人の想いを否定することもできずにいるのだろうとそう思えた。

他者との接触に常に一線置いている梓董には、そんな彼女の姿勢が酷く眩しいもののように思える。
……以前ならば、何も思わなかっただろうが。

それは白いキャンパスを彩る鮮やかな色彩が、また少し増えたようなそんな感覚。もしかしたらこれは彼女を介するとどんなことでも得られるものなのかもしれないと、そんなことをぼんやり考えながら、行き着いた先ではもしかしたら自分も彼女のように他者のために感情を震わせることができるようになるのかもしれない、なんて。

どこか遠くその時の自分の姿すら想像もつかないように思いながら、今はまだ他人事のようなそれをそのままに、今の梓董はやはり変わりなく傍観を貫くことにしていた。


「年寄りの我がままなんかで若人の学び舎や奪うわけにはいくまいて……。思い出にすがるよりも可能性を育てる方が息子は喜ぶと思うんじゃ」


息子は、教師だから。
にかりと快活に笑う文吉の笑顔に偽りも曇りもなく。それはただただ誇らしげで、けれどほんの少し……少しだけ、寂しそうにも見えた。

柿の木は、何も理由なく切られるわけではない。

今あの木が立っている場所には新しく校舎が建設されるのだそうだ。それを知ったからこそ……教師としての息子の在り方を知る老夫婦は、柿の木よりも息子の想いを汲み取ったのだろう。

きっと二人の息子は誰よりも教師らしく、また教師としての誇りを持ち、それ故に多くの生徒達を惹きつけた存在だったのだろうと、彼を知らない梓董達にもそんな風に想像できた。そのことを他の誰よりも目の前の老夫婦が証明している。そんな気が、した。


「そうじゃ! 二人に持っていてもらいたいものがあってのう……。えーっと、婆さん」
「はいはい。……これなんだけどね、貰ってくれないかしら?」


文吉に言われ光子が部屋の奥から取り出してきたそれは一つの柿の実。まだ熟してもいないそれを、光子は優しい笑みと共に梓董達へとそっと差し出してくる。

それをいつもと変わらず無表情に見やる梓董とは違い、イルは明らかに動揺を表し首を振った。


「これって……」
「あの柿から取れた柿の実じゃ」
「そ、そんな大事なもの、貰えないよ……っ」


ね、と、視線で同意を求めてくるイルにとりあえず軽く頷き同意を示すが、それで退くような老夫婦ではない。


「二人に貰ってもらえた方があいつも喜ぶはずじゃ。……あいつに似て、青くて少し不細工じゃが」
「そうね。それに、わたしたちはもっと大事なものを貰ったしね」


あくまで譲らない文吉に続く光子はやはり優しく微笑んだままで。生きてきたその分だけ暖かな皺の刻まれた手には変わらず、大切そうに数冊のノートが抱えられている。

それはイルが二人に渡した、署名を集めたノートだった。

柿の木を……二人の大事な息子を想う人々の名が連ねられた、どこまでも優しく暖かいノート。きっと二人にはそのノートが……息子が死してなお彼を想ってくれている人達が。

どこまでも、どこまでも、愛おしいのだろう。


「だから、ね」


お願い、と、ここまで言われたらそれ以上断る方が失礼か。既に亡くなってしまっている彼らの息子の本当の願いまではわからないが、それでもこれを受け取ることを老夫婦が望んでいるというのなら。

……それで、いいのだろう……きっと。




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