柿の木の行く末



昨日の今日ということもあり、寮内に蔓延する何とも重々しい空気を意にも介さずラウンジで毎週日曜恒例のフェザーマン鑑賞を堪能した梓董は、それで満足したのかソファに沈めていた自身の体をのんびりと持ち上げる。
同時に頭の中を巡りだした思考は、休日にこなせるコミュの種類とそのランク。他者との付き合いを打算的に行うことは人としてどうなのかと思われそうだが、他人にどう思われようともどうでもいい梓董は、とにかく街に繰り出すかと玄関へ向かうことにした。

それと丁度時を同じくして。背にした階段を慌ただしく駆け降りてくる足音に気付き、梓董は無表情のままそちらへと振り向いた。

おそらく今この状況下でそんな行動がとれるのはただ一人だろう。やろうと思えば梓董本人にも可能ではあるが、あいにくそんな労力を使う気は更々なかった。

振り返ったその先からこちらに向けて駆け寄ってきたのは、やはり予想に反せず彼の少女。

私服も白い、イルだった。


「おはよ、戒凪! 出かける前に間に合って良かったよ〜」


今日もへらりと笑みを浮かべ、イルは緩く安堵の息を吐きだす。何か用でもあるのかと梓董が問うよりも早く、イルはすぐさま自ら用件を語り出した。


「あのね、急な誘いになっちゃうんだけど、これからおじいちゃん達のとこ、行かない?」
「……おじいちゃん?」


誰のことかと考えを巡らせ、すぐに記憶から引っかかって出てきた顔は古本屋の老夫妻。仲睦まじく可愛らしいあの夫婦を、確かイルは本当の祖父母のように慕っていたと思い至る。
理解し梓董は一つ小さく頷いた。


「別に構わない」


特に用事があったわけではなし。まあいいかと結論付いた答えに満面の笑みを咲かせて喜んだイルは、決まったからには即行動とばかりに玄関の扉を開き梓董を招く。


「さ、行こ、戒凪」


声を弾ませ告げる彼女は、重苦しい空気を孕むこの寮においてそれに侵されることを知らぬとでもいうかのように清涼で。自身も無関心を貫いていた梓董なれど、そのあまりに普段通りな彼女の姿に思わず僅か呆れてしまった。

……いや、それ以上に。

ふわりと胸を満たす、どこか柔らかにも思える心地良い空気。確かにそれを感じ取り、梓董は知らず口元を緩める。


「イルはきっと、変わらないんだろうな」
「? 何の話?」


呟いた言葉の意味を解せず首を傾げる彼女に何でもないと首を振った。

目の前の白い少女はきっと、何があっても変わらずにそのままでいるのだろうと、感覚的にそう思う。

変わらずに、笑みを浮かべ続けてくれる、と。

そんな風に思え、何故かそれが嬉しいようなそんな気がするのだ。

本人は意識していないようだが、だからこそそれは本質として違和感なく感じ取れたのだろう。……それがきっと、イルというこの少女なのだ、と。


「……行くんだろう?」


口元を微かに緩める。笑ったとも言えないような小さな微笑は、それでも表情の変化が極端に乏しい梓董にしては珍しいもの。どうやら「どうでもいい」の中に落ちた色彩は、やはり自分に変化をもたらしてゆくようだ。

微睡むような柔らかな心地をじんわりと胸に広げる梓董へと返る返事は、やはりへらりと刻まれた嬉しそうな笑顔だった。










《07/12 柿の木の行く末》










「本当に、それでいいの?」


問いはするけれど納得しきれていない様子はありありと伝わってくる声音。傍らでそれを耳にしながら、しかし梓董は口を挟むことなく成り行きを傍観することに徹していた。


「……あの子も、そう望んでいると思うのよ」


だから、ね。

泣かないで。

数冊のノートを大事そうに胸元に抱きしめ告げる老婦人。彼女は不満そうに唇を尖らせる白い少女の頭を、慈愛に満ちた優しさでただただ緩やかに撫で続ける。その小さな手同様、彼女が生きた年月を物語る皺の刻まれた柔らかな面差しが、慈しみの笑みに形取られた。

実際には涙を見せていない少女は、しかしそんな老婦人の暖かい声音に何かに耐えるように一層唇を引き結ぶ。それから緩々と、その頭が小さく下げられた。
さらりと、銀糸が揺れる。




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