気付いた。
そう、気が付けたんだ、それに。
兄で良かったと、思う気持ちはとても穏やかだった。
終ノ裏 「兄であること」
何かの荷物が、この村がまだ村であった時のまま端に放置されている以外、取り立てて何があるわけでもない、それほど広くもない場所。
そんな蔵の内部は、丁度中間付近で鉄格子により分断されていた。
その一部分、扉となっている場所にかけられた錠前を持っていた鍵で開け、俺たちは更に奥へと進んで行く。
奥にはしつこくもまた扉が設えられていて、ご丁寧にもやはり鍵がかけられていた。
それにややうんざりしながらも、帰るためだから仕方がないとその鍵を開けようとしたその時、ふと唐突に茨羅が声を上げる。
「待って、兄さん」
まるで俺が鍵を開けるのを制止するかのようなその声に、思わず訝しんでしまった。
どうしたんだと問う視線を茨羅へと向ければ、彼女は俺のすぐ傍まで歩み寄り、鍵を持つ俺の手をそっと包み込んだ。
「……私にも、やらせて」
真っ直ぐに見上げてくる青い瞳。
母や父に似た強い光を宿すその眼差しは、それに見合う強い決意を表しているようで。
……ああ、そうか。
この村との決別なら、茨羅にも……いや、茨羅にこそする権利があるんだ。
そう理解し、その結論を疑うことなく俺は静かに彼女へと鍵を手渡す。
この扉ひとつでこの村のすべてと決別してくれるなら安いものだと、そう思って。
「ありがとう、兄さん」
ふわり。
微笑んだ茨羅の表情に覚えた微かな違和感。
……違う。
何が、なのかはわからないが、何かが確かに違うと、俺の中で警鐘が鳴り響く。
違う、違う……っ。
俺から受け取った鍵を使い扉を開ける茨羅の姿を見つめながら、徐々に徐々に強まるこれは……。
……焦燥。
駄目だ……っ。
これは、駄目なんだ。
開いた扉をまず茨羅がくぐり抜け、その後を澪ちゃん、深紅、樹月の順で続いてゆく。
扉の先は、細く長く続く下り階段になっていた。
後から入るひとたちのことを考え階段を少し下りて立ち止まる深紅たちとは違い、茨羅は何故か入ってすぐのところで足を止めている。
扉の、すぐ傍。
そこは、すぐにでも蔵側へと戻ってこれる場所だった。
……茨羅、お前はまさか……。
思い浮かんだ可能性に、どくり、と、体中が強く脈打つ。
それはまるでその考えが正解だとでも言っているかのようで。
俺は俯き、きつく両拳を握ると、みんなが入っていった扉を同じようにくぐり抜けた。
振り向いて確認すれば、案の定この扉のこちら側には鍵穴が見当たらない。
……やはり。
やはり、そうか。
確固たる確信に変わったものに、俺は怒りと哀しみと悔しさとが入り混じった複雑な感情が沸き上がってくるのを確かに感じていた。
この村は、本当にどこまで。
どこまで奪えば、気が済むんだ……っ!
皮が破けるんじゃないかってほど、きつくきつく拳を握り、奥歯を噛み締めるほどの憤りを何とか押し隠して茨羅の正面に移り、彼女を見下ろす。
前触れもなくとったその行動に驚いたのか、見上げてきた彼女の双眸は戸惑いに揺れていた。
「……兄さん?」
不安そうな声音。
見抜かれていないと思っていたなら、困惑してもおかしくはない。
が。
「茨羅、鍵を返せ」
「え?」
びくり、と、大袈裟なまでに跳ね上がる小さな肩。
まさかそう言われるとは思っていなかったんだろう、茨羅は胸元に鍵を抱きしめ狼狽する。
「ど、どうして?」
それは本来なら必要のない問い。
これからみんなで揃って帰るなら、鍵なんて誰が持っていようと同じなのだから。
それなのに、その問いが敢えて放たれたということは……。
「もうその鍵は必要ないだろ? それとも、必要とする理由があるのか?」
「そ、それは……」
心底困り果てたといった……いや、気付かれたくなかったことを見咎められ辛苦するような茨羅の表情。
そんな彼女を安心させるように優しくその頭を撫で、俺はできうる限りの柔らかく見えるだろう微笑を形作ってみせた。
「もういい。もういいんだ、茨羅」
「兄さん……」
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