「茨羅!」
唐突に大きな声で名を呼ばれて、跳ねるように飛び起きる。
今のは……何。
あれは……。
「茨羅!」
現実がどこかはっきりしなくて、靄がかかったような頭でぼんやりとしていた私は、突然きつく抱きしめられて我に返った。
……え、あれ、抱きしめ……? 何で……?
何が何だかわからなくて困惑する私の視界に、何故か深紅さんに押さえつけられて呻いている兄の姿と、泣き出しそうな表情でこちらを見下ろす澪ちゃんの姿が映った。
……兄さん……? それに、澪ちゃんに深紅さんも……。
え、あの、何でみんなが……?
あれ……それじゃあもしかして、私を抱きしめているのは……。
「い、つき……?」
確認するように小さく問えば、私を抱く腕に込められていた力が増す。
痛いくらいに強い力が、私の問いへの肯定。
「……樹月……」
ああ本当に。
本当に、樹月の温もりなんだって、そう思ったら体中から力が抜けた。
代わりに私の中を満たすように溢れた安心感が強く胸を締め付けて。
私は樹月の背に腕を回し、縋るようにしがみつく。
「無事で、良かった」
「……うん。樹月も」
「怪我は?」
「大丈夫。樹月は?」
「僕も平気」
僅かに震える声は互いに同じで。
でも、そんな樹月の声が心地良く私の中を満たしてくれた。
……良かった、会えて。
少しだけ体を離して見つめた樹月の瞳は、まだ少し不安そうに私を捉え。
安心させたくてその頬に触れたら、そんな私の手に自分の手を重ねて、樹月は柔らかく微笑んでくれた。
それが嬉しくて、私の頬も緩む。
直後。
「っきゃあっ!?」
不自然に樹月から引き離されて、今度は別の温もりに抱きすくめられた。
「えっ、えっ!?」
「……まったく……。本当に、あなたってひとは……」
呆れたような深紅さんの声音が降り。
少し離れてしまった樹月が、こちらを見て小さく苦笑する。
「さっきは我慢してやったんだっ、もういいだろ! 俺だって可愛い可愛い大事な妹の身を心配してたんだぞ!」
ぎゅっと、私を抱きしめながら耳元でそう抗議の声を上げたのは、私のたったひとりの大事な兄。
相変わらず私に過保護な兄の態度と言葉が、酷く私を安心させた。
「に、兄さん……。あの、私なら大丈夫だから」
だからそんなに心配しないでと、そう伝えても効果がない。
離さないとばかりに私を強く抱きしめる兄にひそりと苦笑して、私はそのまま澪ちゃんへと視線を向けた。
「澪ちゃん、大丈夫?」
問えば、途端に澪ちゃんの大きな目から涙が溢れ出す。
どど、どうしようっ、泣かせちゃった!?
焦るけど、兄に抱えられたままの私にはその涙を拭ってあげることはできなくて、代わりに深紅さんが澪ちゃんの背を優しく撫でてくれる。
「……ごめ、ごめんねっ、茨羅ちゃん……っ! 私、わたしのっ、せいで……っ。私、助けられっ、なかっ……!」
「澪ちゃん……」
しゃくりあげながらも懸命に謝り続ける澪ちゃん。
でも私は澪ちゃんに謝って欲しくてあの時残ったわけじゃない。
「大丈夫だよ、澪ちゃん。遅くなってごめんね。ちゃんとまた会えて、良かった」
「……うんっ」
できる限りの笑顔を浮かべて告げれば、澪ちゃんはまだ涙を残したままだったけれど、それでも笑みを返して頷いてくれる。
その様子に傍にいた深紅さんも表情を緩めていたけど、ふと真剣な表情を浮かべ直すとここにいる全員に告げた。
「茨羅ちゃんも見つかったことですし、早くここから出ましょう」
もっともな意見。
だからこそ異を唱えるひとはいなくて、渋々私から離れた兄が私に手を差し伸べ立たせてくれる。
何がどうなっているのかは私にはわからないけれど、それはここで訊くべきことじゃないみたい。
鉄格子の開いた一部を潜って外に出るみんなに続いて外に出ようとした私は、ふと視線を感じて振り向いた。
「……茨羅?」
「え? あ、ごめん。何でもない」
不安そうに声をかけてきた樹月に、慌てて首を振って答える。
確かに視線を感じたような気がしたんだけど……振り返った先には、何もなかった。
気のせいかと思い直して鉄格子を潜り外に出る。
ギィ……と錆びた音を伴いながら、私たちを外に出した鉄格子の一部が閉じられた。
――ニガサナイ。
ぞくり。
低く低く怨みと憎しみを強く込めたそんな声がすぐ傍から聞こえたような気がして、慌ててもう一度振り返る、けど。
そこにはただ、暗い闇が広がっているだけだった。
第十二幕・了
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