牽制



何が起きたかを理解するまでに少し時間がかかって。

その間ただ茫然と、走り去る彼女の背を見送ることしかできなかった。



――ごめんなさい。



幾度となく彼女の口から紡ぎ出されたその言葉は。

いつも、いつでも他人を想って紡がれているものだから。



……きっと、何かあったのだろうとそう思う。



だとしたら放ってはおけない。

放っておいたら、彼女はたぶんひとりで背負ってしまう。

ひとりきりで背負おうとしてしまうから……。




「……突然すみません。立花と申しますが……」




受話器を、取った。













八 「牽制」













茨羅の足取りを追うことはそう難しいことではない。

行動範囲が広くはない彼女が頼る先は、立花家以外となると澪という少女の元くらいに限られるからだ。

樹月自身、澪の記憶も残っていたし、あの村以外の場所……この時代でも数度面識を得ていた。

あの時の記憶を掘り起こさないよう気を遣い、なるべく会わないようにしていたが、その連絡先だけは一応聞いていて。

だからこそ、すぐにそこに連絡をとることができたのだ。


「……はい、天倉です」


受話器から聞こえてきた声は馴染みのない男性のもの。

それに僅かばかり眉根が寄るが、彼はおそらく澪の叔父の螢という人物だろうと思い至り、用件を述べる。

もちろん、茨羅のことについてだ。

最初は彼女のことを隠そうと言葉を濁していたりした螢だったが、どうやら彼は嘘を吐くことが苦手なようで。

そこに茨羅がいるだろうことは、すぐにわかった。


「すみません。彼女に会いたいので、そちらにお伺いしても構いませんか?」
「え!? いや、でも……」


樹月の問いかけにあからさまに狼狽える螢。

樹月は訝しげに眉根を寄せながらも、とにかく言葉を続けた。




「……彼女が僕に会うことを拒否しているんですか?」




考えたくはないけれど。

去った時の様子から考えて、そう簡単には会ってくれそうにない気がする。

そう思う樹月に、螢はしばし沈黙した後、観念したのか静かに事情を話してはじめてくれた。



皆神村から戻ってきた澪のこと。

彼女が見始めた夢のこと。

眠りの家と呼ばれる伝承。

そして……。



茨羅がそれに引き込まれてしまったこと。




「……彼女は君たちを巻き込みたくないと言っていた」


今度こそ、平穏に暮らしていけるはずだから。

その考えは実に彼女らしく、そういった優しさもまた彼女の魅力だとは思うけれど……。




「僕は、茨羅と一緒に生きる約束をしました。何があっても彼女を失うわけにはいきません」




彼女ひとりを危険な目に遭わせるわけにはいかない。



ともに生きていくと、そう望んだのだから。



だからこそ。




「茨羅に会わせて下さい」




強い意志を込め揺るがぬ声音で告げれば、僅か降りる沈黙。

どうあっても引く気はないが、とりあえず螢の出方を待っていると……。


「……わかった」


ややあって、呟くように返ってきた了承。

何とかそれを得ることができ、樹月は小さく安堵した、が。

それも束の間のことだった。

電話を切り、すぐに茨羅の元へと向かった樹月は、螢から聞いた事実と目の当たりにした茨羅の状態とに愕然とすることになる。







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