てあげ
お前のことは真冬からしっかりと任されてるんだ、その約束くらい果たさねえと真冬に顔向けできねえだろ。
それに深紅の霊力なら、きっといざという時に茨羅を守ってもらうことだってできる。
だから……。
「頼む、深紅」
そっと俺の着物の袖を掴む深紅の手を解こうとすれば、それは意外とすんなり離れてくれた。
深紅は俺の言葉に俯くと、震える声を悔しそうに紡ぎ出す。
「狡いですよ、弥生……。そんな顔で言われたら、断れないじゃないですか」
……え、俺どんな顔してた?
わからずに首を傾げる俺へ、深紅は勢いよく顔を上げると強く言葉を紡ぎ直す。
「帰ってきてくださいっ! 絶対ですよ!」
「わかってるって」
ま、当然だろ。
最初からそのつもりなんだしな。
それでも一応安心させようと深紅の頭を優しく撫で、それから俺は茨羅へと視線を向け直す。
茨羅はそれに何か言いたそうに口を開きかけたが、言葉として吐き出す前にその口を強く引き結ぶと、小さく精一杯微笑んでくれた。
「行ってらっしゃい、兄さん」
「ああ、行ってくる」
それはいつもの会話。
出かける前にはいつも交わしていた、何気ない挨拶。
だからこそ、何だか凄く安心した。
それはきっと変わりない見送りを受けられたからこそ、変わりない出迎えも受けられるだろうと、そう思わせてくれたからなのだろう。
いつも通り、は、こういう時にはひどく安心できるものだと柄にもなくそう感じた。
俺はみんなに背を向けると、見送られながら建物の中へと踏み入ってゆく。
「……暗……」
深紅とか螢とか怜とか……誰かに灯りを借りてくれば良かったな。
中の薄暗さにそんなことを思いつつも、視野がまったくの零というわけでもないため、そのままゆっくりと足を奥へと進めてゆく。
さほど広い造りをしていないためか、そう歩いてもいない内にすぐに開けた場所に出た。
「……うっ」
おいおいおい。
何て悪趣味な場所だよ。
思わず呻いてしまった俺の目の前の床や壁には、多くの刺青の巫女たちがまるで磔にでもされてしまったかのように穿たれていた。
氷室邸での縄の巫女も相当だったが、ここもまたかなり凄惨な光景だな。
俺は一度首を振ると、その中から零華を捜そうと目を凝らす。
ぐるりと軽く辺りを見渡してみれば、薄闇の中でもすぐにそうだとわかるほど零華はすぐに見つけることができた。
「……いたっ!」
思った通り、四肢には既に刺青木を穿たれ、その傍らには俺が彼女を零華だと判断できた一番の理由である……。
「……要。……っ!」
何だっ、頭に……何か映像が……っ。
唐突に、頭の中に直接流れ込んできた映像。
そこでは床に穿たれた零華の元へと要が駆け寄り、必死に彼女を呼んでいた。
その言葉に応えるようにゆっくりと目を開けた零華の瞳に映った光景は……。
久世家当主が振り下ろした凶器の下に倒れる、要の姿。
直後、零華の瞳に刺青……柊が刻まれてゆき……。
――ミタクナイ……。
闇が蛇の形を象って屋敷中へと駆け巡る。
その映像に思わず茫然としてしまった俺は、突然感じた鋭い悪寒にようやく我へと返った。
現実を捉え直した視界の先では、零華に穿たれていた刺青木が緩やかに抜けてゆくところで……。
「……ま、ずいっ……」
喉の奥がひきつるような感覚を覚えながら声を絞り出し、半歩足を退くと同時。
刺青木が完全に抜け体の自由を手に入れた零華がゆらりとその場に立ち上がり、刺青の刻まれたその双眸ではっきりと俺を捉えた。
「っ、ちっ!」
女性は斬れねえ、なんて言っている場合じゃねえだろうが、どのみち足場の悪さや広さの都合でここで刀を振るうには厳しい。
ここは一旦逃げるのが上策だな。
即座に判断し俺は急いで身を翻すと、外へと向かい駆け出した。
「弥生っ!」
出口付近で待っていたらしい深紅が、飛び出してきた俺を迎えるように呼びかけるが、今はそれに暢気に応じている時間はない。
「離れろ! 来るぞっ!」
俺の言葉よりも、伝う悪寒に。
みんなはすぐさまこの建物から離れた。
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