再出発
「また氷室邸かよ……」
せっかくあそこまで行ったのに、何で戻すんだよこの野郎。
……嫌がらせだな、絶対。
「何か……作為的な感じだよなー」
悪意的とも言う。
「変なこと言わないでください。さっさと行きますよ」
…………。
あのしおらしい深紅はどこいった。
拾六・黒 「再出発」
嫌がらせだ。
嫌がらせでしかない、絶対。
何で玄関もあの屋敷に続く扉も閉まってんだよ。
行ける道が限られちまうじゃねえか。
……何か誘われているみたいで気分悪いな。
「……で、またここか」
縄殿。
いい加減にしてくれ、本当に。
ここの思い出は心底いいものじゃねえんだぞ、まったく……。
「……霧絵の方が綺麗でしたよね」
こら深紅、そういう失礼なことは心で思え。
……まあ、確かに霧絵は美人だったが。
「弥生、今余計なこと考えていませんでしたか?」
……怖っ。
その笑顔、本気で怖いって、深紅。
怨霊を相手にするよりよっぽど背筋が冷たくなるんだが。
「考えてない。考えてないから、さっさと倒してくれ」
やはりと言うべきか、襲いかかってきた縄の巫女は両手足が不自然なほど異様に伸びた、気味が悪い程異質な姿で。
……いや、あれがあの儀式後の巫女の如実な姿なのだろう。
そう思うと、やはり気分が悪い。
ふと霧絵のことが頭をよぎったが、それを振り払うようにすぐに首を振り、現状へと目を向け直す。
だが、相手は女性。
あくまで俺には手が出せず、結局半ば呆れた様子で深紅が倒してくれた。
「……弥生、何だか本当に役立たずですね」
……くっ。
女性の比率が高いこの屋敷が悪いんだ。
男だらけなら斬って斬って斬りまくってやるのに……っ。
…………。
………………。
………………男だらけっていうのは嫌だな、やっぱり。
「……あ……」
そんな下らなくも俺にとっては割と切実な思考をしていると、ふいに困惑と当惑を宿した深紅の小さな声が聞こえてきた。
それを耳にすぐに思考を抑え、彼女の視線の先を追ってみる。
「……真冬……」
そこには、縄殿の奥に進もうとする真冬の姿があった。
真冬は奥の扉を開き、そして……。
奥へと、消えていく。
「……兄さん」
もしもここで真冬を追うことで、あいつが戻ってくるというのなら……。
そんな愚かしい考えも抱くが、それはできないことだし、何よりあいつ自身が望んでいないはずだ。
そう理解はしていても、そのまま僅かの時間、真冬が消えていった扉から目を逸らせずにいた俺と深紅。
想いはきっと、同じだろう。
愚かだとわかっていても、願わずにはいられない。
それがきっと、この屋敷に囚われてしまう原因となる。
しばらくぼんやり立ち尽くしていた俺たちだったが、やがて小さく息を吐いた深紅が、ゆっくりと俺を見上げてきた。
「戻りましょう、弥生」
柔らかく微笑を浮かべて。
その目元に僅かに涙を浮かべながらも、深紅はしっかりと帰るための扉に手をかける。
「……そうだな。帰るか」
深紅の頭を軽く撫でれば、彼女は小さく笑って頷いた。
俺は深紅に頷き返すと、ともにこの縄殿を後にする。
振り返ることはもう、なかった。
「……開かねえじゃねえか。この野郎」
玄関まで戻ってきたというのに、その扉は未だ固く閉ざされたままで。
本当に、嫌がらせだと思う。
「……弥生っ」
深紅に呼ばれて振り向けば、彼女はあの眠りの家へと続く扉の前にいて。
すぐに駆け寄れば、目の前の扉を僅かに開いてみせた。
「開いてる……」
さっきは開かなかったっていうのに。
…………。
「罠だな」
「そうですね。嫌な予感がしますし」
……行かねえぞ、絶対。
「でも、他に道は……」
「深紅」
ないなら造ればいい。
俺は不敵に笑い、刀の柄に手をかける。
たまには使ってやらねえとな。
「……弥生、まさか……」
「怒るなよ?」
理解したらしい深紅にそう告げ、玄関へと向かう。
「……知りませんよ?」
そう言いながらも笑っているだろうことは、その声音から知ることができて。
だからこそ俺は苦笑しつつ、刀を抜いた。
「帰るぞ、深紅」
一閃。
斬り裂かれた扉は白い光を放ち。
俺の意識はそこで途切れた。
拾六・黒・了
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