「茨羅ちゃん、あの奥!」


怜さんに呼ばれて我に返る。

呻き声のようなものはまだ聞こえるけど、息苦しい感じは少し和らいだ気がした。

……我に返ることで和らいだということは、あの息苦しさは誰かの感覚だったんだろうか。

ふと視界に入った壁の染みが、何だか人の形に見えてくる。

そう思ったところで背筋に寒気を感じて、それを振り払おうと慌てて首を振った。

……まさか、ね。


「茨羅ちゃん?」
「あ、今行きます」


先に進んでいた怜さんに呼ばれ、私はすぐに駆け出し彼女の元まで向かう。

直後、周りの呻き声よりもより正確に、低くくぐもった苦鳴のような呻き声が聞こえてきた。


「な、何?」


戸惑う私と怜さんをよそに、その声はやがて小さくおさまっていく。


「……中から聞こえてきたわね……」


そう呟く怜さんの視線の先には、四角く継ぎ接ぎされた壁があって……。


「……開くようになっている、ってことかしら」


言いながらそこに手を置き開くかどうか試してみると、予想通りそこは開くようになっていた。

ぽっかりと開いた四角い穴に、怜さんは躊躇う素振りもみせず入っていく。

……すごい。

怖くないのかな?

そう思いはしても、ここで足踏みしている暇はない。

澪ちゃんのことを思い返し、私も意を決して怜さんの後に続き中に入ってゆく、けど……。


「ひっ!?」


息を飲んだのは、私だけじゃなかった。

くぐり抜けた壁の穴の奥、小さく四角に間取りされた部屋の足下には夥しいまでの血だまりが広がっていて……。



その血だまりの中で、男の人が事切れていたのだ。



これは……「今」の光景じゃない。

そうわかってはいるけれど……ありえないものたちとは違う生々しい「死」に、私は思わず目を逸らしてしまった。

その間に怜さんが、怜さんも持っていたらしい写影機で男性を写し撮っていたみたい。

かしゃん、と、軽い音が聞こえて怜さんを見れば、丁度射影機を下ろしているところだった。

……本当に、すごいな、怜さん。


「行きましょう、茨羅ちゃん」


これで屋敷の奥の扉が開くはずだから、と。

そう告げて身を翻す怜さんの後を、私は慌てて追いかけた。












大きな木を囲う回廊に出て。

その奥の扉に、怜さんが静かに手をかける。


「……優雨……」


扉に触れながら彼女が呟いたその名前。

私が知らないそのひとは、怜さんの恋人であり兄の友達でもあるひと。

そして……。



――……亡くなって、しまったひとでもある。




「……怜さん……」


頭のどこかで声がした。

追わせてはいけない、と。

けれど……。




「開けてはならぬ。破戒が……」




突然聞こえてきたその声に驚いて振り返れば、そこには血だまりの中で事切れていたあの男性が立っていて……。



彼に気を取られた隙に、ばたんと扉が閉まる音がした。




「怜さん!?」




慌てて視線を戻したけれど、怜さんの姿は見付からない。

同時に、あの男性の気配も消えたけれど……。



残された私は、ただ茫然と扉を見つめることしかできずにいた。












拾・紅・了



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