千歳
「千歳ちゃん」
「千歳」
押し入れの前まで来て、睦月と共になるべく優しく呼びかける。
大丈夫、大丈夫だから出ておいで、と、そんな思いを込めて。
ゆっくりと戸が開かれたのは、迷うように少しだけ時間を開けた後だった。
開かれてゆくその戸の奥、押し入れの中から姿を現したのは、紅い着物を着たまだ幼い女の子。
中にいたのは、予想通り千歳ちゃんだったようだ。
「お姉ちゃん……? むつき、お兄ちゃん……っ!」
「うん。おいで、千歳ちゃん」
「うっ……。うわぁあぁぁんっ! お姉ちゃんっ!」
呼びかけていたのが私と睦月だったとわかるなり、千歳ちゃんは驚いた様子で目を瞬かせ。
次いですぐに顔を歪ませると、泣きじゃくりながら、勢いよく私に抱きついてきた。
嗚咽をもらし小さな体を震わせしがみついてくる千歳ちゃんの頭を、私は宥めるように優しくゆっくり撫でてゆく。
それを何度も繰り返して、千歳ちゃんが落ち着くのを待った。
「ごめんね、千歳ちゃん……。ひとりで、怖かったよね」
「うんっ」
「寂しい思いをさせて、ごめんな、千歳」
「うんっ」
千歳ちゃんが落ち着いてくれるまで待ってから、私と睦月は彼女の目線に合わせて膝を折る。
もう声を上げるほどではないにしても、それでもまだ涙が止まらないらしい彼女は、ただただその目元に自身の着物の袖を当て、溢れる涙を拭っていた。
「千歳、もうひとりにしないから」
「むつきお兄ちゃん……」
睦月の言葉を受けて、今までの心細さや寂しさを訴えるかのように、彼へとぎゅっと抱きつく千歳ちゃん。
睦月は妹のその小さな体を受け止めると、その背をゆっくりと優しく撫でてあげた。
そんな二人の姿を目に、私は小さく緩く微笑を刻む。
……思わず、二人の様子を兄と私の姿に重ねてみてしまった。
「……あの」
「あ」
待ちきれなくなったらしい澪ちゃんが、ついにおずおずと声をかけてくる。
その声で彼女の存在に気付いたらしい千歳ちゃんが、大きく目を見開いた。
直後にその目に宿った敵意に気付き、私は慌てて二人の間に体を割り込ませる。
「やえ……っ!」
「ま、待って、千歳ちゃんっ! この人は違うのっ! 八重じゃないよ」
「お姉ちゃん……。やえじゃ、ない?」
身構える千歳ちゃんを慌てて止めれば、彼女は表情を困惑に変えて私と澪ちゃんを交互に見つめた。
そんな千歳ちゃんの頭を、睦月が優しく撫でて諭す。
「千歳、この人は澪さん。茨羅の言う通り、八重じゃないよ」
「……ごめんなさい」
睦月に諭され、千歳ちゃんはもう一度澪ちゃんに視線を馳せると素直に頭を下げて謝った。
それに澪ちゃんは慌てて首を振る。
「ううん、いいの。それより……」
言いかけた言葉の先を、私へと託すかのように。
澪ちゃんの視線が、私に向けられた。
私は彼女に頷いて応えると、真っ直ぐに千歳ちゃんを見つめ直す。
大丈夫、覚えてるよ。
「ねえ、千歳ちゃん。樹月の部屋の鍵、今持っている?」
「うん。もってるよ」
「あのね。そこに、澪ちゃんのお姉さんがいるの。だから、お願い。少しだけその鍵を貸してもらってもいい?」
「お姉ちゃんのおねがいなら……。えっと。はい、どうぞ」
「ありがとう、千歳ちゃん」
私は千歳ちゃんから鍵を借りると、笑顔を浮かべてお礼を言った。
千歳ちゃんも私に笑顔で応えてくれて。
「じゃあ、行こうか」
睦月の手を、今度は千歳ちゃんに譲り。
私たちは繭ちゃんに会うために、樹月の部屋を目指して歩き出した。
九之路・了
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