霧絵
ここが……黄泉の門、か。
障気を吹き出す、忌まわしき儀式によって封じられ続けてきていた場所。
……今でこそこの障気は屋敷全体を覆い尽くしているが、それでもやはり大元の近くともなるとその重みや息苦しさは他の場所よりも増して感じる。
「っ兄さんっ!」
門を見つめていた俺は、叫ぶように放たれた深紅の声に慌てて我に返り、彼女の方へと振り向いた。
「……真冬……」
今まで、あいつの姿を見つけても無視され続けていた理由は、この屋敷の空間がズレているからだとかで。
俺がこの屋敷に来て、最初に感じた妙な感覚と、刀の空間移動の能力が使えなくなった原因は、やはりそこに在ったようだ。
とにかく、今こうして深紅の近くに立つ真冬が振り向いたってことは、俺たちのいる空間が重なってくれたということなのだろう。
これで、ようやく再会できる。
そう、思ったのだが……。
「っ! 深紅っ、待てっ!」
「! 兄、さん……っ」
真冬の、すぐ後ろに……。
霧絵の姿が……。
――コレカラハ、ズットイッショ。
歪な、声で。
そう紡ぎ出しながら、霧絵の闇が真冬を飲み込んでゆく。
俺は、霧絵の闇に引き込まれていく真冬の手を……。
取ってやることが、できなかった……。
第十五夜 「霧絵」
地震が……酷い。
さっきまでより頻繁に、しかも大きく揺れ出しやがった上に、足場がやたらと狭くて、うまく立ち回るだけでも困難な現状。
俺たちはそんな状況を強いられてるというのに、宙に浮かぶ霧絵はそれを苦にすることなどまったくなく、緩やかに緩やかに、しかし確実に俺たちへと近付いてきていた。
そんな彼女を、少しずつ後退りながら、深紅が懸命に射影機で写してゆく。
何度も、何度も。
もうこれ以上、彼女に捕まるわけにはいかないから。
不幸中の幸いか、どうやらそれは霧絵に対し僅かながらも効果を成しているようで。
……なんとかこの場を乗りきれねえかと、みえない先に焦りつつそう願う。
だが、やがて……。
「っ! ちっ……!」
後退る片足が、足場からずるりと落ち慌てて引き戻した。
狭い足場の下に広がるのは、深い深い暗闇。
どこに続くかわからないそこに、草履に引っかけられた砂が小さな音を立てて落ちてゆく。
もう、後がない。
……追い込まれた。
「弥生……っ! きゃあっ!?」
後がないことは当然、俺の傍にいる深紅にもわかっていること。
焦燥に駆られた深紅の声が縋るように俺の名を呼ぶが、それはすぐに短い悲鳴へと変じ。
それと同時に、射影機が突然眩い光を放ち出し、深紅の手から離れ放り出されてしまう。
「深紅っ!」
すぐに深紅を引き寄せて、俺は刀の柄を握り引き抜いた。
射影機は深紅の手元から離れ、俺たちからやや遠い場所に放り出されて傍目からもわかるほどに壊れてしまっている。
ということはつまり、今武器となりうるものは俺のこの刀だけ。
だが……。
霧絵が従える、あの無数の腕に捕まることなく、この刀の間合いまで踏み込み彼女を斬ることが、はたしてできるのだろうか。
「弥生、無理しない……え?」
「……っ!」
深紅の手から離れ、落ちて壊れてしまった射影機の傍に、突然白い着物を着た少女が現れた。
俺たちを幾度となく助けてくれた彼女は、ただ黙って壊れた射影機を指で示す。
そこには……。
「深紅、先にあの岩のところに行ってろ。俺が拾ってくる」
「……わかりました」
割れた御神鏡の破片の、最後の一枚。
それは、深紅の射影機の中にあった。
そんなところにあっただなんて、それは見つからないはずだと思いながらも、射影機が壊れたことにより外に出たそれを素早く回収しに向かう。
霧絵が放つ霊気をひしひしと感じながら、背筋が凍える感覚も無視して駆け続け、落ちていた鏡の破片を拾い上げた。
もちろんそこで立ち止まったりなんかせず、さっさと身を翻して今度は深紅がいる場所を目指して駆け出す。
揺れる地面に足をとられかけるが、重心を変えることでなんとか踏みとどまりつつようやくそこまで辿り着いた。
黄泉へと通ずる門の前。
そこにある岩に、円形状の窪みがあった。
それがかつて、御神鏡が納められていたはずの場所なのだろう。
……とにかくそこに鏡を戻せということなのだと俺たちは考えたわけだ。
すぐ後ろにまで霧絵の気配が迫っていることを否応なしに感じさせられるが、今は振り返って確認している余裕などない。
ただただ、その手に捕まらないことを願いながら、俺は深紅のいる岩の前まで辿り着いた。
「弥生っ!」
「わかってるっ!」
窪みには、すでに他の鏡の欠片が埋められてあり。
後は、俺の持つ最後の一枚をはめるだけ。
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