トウ



「茨羅……幸せに」


そう、お前は幸せに生きてくれ。

生きなければならないんだ。


「兄さんっっ!」


そう叫んで俺の目の前からその姿を消し去った最愛の妹の幸を、切に願った。













トウ・アニ













嫌がる妹を無理矢理俺の能力で逃がし、村に残った俺は立花家を目指す。

祭も迫っている今、あいつらに会うことは容易ではない。

だから俺はこの刀の能力を使った。

幸い、時間を越えようとはしなかったからか、思うように移動でき。


「……樹月」
「弥生……、また無茶な現れ方をしたね」


今目の前にいるのは、俺の可愛い可愛い大事な妹を誑かした、この世の誰よりも忌まわしく憎らしい男、立花樹月。


「……随分な言い方だよね」
「おっと、口に出てたか?」
「わざとなクセに」


にやりと意地悪く笑って見せると、樹月は呆れた様子で溜息を吐いた。

ここまではいつものやりとりだが、それもすぐに終わりを告げ、樹月の表情が真剣なものへと変わる。

案じるような色を映したその黒い瞳が、ひどくまっすぐに、強く俺を見据えてきた。


「茨羅は?」
「逃がした」


間髪入れずに答えてやると、樹月はあからさまに安堵の表情を浮かべ、小さく息を吐いて微笑すら浮かべてみせる。



まったく……。

お前は本当に茨羅のことを大事に想っているんだな。



「……悪いな」


そんなお前から茨羅を引き離して。

本当なら、皆連れて行ってやりたいのに。

皆まで口にせずとも、樹月は俺のその考えを理解しているかのように、優しい微笑を刻んだまま緩やかに首を振った。

まるで最初から何ひとつ恨んでなんかいないとでもいうかのように、その笑みはどこまでも深く慈愛を湛えている。



……俺の方が、耐えきれなくなりそうなほどに。




「茨羅が無事なら、僕は充分だよ」




……わかってないな。

その茨羅こそが、お前と共に在り続けたいと願っていたのに。



いや、それは俺にも言えることか……。



茨羅はきっと、皆と共に在りたかったんだろうな……。




「樹月、俺はこれから黒澤家当主の所に行ってくる」


その目的はただひとつ。

それを理解しているからこそ、樹月は浮かべていた笑みを消し、その表情を曇らせて顔を伏せた。


「悪いが、睦月には会っていかない」


あいつは、あの儀式を望んでいるから。

それを阻止しようとしている俺を、何とかして止めようとするだろう。

だから、会えない。


「……ねえ弥生、ひとつ、約束してくれないかな?」
「内容によるな」


鼻を鳴らして偉そうに答えれてやれば、樹月はやはり苦笑した。

お前になんか気を遣ってやるのは癪だが、それでも今はなるべく普段と変わらぬ態度で接してやりたい。

口には出さずとも、樹月だって不安や迷い、躊躇いを感じているはずだから。




「必ず、生きて欲しい。君は必ず茨羅の傍に在ってくれ」




っ、どうしてお前はそう……っ!

俺は樹月の言葉に歯がゆさを感じながらも、それを何とか胸の内だけに抑え、ただ頷いて答える。


「……わかってるさ。俺はここで死ぬわけにはいかない。茨羅を哀しませるわけにはいかないからな」


俺のその言葉に、樹月は心から安心したように穏やかに笑った。



お前は、理解していて……抗わないんだな。



それが諦めと同義かは俺が決めることじゃないだろうが……。



それでも、俺は、認めない。



変わらないモノなど、ないんだ。



そうでなければ、俺のこの能力は一体何のために存在するっていうんだ。




「樹月」




名前を、呼ぶ。

幼い頃から幾度となく口にしたその名前を。




「……何?」
「また会えたら、俺を兄と呼ぶことを考えてやる」
「え……」




本当は心底嫌だけど。

茨羅は誰にもやりたくねえからな。



だが……。



――お前の名前を呼ぶことを、これが最後には絶対にしないと誓う、その証に。




「じゃ、行ってくる」




ただいまは、茨羅と共に。



その想いを胸中に抱き、俺は身を翻して樹月に背を向ける。

そんな俺の背に、樹月から声がかけられた。




「弥生。……必ず、また会えると信じてる。茨羅の前で、兄と呼ばせてもらうから」




振り向かない。



振り向かないでいてやるよ。



だから……。





また会えた時は、笑っていろよ?















トウ・了



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