ク
「……やれやれ、ようやく戻ってこれたな……」
あの、言葉には尽くしきれないほどいろいろあった屋敷を出て。
その結果への感傷に浸る暇すらなく。
俺は、皆神村へと戻ってきた。
ク・クルッタチカラ
……どういうことだ?
何で、立花家が締め切られている?
俺は現状が理解できず、堅く閉ざされまったく開く様子すら見せない扉の前で、ただ呆然と立ち尽くす。
そこへ……。
「! 弥生!」
呼ばれて振り返った先に立っていたのは、黒澤家の双子のひとり。
「八重」
八重は俺へと駆け寄ると、眉根を寄せて俺を見上げてきた。
「帰ってくるの、遅いよ……っ。もう、樹月君たち、禊ぎに入っちゃった……」
「……は?」
何を言ってる?
俺は随分余裕を持って未来に行ったぞ?
氷室邸にいた時間だって、長くは感じたが、実際はそれ程長い間でもなかったし……。
……まさか。
「……狂った、のか?」
あの屋敷の空間のずれに影響されて、この刀の能力が狂ったとでもいうのだろうか。
考えうる可能性はそれしかないが、その真偽を確かめる時間すら今は惜しい。
「八重っ、茨羅はっ?」
「まだ牢には入れられていないけど……。今は私たちの家に、千歳ちゃんと一緒にいる」
「そうか。会いに行く」
八重の答えを聞き、すぐさま黒澤家へと向かおうと踵を返した俺は、しかし直後に着物の袖を八重が軽く引いてきたため、歩みを阻止される。
どうしたのかと肩越しに振り返れば、真剣さと不安にも似た色を宿した黒い双眸が、まっすぐに俺を見上げてきていた。
「八重?」
「……樹月君と睦月君から、言伝があるの」
樹月たちから?
「茨羅と、逃げて欲しい……って」
「!」
……あいつら……っ。
「あのね、弥生っ、私たちも同じ想いなの」
八重は俺を見上げて一息に素早く告げきると、その勢いはどこへやら、肩を落として小さく俯いた。
隠された表情は読めなかったが、それでも絞り出すような震えた声音が、苦しみを訴えてきているように思わせる。
一瞬、あの屋敷で出会ったその姿を思い出してしまい、俺はそれを振り払うかのように小さく首を振った。
「樹月君たちの儀式、止めたかったけど……。それに、儀式に何かあるとは思いたくないけど、でも……っ」
客人……楔、か。
茨羅が……そして俺が捕まるのも、時間の問題だろうな。
「真壁さんたちは私たちが何とかするから。だからお願い、弥生たちは先に逃げて」
生きてくれ、と。
八重たちも、樹月たちも……。
……真冬だって。
どうして、俺の周りの奴らは他人のことばかり優先するんだ。
自分の身が置かれている状況からすれば、そんな余裕なんてどこにもないはずなのに。
思わず握りしめた拳から、骨が軋むような音が聞こえた気がしたが、それを八重には悟られないよう平静さを装う。
下手に心配かけて、八重の心的負担を増やしてしまいたくはないからな。
「……わかった。とりあえず、未来にあてがあることだし、先に茨羅を逃がす」
「弥生……。うん……」
茨羅は、逃がす。
だが、俺は……。
まだ、儀式を止めることを……諦めてなんかいねえんだ。
ク・了
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