八重


「八重、無理に思い出さなくていい。多分、宗方もそれを望んだんだろ」


俺の考え通りなら、八重が直面した現実は、きっとあまりにも辛いものだったはずだ。

それこそ、記憶を失ったとしても、おかしくはないほどに。

俺は、死んでなお、八重にそんな辛い想いをして欲しくなんかない。


「弥生、さん……」
「もう、休め。このままなんて、辛すぎるだろ。……深紅」
「はい」
「……頼む」
「……はい」


思い出さなくて、いい。

後は、宗方にでも問いただしてやるから。

だから、八重は、眠ってくれ。

そう願い、もちろん俺の刀を八重に向けることなんてできるはずもないから、深紅の射影機を頼りにする。

すぐに俺の意図を察し頷いてくれた深紅がゆっくりと射影機を八重へと向け、構えた。

その指が八重を撮るために動こうとする直前、八重が慌てた様子で必死に身を乗り出してくる。


「待って下さい! 私は……私は、美琴を……」
「……ミコト」


八重と宗方の娘か……。

これだけ必死に会いたがっているんだ、会わせてやりたいのは山々だが、その行方を知ることは……。


「ミコト……。さっきの少年との話からも、気にはなっていたんですけど……」


一度構えた射影機を下ろし、深紅が小さく首を傾げる。

今まで黙っていてくれた分、今になって口を開いた深紅の紡ぐ言葉が気になり、俺は彼女へと視線を向けた。

深紅は少し躊躇うようなそんな素振りを見せてから、それでもゆっくりと言葉を繋げてゆく。


「私の祖母、幼い頃の記憶を失くしていて、曾祖父に引き取られた養女らしいんです。名前は……美琴。……偶然、かもしれませんけど……」
「………」


八重は、そう言う深紅をじっと見つめ、次いで彼女の手にある射影機に目を移し、驚いた様子で口元に手を当て目を見開いた。



「それは……っ、美琴が拾ってきた……」




――繋がった、のか。



奇跡のようなこの偶然が、それで八重のこころを僅かでも救ってくれたなら、たとえ何かしらの必然であったとしても感謝できる。

……真冬を巻き込んだことはまた別の話だが。

まあ運命なんてそんなもの信じちゃいねえが。


「そう……。美琴は、外に……。ありがとう。それならもう、私も……」



眠れる。



目を伏せた八重を見て、俺は深紅と顔を見合わせた。深紅は静かに頷くと、再び射影機を構え……。



――カシャン。




「ありがとう……」




消えていく八重は、確かにそう呟いた気がした。

八重の姿を失ったそこには、ただただ深い闇が広がって……その闇を何をするでもなく俺はただ見つめ続ける。

闇しかないそこに、八重との記憶を映し視ているつもりはないが、それでも彼女がいた場所から視線を逸らすことはできなかった。




「……八重は……」




暗い、暗い空を見上げたまま、ぽつり、小さく呟く。

隣で深紅が首を傾げたようだったが、そちらに振り向くこともなく、俺はただ独り言を呟くかのように静かに言葉を吐き出し続ける。


「八重は、良いヤツだった。引っ込み思案の茨羅にも、よく話しかけてくれたし。よく、遊んでもくれた……」


まさか、こんな別れ方をするなんて、夢にも思ってもみなかった。

こんなところで、こんなかたちで……。

紗重や樹月たちも含めてみんなで笑い合ったり時には泣いたりするのも、病弱な紗重や睦月の見舞いを考えたりしたことも、内輪で悪戯しあってみたりしたことも、睦月を貶めてみたりしたことだって……。

ぜんぶ、ぜんぶ、一緒にやってきた。

小さい頃からずっとずっと、何して遊ぶにも一緒で、楽しいことも馬鹿げたことも、みんな一緒に経験してきて……俺にとって八重や紗重、それに千歳は、血が繋がっていなかろうが大事な妹に変わりなかったというのに。



それなのに、こんな……こんな別れだなんて……。




「弥生……」


そっと手を握ってくれた深紅の温もりが、今は何故か無性に優しくて、暖かくて……嬉しかった。


「さて、行くか。宗方のヤツに、いろいろと吐かせねえといけないからな」


一度軽く俯いて、それからすぐに顔を上げる。

そうして刻む、いつもの笑み。

しみったれた空気は俺には似合わねえよな。

八重ならきっと、そんな俺を見たら紗重と一緒に頭の方を疑ってくる。

堂々失礼だが、それでもそれが俺をいつもの調子に戻すための彼女たちなりの配慮だと知っているから。

いつまでも落ち込んでなんかいられねえ。

まだまだやることだってたくさんあるしな。



……それに俺は……。



……いや、これはいい。

今はとにかく先へ進まねえと。



俺は浮かべた笑みをそのまま深紅へと向け、彼女の手をしっかりと握り返した。



深紅もそれに笑って返してくれ……。







――……皆神村の、儀式を止める。



その目的を改めて強く抱くと同時に覚えてしまった不安を、今だけは忘れさせてくれた。















第九夜・了


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