※レイプ未遂から助けられる話





しぬのかな

嫌なことがあった時とか、嬉しすぎることがあった時、私は不謹慎にもついそう思ってしまう。だけど、今感じているのは心の底からの死の予感だった。
今確かにわが身に降りかかっていることの筈なのに、どこか他人事のようだった。そのくせ、五感は研ぎ澄まされて些細な音や感触も拾ってしまう。
昼間だというのに光が殆ど入ってこない路地裏。ぞっとするほど冷たいセメントの壁、張り飛ばされた頬は悲しいほどに熱かった。掴まれている腕ががくがく震えてる。自覚できているほど呼吸が浅い。チキチキとカッターの刃を出す音がして、きつく目を瞑った。
しぬのかな、なんて思ったけど、心の底ではちゃんとこれから起こることが分かっていた。
カッターが私の服を裂いて、そのまま肌を滑った。そこから血が垂れる。確かな痛みに遅れて恐怖が襲ってきた。これからもっと痛い目に、遭う。
「微妙に見えないのが、イイよね。血が、白い、肌に、映えて、綺麗だよ」
男の吐く息が鎖骨に当たって、気持ち悪いどころか不気味だ。だけど私にはそれを我慢する度胸も、抵抗する勇気も、助けを呼ぶ希望もなかった。

じゃり、と砂を踏む音がする。私に覆いかぶさる男は興奮しているのか、その音に気づいた様子はない。視線を男の向こう側に投げると、そこにはおそ松が一人で立っていた。目を見開いてこちらを見ていたが、その後優しく笑う。呼吸を忘れていた私が思わず息を吸い込むと、おそ松は人差し指を唇に当て、そこを「い、ま、た、す、け、る」と動かした。そして路地の向こう側へ消えて行く。
今のは幻覚?助けを求める私が見た、まぼろしなのだろうか。
そう思ったのもつかの間、複数の足音が聞こえた。流石に男の耳にも入ったらしく、男は私から体を離し、あたりを見回す。動転していた私には記憶がつぎはぎにしか残っていないのだけど、次の瞬間憤怒の形相で拳を振りかぶるカラ松と、チョロ松の「目、つぶって!」という声を聞いた。
気が付くと、私は自分の頭を抱えて蹲っていた。耳には複数の息を切らすような声と、肉と肉がぶつかり合うような音、男のうめき声が入ってきた。

「深呼吸できる?」

それはトド松の声だった。震えることもできなかった私の体は、がちがちに強張っていて呼吸もえづくようにしかできない。

「あっ、はあっ…う゛っ…、」
「無理しないで。目は開けなくていいから、僕の声だけ聞いて」

つっかえながら呼吸を整えて、トド松の言葉通り、何も考えないようにした。トド松が優しく私の名前を呼んで、背中をさすってくれる。もう大丈夫だからね、という言葉で、忘れていた体の震えが蘇った。自分の心臓の音がバカみたいにうるさい。心臓の音を縫うようにして聞こえた何かを引きずっていく音が徐々に遠くなっていき、パンパンと手を払う音がした。

「もう大丈夫。一松と十四松がどっか持ってった」
「大丈夫?目開けられる?」

目を開くと、すぐ傍にピンク、その奥に赤と青と緑色の靴が見える。ゆっくりと顔をあげると、まるで貧血のような心地がした。全身の血の気が引いている。私を見る4人の顔は皆それぞれに悲痛で、やっと自分の現状を理解した。
私、レイプされるところだったんだ。
くらくらして地面に手をつくと、すぐにトド松が体を支えてくれた。

「…これ着て」

パーカーを脱いでシャツだけを着たチョロ松が差し出した緑のパーカーを受け取る。暖かい。その温度を感じた途端、たったさっきまでの非現実的な事実を遠くに思い出して、目頭がぎゅっと熱くなった。

「早いとこうちに連れてこう」
「…サンダル壊れちゃってるな」
「ほら、おぶされ」

そういって背中を向けてしゃがんだのはおそ松だった。何も言わずにその背中にしがみつくと、すぐに足元の地面の感触ががふわりと消えた。私には現在地がどこかもわからなかったけど、彼らは上手にほぼ裏路地だけを通り、松野宅に帰ってきた。その間ずっと私はおそ松の大きくて暖かい背中にただ甘え、思い出さないように考えないように、きつく目を閉じて耐えていた。

「ただいまーっと」
「僕女の子でも着れそうなのなんか探してくる。チョロ松兄さん蒸しタオルと救急箱用意してよ」
「うん」
「じゃあカラ松は毛布持ってこい」
「わ、わかった」

家に入るや否や、蜘蛛の子を散らすように行動を開始する3人を、いつもより高い視点で眺めていた。誰もいなくなった玄関で、おそ松は体を少し揺すって少し笑いを含めた声で「降りれる?」と尋ねる。温度を手放すのが怖かった私は、素直に「まだ」と答えた。

「ごめんね」
「お前はなんも悪いことしてねーだろ」
「…うん」
「こういう時は何て言うんだっけ?」
「ありがと、おそ松」
「…よくできました。後でほかのやつらにも言ってやれよ。…ごめんよりも、よっぽど喜ぶから」

ああ、暖かいなあ。じんわり心がほぐされるのを感じていると、毛布を抱えたカラ松が二階から降りてきた。

「俺靴脱げねーから、カラ松こいつ受け取って」
「ほら、こっち来い。俺が受け止めて、この毛布で包んでやる」

二人のやり取りを理解する前に、おそ松の背中にくっついている私をカラ松は毛布で包んで抱きあげた。まだ思考回路が戻りきっていない私は、そのままお姫様だっこで居間まで運ばれる。優しく座布団の上に私を置いたカラ松は、そのまま私の頬に手を添えた。私がぶたれた幹部には触れないように、そっと撫でられる。

「ここ…やっぱり痛いよな」
「大丈夫だよ」
「無理しなくていい。いや、するんじゃない。言っただろ、受け止めるって」
「…い、痛いっていうか、熱い。じんじんする」
「じゃあ冷やさないとな。氷嚢持ってくるから、ちょっと待っててな」
「や、待って、」

私の声には、明らかな怯えが含まれていた。立ち上がりかけていたカラ松は、すぐにまた何も言わずに私の目の前に座った。こういう時のカラ松はかっこいい。私が「ありがとう」と漏らすと、カラ松は滅多に見せない目じりを下げた笑顔で「お前のためなら俺はなんだってするよ」と言った。いつもその顔してれば、絶対モテるのに。そう思える程度には私も普段を取り戻しつつあった。

「蒸しタオルと救急箱持ってきたよ」
「じゃあ俺は氷嚢を作ってくるぜ」
「おそ松兄さんは一松と十四松のこと迎えに行ったみたい」

カラ松が座っていた場所に、今度はチョロ松が座る。少し気まずそうに「拭いていい?」と聞いて来たので、私は子供みたいに「うん」と頷いた。暫く無言で暖かいタオルで顔を拭われていたけど、おもむろにチョロ松は口を開いた。

「今回はたまたま気づけたからいいけど、次こういうことがあったらちゃんと俺たちのこと頼れよ」
「どうやって…」
「いや、そりゃ、突然襲われたら無理かもしんないけど。お前どうせハナから俺たちに助けを求めるつもりなかっただろ」
「…だって」
「だってじゃない。なんかあったら、いやもうなんもなくても、すぐ、俺たちの誰でもいいから言えよ。いいな」
「…わかったよ」
「俺らの知らないところでお前が傷ついてんのが、一番つらいんだよ。…はい、顔終わったから腕出して」

つらいんだよ、の一言が苦しそうな声だった。だから、ほんとに心配かけたんだなあと心の底から実感した。嬉しいのと申し訳ないので胸がいっぱいになる。私の目からぽろりと涙が落ちると、チョロ松はぎょっと目を向いた。

「え、え、何!?どっか痛い?」
「うー…チョロ松ありがとう…」
「いやどうしたしまして…じゃなくて、ほんとに大丈夫?」
「あーチョロ松兄さん泣かしたぁー」
「トド松!これはちがっ」

声のする方を見ると、未使用と思われるスウェットを持ったトド松らしきシルエットが出入り口に立っていた。涙でかすんでよく見えない。

「チョロ松兄さんいい加減シャツだけじゃ寒いでしょ。続きは僕がやるから着替えてきなよ」
「そうするよ」

今度はトド松が目の前に座った。私が涙の止まらない目をこすると、「腫れちゃうからダメ」と制止した。

「泣きたいときは泣いてもいいんだよ」
「泣きたくない…」
「はーい嘘つきには消毒液の刑でーす」

そう言ってトド松は消毒液のついたガーゼを私の腕に当てた。言葉とは裏腹にその動作は優しかったけど、私は自分が思っていたよりも体中に痣や擦り傷がついていることに気づく。トド松はてきぱきと手当を進めるけど、その顔はやっぱり痛ましげで、私もなんだか胸がぎゅっとする。

「女の子にこんなに怪我させるなんてひっどいよねえ」
「…もうお嫁にいけないかも」
「そしたらずっと僕たちといるといいよ。あ、僕だけを選んでくれてもいいけどね」

冗談めかしてトド松はそう言って笑った。私も笑って「そうだね、ありがとう」と言うと「うん。やっぱり笑顔が一番かわいいよ」と頭を撫でてくれた。

「はい、終わり。僕部屋の外で待ってるから、一人で着替えられる?」
「…うん。もう大丈夫だと思う」
「うん、いいこ。…ずっとチョロ松兄さんのパーカー着てるのもなんか妬けるしね。何かあったら呼んでね。すぐ来るから」

そう言い残してトド松は部屋から出て襖をぴったりと閉めた。
緑色のパーカーを脱ぐと、ズタボロになった自分の服が見える。そういえば、カッターで切られたんだった。胸元は血が固まっていてとてもグロテスクになっている。チョロ松のパーカーにもその血がべったりとついていた。クリーニングでもなんともならなそうだ。買って返さないと…。
ともかく、胸元の傷は自分で不器用ながらもそれなり手当てした。渡されたスウェットも着て、チョロ松のパーカーやダメになってしまった自分の服を畳んでいると、私の目の前に残ったタオルや救急箱が目に入った。どれも土や血のようなもので汚れていた。そうか、私はこんなにひどかったんだ。そりゃそうか。だってあんな――
ぞくりと悪寒が走る。思わず自分を抱きしめたけど、その手もとても冷たかった。
…あ、ヤバい。

「…っ」
「ただいま!どこ!?居間!?」
「おかえっ…あっちょっと!十四松兄さん!今着替え中だから!」
「いた!大丈夫!?痛くない?」

私がダメになりそうな瞬間、飛び込んできた黄色は言うまでもなく十四松だった。ボロボロになった姿で私を覗き込んでくる。一人じゃなくなった安心感と、十四松をこんなにボロボロにさせてしまった申し訳なさで、せっかくトド松がひっこませてくれた涙がまたぶり返す。本格的に涙がおさまりそうになくて、思わず十四松にしがみついた。

「おーっ!?大丈夫!?痛い?どこ痛い?」
「十四松…!」
「そうだよ!俺十四松!ねえどこ痛い?ここ?それともここ?あっ全部!?」
「怖かった…すっごく怖かった」
「怖かった?」
「うん…」
「大丈夫だよ!もう俺と一松兄さんがやっつけたから!」

痛いの痛いのぜーんぶとんでけー!そう言って十四松に頭をぐりぐり撫でられると、余計に涙は止まりそうになかった。自分の方がボロボロのくせに、満面の笑みでよしよしとあやしてくれる。それがとっても暖かくて、どうしても嗚咽がとまらない。

「ありがとう〜っ大好き!十四松…うぅ…っ」
「俺も!大好き!!」
「ねえ、十四松兄さんだけ大好きとハグつきとかズルくない?」
「ズルいよなぁ〜俺たちだって頑張ったのに〜」
「フッ…言葉にしなくても俺には伝わってるぜ…お前の気持ち」
「っていうかあのオッサン生きてるかな」
「まあ、一松と十四松にやらせたんだから少なくとも男としての機能は完全に死んでると思うけど」
「別に全部死んでてもいいんじゃない?」
「そうだなー」
「そういえば一松は?」
「あーさっき風呂行った。血みどろだったぞあいつ」

いつの間にか茶の間に集合していた面々の会話は、泣いていたせいで殆ど耳に入っていなかったけど、最後の言葉でふと我に帰った。そうだ、一松。一松にもちゃんとお礼を言わなきゃ。一松が来るまでに泣き止んでおかないと。

「……何してんの」

泣き止む決意をした途端に一松が来たもんだから、当然涙は止まっていない。ぼろぼろ涙を流しながら一松を見上げると、長く息を吐いて濡れた髪をかきまぜ、カラ松が持っていた氷嚢を奪うように取りこちらに近寄ってきた。

「十四松風呂はいってこい」
「アイサー!」
「あんたらも、邪魔」
「え〜一松くんふたりっきりでなにするつもり〜?」
「全員一回ずつふたりっきりになってんだろ」
「ありゃ、バレてたか」
「フッこの場は任せたぞ一松」
「なら、食べやすい軽食でも準備しようかな」
「僕手伝うよ」

そしてあれよあれよという間に騒がしかった茶の間は静けさに包まれた。一松は今までの面々と同じように毛布にくるまれた私の前に座ると、何も言わずトレーナーの袖で私の目から溢れた涙をぬぐった。そして、氷嚢を当ててくる。びっくりするほど優しい手つきで。

「…痛い?やっぱ」
「なんか、さっきは痛くなかったけど、だんだん全身が痛くなってきた」
「あーあー、爪割れてんじゃん」
「ね、地味に痛い。…あのね、一松」
「何」
「心配かけてごめんね」

それまで静か過ぎるほど沈黙を決め込んでいた一松の瞳が揺れた。氷嚢を当ててくれている手に手を重ねると、その手はとても冷えていた。冷たいものを持っているから冷えてるんじゃなくて、緊張して心から冷え切っているのだ。さっきまでの私もそうだったように。

「ほんとだよ、もうこういうことないようにして」
「うん。そうする」
「絶対に。」
「うん、この手で守ってくれたんだよね」
「…当然だろ」
「ありがとう」

笑顔で言ってはみたけど、ちょっと下手糞だったかもしれない。
一松はものすごく気まずそうにしている。多分いつもだったら照れ隠しに「別に」とかなんとか言って立ち去っていただろう。でもそうしないのは、私をひとりにしないためだ。ちゃんとわかってるよ。言うともっと照れちゃうだろうから言わないけど。
部屋の外からは、心地よいまな板の音や、水がぶつかる音が聞こえてくる。そういういつも通りを感じると、私の心もいつも通りに少しずつ近づく気がした。
松野家の六つ子はみんながみんな、ちょっと優しすぎるくらいに優しい。彼らがいれば、わたしはきっと大丈夫だ。心からそう思えた。そう思うと、もう少し上手に笑えた気がした。
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