"黒田雪成/米津玄師「アイネクライネ」"


大好きな人がいる。苦しくなるくらいに焦がれて、憂鬱になるくらいに眩しい人が。
意外にも告白したのは彼の方だった。珍しく自信なさ気に眉をさげて、まるで願うように。私は嬉しかったけど、毎日不安になる。

「先輩、次の休み空いてますか」
「うん空いてる。黒田も?」

部活も終わり、寮方面へ向かう人と駅方面に向かう人でおおまかに分かれてゆく。そのどちらにも混ざらずにいると、彼氏に指をすくい取られた。隣に立った黒田は、周りに聞こえない囁くような声で話す。

「はい。どこに行きたいか考えておいてください」

肉刺がいくつもできた黒田の指を握って、ゆっくりと歩く。彼は寮住まいだけど、毎日私を駅まで送ってくれる。取り留めもない話をしながらゆっくりと歩くこの時間が狂おしいほど好きだ。

「…じゃあ」
「また明日」

一度私の手を握る手をぎゅっときつくして、そっと離された黒田の指の温度をまだ覚えてる。静かな表情をした黒田に、静かにキスを落とされる。
だんだんと小さくなっていく黒田の背中を見つめた。私は、一日でこの瞬間が一番嫌い。
優しくされればされる程、私の中で彼の存在が大きくなればなる程。いつか必ず訪れる別れが怖くなる。
私はできた人間じゃない。だから、黒田には私以上の人がきっと見つかる。だけど、黒田以上の人は私の前に現れないと思う。それにきっと、別れた後の黒田の幸せを幸せと思えない。
好きが、苦しい。初めから出会わなければよかったと思うほど。
駅のホームにふいた風が私の指からぬくもりをかすめ取っていった。

日曜日、水族館の最寄りの駅にはたくさんの人がいる。その中に私と黒田もいた。パンフレットを広げてみる場所を話し合う。ペンギンの写真を指さす黒田は今日もきらきらしてて、私は眩暈がしそう。

「天気いいですね」
「まぶしい」
「中、入りましょう」

カップルよりも少し家族連れが多い。順路に沿って、周りよりもゆっくりと周っていく。小さな声で感想をいったりして、黒田が私の目線まで屈んでくれたりして。
私はそれで十分楽しいけど、黒田は退屈じゃないだろうか。バレないように水槽から黒田に視線をずらすと、その瞳は水の光を反射して輝いていた。そしてふっと視線が絡む。

「…何かありました?」
「うん、この魚、黒田に似てる」

最近、私は嘘が上手になった。この魚なんかまぬけですよ、と怒って見せる黒田が、眉の下がった顔だったから少し悲しくなった。
そのあとクラゲを眺めて、ヒトデをつついて、イルカのショーを見た。最後に売店でペンギンの小さなぬいぐるみを買ってもらった。

「せっかくだし、先輩の最寄りまで送りますよ」
「ほんと?ありがとう」

繋いだ手は殆ど離れることなく、電車の中で夕日が消えていくのを見つめた。
黒田は改札の外までついてきた。いいの?と聞いてもはいとしか返ってこない。

誰もいない無人駅の、ひっそりとした暗闇。ああ、また一日で一番嫌いな瞬間がやってくる。
そう思ったけれど中々黒田の手は離れない。黒田は何も言わずに俯いている。そっと手を引いてコンクリートの階段に座る。
もしかして、飽きられたかな。今日のデートも楽しくなかったのかもしれない。黒田は優しいから、別れの言葉を探してくれているのかも。
悪い予想が胸を蠢く。繋いだ手に視線を落として、世界で一番嫌いな瞬間がやってくることを固唾を飲んで待つ。
だけど、黒田の口からこぼれたのは予想と違う言葉だった。

「おれ、本当に先輩が好きなんです。先輩は、そんなにおれのこと好きじゃないのかも、しれないけど」

その言葉を聞いて、はじけるようにいろんな感情があふれた。それはひとつひとつを掬いあげることもままならないほどの速さで私の脳を流れていく。
本当に? 私の方が、 知らなかった 好き ペンギン 嘘じゃないの くろだ 嬉しい どうして 怖い 優しい 別れ いつか 私は、
そして悲しみも苦しさも流されて、はだかの私の心がむきだしになった。

「わたしの方が、黒田のこと……不安、だったよ…黒田は、かっこいいし、優しい、し、いつ、いつか、」

言葉は最後まで発せられなかった。嗚咽でいっぱいになるのと、そっと抱きしめられるの、どちらが先だっただろう。
私の心には、もはや黒田が好き、という気持ちしかつまってない。そんな心の固く冷たい部分が、少しずつ溶けていくような。涙が出るほどの黒田の気持ちを感じる。

「そんなの、全然知りませんでしたよ俺。言ってくれれば、せんぱいも、俺も、もっと早く楽になれたのに」

どうにも止められなくなった涙を黒田の服に染み込ませながら、そっとしがみつく。すると黒田の腕の力が強くなって、顔をあげることもままならなくなった。

「俺、は、誰よりも、あんたが好きだ。部活ばっかしてるから、信じらんないかもしんないすけど」

控えめに言っても、私はめんどくさい女だ。きっと黒田も知らないくらい、私はすぐに挫けるし、自信がないし、嫉妬ばかりする。
それでも黒田は私を選んでくれた。
だったら私はそんな自分を少し好きになれる。それが続けば、きっと私も素敵な人間になれるかな。

「ありがとう。黒田、私も、黒田が好き。すごく」

その日の別れは、いつもより苦しくない分、とても惜しかった。

おまえの好きなように
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -