困った顔したら神さまがくるって

松野くんとの再会は、意外とすぐにやってきた。
松野くんと出会った翌週の休日、私はひとりで映画を見に都心部まで足を伸ばしていた。降りた駅は人でごった返していて、改札の前でサラリーマンにぶつかった。いてーなチクショウ、だけどこれだけ人がいれば仕方ない。とにかく改札を通るため、カバンの外側のポケットに入れているスイカを取り出そうと手を伸ばす。だが、お目当ての感触がない。手元に視線を移すと、本来そこにあったはずの定期入れがなくなっていた。
まずい。更新したばかりなのに!お母さんに怒られる。もしかしてさっきぶつかった時に落とした?そんな、困る。
僅かな希望を胸にカバンの中身を漁っても、不要なものが出てくるばかりで余計に焦りが募る。焦りが絶望に変わりかけた時、トントンと軽く肩を叩かれた。

「すいません、これ落としましたよ」
「えっ、あ、ありがとうございま…あ、」
「あれ、なまえちゃん!?」
「松野くん!」

カバンに釘付けだった顔をあげると、そこにいたのは困ったような顔の松野くんだった。今日は緑のシャツを着て、前あった時より真面目そうな雰囲気だ。受け取った定期入れはぶら下げるためのパーツが壊れていたが、中身はきちんと入っている。

「松野くんありがとう。拾ってくれて。」
「いや、たまたま落とすところ見てただけだから」
「でもほんとに助かったの。何かお礼したいんだけど…」
「えっ、い、いいよそんな!」

松野くんは優しくていい人だ。でもそれじゃあ、私の気が収まらない。そんな気持ちを籠めて松野くんに視線を送ると、彼は観念したようにこう切り出した。

「…じゃあ、もしこれから時間あるなら、一緒にお茶でも…どうかな?」
「うん、行きたい!」
「ほんと?よかった…」

女の子を誘うなんて初めてだからさ、そう笑う松野くんは困り眉がかわいい。私だって男の子と二人きりでカフェに行くなんて初めてのことだったけど、松野くんとなら心配なんていらないだろう。
このあたりだとどんなカフェがあるのかな、そう言ってはしゃぐ私に松野くんは手のひらでストップをかけた。

「ただ、ごめん。ちょっと連絡しないといけない相手がいるから、待っててもらえるかな?」

もしかして、今日は何か予定があってここまで来たんじゃ?私の不安を表情で察したのか、「か、家族にちょっと、伝えておきたいことがあって」とよくわからない説明をされた。断りの電話じゃないのなら、いいのかな。僕が電話してる間に、お店探してもらっていいかな?と言われたので、私はすぐに嬉々としてお店探しを始めた。

結局選んだのはなんの変哲もないケーキが美味しいと口コミに書かれていたカフェだった。特に食事をとる時間帯でもないからそこそこ空いている。BGMが大きめなので、にぎやかに話しても周りに迷惑ではなさそうだ。松野くんはあまりカフェに慣れていない様子で、もじもじと辺りを見回している。まあ普通の男子高校生なんてそんなものなのかなと思いつつ、二人で紅茶とケーキのセットを頼んだ。店に入ってから注文するまで、テーブルに置かれた彼のケータイはかなりの頻度でラインの通知を表示している。というか、おそらくスタンプを連打されているか、複数人で連続で送られているくらいのスピードだ。流石に内容まではわからないけど、少し心配になる。そんな私の視線に気づいたのか、松野くんはさっとスマートフォンを手で覆った。

「ごめん、ちょっと家族が」
「あ、全然。それより返信いいの?」
「いいよ、ほっとけば」

そう言って松野くんはケータイをマナーモードにしてしまった。そしてカバンにしまってしまう。

「そう言えば言ってたね、家族多いって」
「そうだっけ?」
「うん。だから先週あそこにいたんでしょ?」
「あ、そっか。そうだよね、ハハハ」

「なんだか今日の松野くんは前会った時より真面目だね」そういうと松野くんは何故かビックリした顔をして、慌てたように「そうかな?」と笑った。でも松野くんと話すのは前と変わらず楽しいよ。そういうと僅かに顔を赤くして「僕もなまえちゃんと話せて嬉しいよ」と頬をかいた。


「そうだ、聞きたいことがあるんだけど」
「ん?どうしたの?」
「松野くんの下の名前、この間聞いてなかったと思って」
「っ、」

松野くんは明らかにひきつった表情をした。何か悪いことを聞いてしまっただろうか。松野くんは眉を寄せて考え込んだ後、ひとつ長い息を吐き、重く口を開いた。

「…あの、実は」
「うん、」
「僕、えっと…自分の下の名前が嫌いなんだ」
「そうなの?」
「う、うん、凄い変な名前で、昔からよくからかわれてて…その、だから、あんまり知られなくない、というか」

松野くんはとても困った顔をして、しどろもどろになりながらそう言った。この慌てた様子からするに、相当なトラウマと見える。最近はキラキラネームというものがあると聞くし、本当に苦労してきたのだろう。
私はからかったりしないよ。そう言おうかと思ったが、そういう問題ではなく本当に恥ずかしくて知られたくないのかもしれない。だとしたら余計に困らせてしまうだろう。だったら私は何も言わず「わかったよ松野くん」と言うとこを選んだ。そうすると松野くんは笑ってくれたから、私も嬉しくなった。

その後、私が映画を見に来たと言ったら、松野くんが照れながら一緒に見ようと言ってくれた。ありふれた恋愛映画だったけど、ヒロイン役の子が松野くんの好きなアイドルだったらしく、松野くんも楽しんでくれたようだった。
「また今度、今日みたいに一緒に遊んでくれるかな」
「う、うん。勿論。私でよかったら、喜んで」

「その時にはもっと楽しい僕になっておくよ」

夕陽の逆光の中で笑う松野くんは、言っていることも相まってとてもミステリアスだった。私たちの足元を夕下風が撫でるようにして過ぎていく。黄昏時の魔力が私たちを包む。言い知れないざわつきが私の背中を撫であげたけど、あえて私はとぼけたような声音で言った。

「さっき言った今日は真面目だねって言葉、引きずってる?」
「うん、ちょっと。」

松野くんは今までみたいに眉を下げて笑ってくれた。わたしはそれに安心して、また松野くんの隣をゆっくりと歩き始めた。

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