from Mayhem :06






「お客様、痒いところはございませんか?」



風呂場でくしゃくしゃと洗髪中の男女。正確には男の髪を、後ろに立って洗う少女。
間久部マキナは、先と打って変わって笑顔でいた。



「我は客ではない」
「そう言いたい気分だったんです」
「金が欲しいか?」
「いえ!?いりません、全然」



というか、実世界で使用可能な通貨持ってんのかよ?とまたマキナは心の中で突っ込んだ。マキナは小心者なので基本的に突っ込みは心の中で。しかし、偶に口をついて出てしまうこともある。



「シャンプー目に入っちゃいますからちゃんと目を閉じておいてくださいね」



間久部マキナに、新しい性が目覚めようとしていた。生物は本能的に自身の頭部を無防備に他者に預けることを嫌う。マキナだって見ず知らずの人間は論外だがその置かれている立場もあって親しい人間にも中々預けようとは思わない。それが今、自分に対して何の躊躇もなく預けられている。こうしてわしわしと頭を支えて、柔らかい髪にシャンプーを浸透させきめ細やかに泡立て、頭皮を爪を立てないように気をつけながら洗う。日常、総じて自分が見上げるばかりのマキナは…その、見上げないと目を合わせられない男がこうして自分の胸と同じくらいの位置にあり、新しい感覚を覚える。庇護欲…或いは、保護すべきという責任感がうっすらと。うっすらとしているのでそれは最終的にマキナの頭の中で『かわいい』という感情に帰結した。

器も身体も性格も態度も大きい慢心英雄王がまるで小動物かのように思えてくるのだ。
恐らくギルガメッシュと共に過ごした短い時間の中で初めてマキナは幸せそうに微笑んでいる。それこそ、数分前では考えられなかったことだ。













アバターを自由自在にカスタムできるマキナなので、やろうと思えば服装を変更するのは一瞬だ。薄手の二分袖Tシャツとホットパンツに着替えた後、脱衣所の隅の隅で壁の方を向いて体育座りで引き篭もった。その頑なさたるや地蔵…否、石に突き刺さった聖剣のようだ。



「マキナ」
「はい」
「…何をしている」
「気にしないで下さい、先に入ってください」
「着衣のまま入浴する気か?早く服を脱がぬか」
「脱ぎませんし入りませんよ!!」



趣旨が変わっている。
約束はあくまで背中を流すことだけで入浴など契約に含まれていない。マキナががたがた震えながら壁と一体化していると後ろから腕を強く引かれる。今まで感じていたのは金属の篭手越しの感覚だったので、急に生身の男の手に二の腕を掴まれたマキナは驚愕した。



「キャ――!!変態!さわらないで!!」
「だ…誰が変態か…!!」
「いいからこっち向かないでください!!」



抵抗も虚しく片手で引きずり上げられたマキナは、両手で顔を鉄仮面のように覆って視界をキッチリ遮断。そのまま位置感覚のみで強烈な脛蹴りを食らわして拘束を解くと
逃げるようにしてまた壁と一体化する。



「男子を足蹴に…!!」
「!!…!!!」



相変わらず壁を見たまま、しかしその怒声に焦るマキナは遂に電磁複合装甲を展開。



「ギ…『億死の工廠(ギガデス・アーセナル)』!!」
「ほう…お前がその気なら…よかろう」
「らめぇーっエアはやめてー!」



実は不可視レーダーでポイントの推移をずっと見ていたマキナ。一日振りの高エネルギー反応に本格的に焦燥。早くも白旗を上げ、サーヴァントという名の主人に降参し懇願。
…というようなやりとりがあったのが嘘のようだ。











「そろそろ流しますね、王様」
「うむ」



まずは出したシャワーを自身の手の平に当てて温度が問題ないことを確認した上で、丁寧に泡を流す。やはり至福の時間だった。マキナは長い間、誰かに甲斐甲斐しく面倒を見てもらうこともなければ当然自分が誰かの世話をする機会などなかった。だから、こんな悦びは知る機会がなかったのだ。美容師の仕草を真似、限りなく気を遣い、丁寧な作業に努める。それこそ壊れ物でも扱うような心構えで。──先ほど力任せに脛を蹴ったのとは正反対に。

髪を洗い終えれば次は身体だ。本当はシャンプーハットでも被せたいのだが…そんなことをしたら抱腹絶倒で死ぬ確信があったので、やらない。耳の裏から襟元まで丁寧に、その感触すらも愉しみながら。次の作業の計画を…



「……」



いやいや、待て待て。
ちょっと待て。
これ以上無理だ。百歩譲って背中はよかろう。それ以外は…無理無理。ムリムリ。絶対無理。
ってゆーかどこからどこまでが背中だ。しかしどうすればいいんだ。途中で終了宣言、後はよろしくと浴室から逃走すればいいのか?逃げ遂せられるのか?至福の時一転。マキナはガタガタ震えだした。




from Mayhem,
to the NEXT...




「……」
「何を震えている」



一人地震状態で、ボディソープを染み込ませたスポンジで…まずは肩、そして背中を擦り始めるマキナ。



「な、なんでもありません…」
「何でもない筈がなかろう」



いや、ホント放っておいてというかもう解放して…とマキナが泣きそうになっていると



「!?」



スポンジを握っていた右手の手首を掴まれ、かなり強引に引き寄せられた。お陰でマキナはギルガメッシュに背後から抱きついているような姿勢に。密着した肌から水分と泡がみるみる内に浸透。余りにも露骨な肌と肌の接触に、マキナは猫のように身震いした。



「そういえば、我よりもお前が濡鼠のようであったな。どうした、寒いか?――確かに身体が冷えているな」
「―――!!…!」
「仕方ない、先にお前の…」



ダンッ
言い終わる前に、手を振り解き、マキナは浴室の壁まで一瞬で後退。目の前で腕を交差させ、外方を向き、言い放った。



「お断りします!」



教室の面積上、そうは広くない浴室だ。マキナが目を頑なに瞑っていたのも数秒のこと。
交差していた両腕を両手に掴まれ、勢い良く開かれる。と、その拍子にマキナは目も開いてしまった。



「王の善意をそう何度も無下にするものではないぞ、マキナよ」



マキナは本当に固まってしまった。先ほどから百面相を繰り返していたマキナの表情が
その表情筋が一切の運動を停止した。目に映るのは、既に見慣れた筈の顔──素材素材はそれこそ全く違いない。立てられていた純金の髪は水気を多分に含んで、その印象的な紅蓮の双眸の上に滑らかに降りている。違うのは髪形だけの筈だが、何故だ全く印象が違う。少しだけ幼くすら見える。そして少しだけ優しく──否、甘く。

 だ、誰ですかアナタ…
そんな風に、マキナは心ですら突っ込めない。思考も全て停止。身体の震えも終了。
およそ一般的な、王道の、『王子様』の如く。要するに何かといえば、そのハンサムフェイス…イケメンっぷりに、マキナはマキナらしくもなく否、抗いようもなく、本能で見とれてしまった。そして次第にまた赤く染まりゆく上頬。それに連れて、またマキナの身体が解凍されていく。しかし声は出てこない。そんなマキナの様子を見て、ギルガメッシュは満足そうに笑む。



「我の紅顔に見惚れているか」
「そ、そんなことはあり――ますけど…」
「素直でよい」



より近付く顔に冷や汗をかきながら、そして正直に答えながらも「お断りします、お断りします」とマキナはぶんぶん横に顔を振る。それとこれとは別問題だ。真面目に無関係だ。どうやってこの場を切り抜けよう。マキナは不測の事態に逐一適応し対処方法を見出すのが得意なのだが…この常識外れの王に対してのみは、全くその特技が生かせない。マキナが頭を真っ白にしながらも活路を見出そうとしていると――掴まれるTシャツの裾。
マキナは上げておいてよかった敏捷A+で素早くがっちりと両手を胸のところでガード。
これ以上たくし上げられないよう、必死で食い止める。



「ちょっ…勘弁…!!」
「着衣のままでは濯ぐことも儘ならんであろう」
「お戯れも程ほどにしてください!お嫁にいけなくなります!!」
「…我の許しもなく何処へ嫁に行く気だ?」
「わかりませんけど!いずれ出会う誰か私に相応しい雑種です!」



リアルに涙目になりながら必死に抵抗。こんな様子を誰かが見たら迷わず通報していることだろう。例え相手が美男美女であろうともだ。何か言いたげにしていたギルガメッシュの手が、ふと放される。それでも相変わらずTシャツをぐっと抑えたままの、俯いたマキナの表情は窺うことができないが…ぽつ、ぽつと何かが滴っていることに気付いたのだ。



「…泣くな」
「泣いてません」



三度目。強引に上を向かされた顔には…ギルガメッシュが想像していた以上に…情けない、弱弱しい表情と涙が浮かんでいた。



「…我は何もお前を泣かせようと意図したのではないのだぞ…」



マキナだって意識して泣いたワケじゃない。何でか知らずに泣いていたのだ。だから、そんな無意識の現象で 逆にギルガメッシュを幾らか動揺させてしまったことに罪悪感くらい抱く。しかも、言っていることも嘘ではないことは当然承知なのだ。解った上で承服できない事態(手ずから身体を洗われる)だから心から拒否しているワケで――ああ、まどろっこしい。



「わかってます、ごめんなさい、泣いてすみません」



そして今――無粋だが、絶好のチャンスだ。今をおいて他に逃れられる術も機会も有り得ない。



「本当にごめんなさい!!失礼します!」



一瞬の隙をついて逃亡。
一目散に浴室も脱衣所も飛び出して、扉を閉める。だけでなく、――



「『億死の工廠(ギガデス・アーセナル)』
 “硬化テクタイト複合強化ガラス”
 “GA-22電磁複合装甲”!」



その扉を厳重に厳重に封印した。













やっと束の間の安息を手に入れたマキナは、革張りのソファの上でぐったりとしていた。

疲れた――
英雄王には申し訳ないが、どっと疲れた。7日目の決戦まで辿りつけない気がしてきた。
ほら見ろ、やっぱり権力なんてものはロクでもないものだ。チェンジ、チェンジがしたい。契約を切りたい。



「…待てよ」



飛び起きるマキナ。
契約…契約したか?
契約、してなくないか…?
この状況はどういうことだ。
かなりヤバくないか?



「そうだ言峰――…」



思い立ったら即行動。
じっくり考える暇すらを惜しみ、マキナは着替えてマイルームを飛び出した。先ほど作った防壁を解除することだけはちゃっかり、忘れずに。




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