Is it real



死期が近い。

城の中か外かに限らず、そういう噂は日増しに増えていったし、
彼自身も、自らの天命を悟っていた。
かつての剛健な王、或いは元老や民を翻弄した暴君は、影を潜めている。
しかし穏やかながらも衰えない威容に、人々の畏怖は変わらなかったが。


死を前にした 彼の憂患事といえば、それは国のこと。そしてマキナのことだった。
その二つは今や、同義の問題と化していた。


“それ”は、彼の死の直前に顕れた。
時代の変遷に於ける、神々の最後の悪足掻きなのだろう。


王は、目の前に跪く女を一瞥した。
“それ”は、下ろし立てでまだ使い慣れない刃だった。
それを如何なる用途で如何様に使いこなすのか…
その運用権は、今はまだ彼の手に委ねられている。

interlude
- is it real -



「畏れながら…ご所望の金杯はまだ完成しておりません」


マキナがギルガメッシュに名前を覚えられてから、三ヶ月余り。今日まで金鉄を鋳り、打ち鍛えること十五回。『二つの金杯』は、宝槍、宝剣、装身具―――前回の酒瓶に続いての要求だった。

王の居室に上げられるようになったマキナは、今やあの薄汚れた衣類を身に着けてはいない。体の隅々までを念入りに水で清めたうえで、滲み一つない衣服を身に着けている。染色も装飾もないのは変わらずだが、まるで見違えてみえるのだった。

初めは髪を結い上げていたマキナだが、最近は手を加えずにいる。どうも、 “友”の姿を思い出すらしい。背丈も髪の色も、顔も形もまるで違うというのに、どこか彷彿とさせるものがあるのだと。そのように言われてはマキナも恐縮するばかりだが、命令ならば黙して従うのみである。

王の居室に入る前に新しい衣服を与えられるだけでなく、自身より身分の高い侍女に、丁寧に髪を梳かしてもらうのは奇妙な感覚だった。化粧の類は一切施されず、ただ清潔で自然な姿で王に謁見する。

マキナの造形物は、『斧』を除いてすべてこの部屋に飾られている。マキナがこの部屋を訪れる度に、一つずつ増えていくその様を…見る度にマキナは感動で胸を詰まらせるのだった。

自分のような卑賤な身分の者が、僅かでも王の役に立っているなら、これほどの幸せは国中どこを探してもない筈だ。

今やマキナは、どうすればこの部屋が一層華やぐのか…どういう道具を造れば王に相応しく、尚引き立つのか…毎日毎日、そんなことばかりを考えているのだ。
その為に新しい技術を取り入れ、或いは苦心して生み出す。

“二つの金杯”も、いずれこの部屋に置かれて、王とその家族や賓客との団欒にて使われる日が来るのだろうか。その様子を想像するだけで、マキナは自然と笑顔になるのだった。

要望を受けてから三日目の日没後。そろそろ形にしようと材料を集め始めた段階で、急の呼び出し。何事かとマキナは取るものも取り敢えず、急ぎ馳せ参じると、二人分の食事が食卓には用意されており、その中には 前回献上した黄金の酒瓶も置かれていた。

中には葡萄酒が入っているようで、黄金の透かし模様の奥に深紅色が覗いている。食事の内容は、載せられた皿も相俟って目が眩む程豪勢で、それこそ王子か元老でも食事に招かれるのだろう。


しかし、既に夕食の準備も整った直前に…何故呼び出されたのか。時間が絶つ程料理は冷め、また温くなっていくというのに。自身がここで王の時間を潰せば、招かれたであろう客も待たせているのではないか。マキナの気持ちは焦るばかりだったが、ギルガメッシュはマキナと正反対に、落ち着いた様子で玉座に寛いでいた。


「マキナよ、氷入りの葡萄酒を飲んだことはあるか?」


突然の呼び出しの上、予想外の問い掛け。マキナは意図が読めず混乱するばかりではあったが、問いの内容自体は簡単なものだ。マキナは戸惑いつつも、即座に答えたのだった。


「いえ、口にしたことは…御座いません……」


あるわけがない。
両親が存命していた頃は、確かにマキナも上流の身分ではあった。だが、葡萄酒も氷も、王族か元老位しか口に出来ないほどの貴重品だ。

ギルガメッシュは、“二つの金杯”を取り、卓の上へと並べる。その二つの杯は、王が持つに相応しいものだった。装飾の緻密さに始まり、デザインも洗練された美しい杯だ。

既にこれ程立派な金杯があるのであれば、マキナが造るまでもないのではないか…そんな気もしたが…それと同時に、マキナの中では別の感情が芽生える。

 “これは凄くいい、だがこうすればもっと―――…”

そんな、烏滸がましくもどうにも抑えきれぬ情熱だった。


「そうか」


ギルガメッシュは、そう応えつつ、件の酒瓶を手に取ると、早速二つの金杯に葡萄酒を注いだのだった。

何故そんな質問をマキナにするのだろうか。マキナは、美しい赤色の液体の流れる様を見ながら考える。氷が瓶の内側に当たり響く音は、カラカラととても涼やかで心を躍らせた。

ギルガメッシュは、二つの金杯のうち一つを自分の手元に残し、もう一つを相手の席の方へと置く。芳醇な葡萄の香りがマキナの鼻にまで届き、微かな眩暈を覚えるのだった。


「いつまで床に蹲っているつもりだ、疾く席に着くがいい」


マキナは思わず目を見開いてギルガメッシュの貌を見た。彼女の王は、薄らと笑みを浮かべていた。それは優しさが滲んでいるのではなく、困惑しているマキナの様子をを愉しんでいるようであった。


「えっ、あ……その……………え…?」
「どんなものか教えてやろう、好きなだけ飲むがいい。」


マキナは初めて王に対して反抗を表わした。あまりにも畏れ多い勧奨に、恐縮しきって益々頭を低くし、跪いたままに半歩後退をしたのだった。


「そ、そんな……!私如き賤しいものが………!」
「毒見とでも思えばよかろう」
「…………!」


そう聞いても気が進まないことには変わりはなかったが、ここまで言われて拒み続けるのも失礼になるだろう。そもそも王の命令に逆らうこと自体も。マキナは複雑な顔をしながら、恐る恐ると立ち上がる。傍に控える侍女がマキナの為に席を引き、それにまた恐縮して頭を下げつつも、マキナは王の正面の席へと着いたのだった。

マキナの心の中には昂揚は一切なく、あるのは理由の知れぬ罪悪感のみ。今、自分は王と同じ目線にいる。王と同じ食卓に着き、王のものと違いのない料理が自分の為に用意され、目の前に広がっている。

いつ殺されても仕方がない、寧ろ殺して欲しいとまで思いつめており、その表情は泣きそうで、肩は強張り、呼吸の間隔も短くなっている。

そんなマキナの様子を悠然と眺めながら、ギルガメッシュが口を開く。


「上質な酒の味も知らずに、“最高”の杯が造れるものか。お前には―――…時間を掛けて“最高”とは何たるかを教えてやろう。“最高”の王と共に、“最高”の部屋にて“最高”の料理と“最高”の酒を愉しむ。今後は我の宝物庫への自由な出入りも許可する。我の集めた“最高”の財宝を好きなだけ眺め、手に取るがいい。」


マキナの困惑は極致へと達し、絶句し、王の言葉に応えることができなかった。


「王の財宝を手掛けようかという者が、この程度で気後れしてどうする?お前ほどの貪欲さを持合わせた探究者が、それを望んでいないとは言わせん。」


ギルガメシュ王の言うことは尤もだ。心の底では…否、本当は言う意味も理解しているし、納得もできる。ただ、それが自分にあってはならないことなのだ。その考えから抜け出すことがどうにも出来なかった。

当然のことだろう。
つい先日まではただの奴隷でしかなかった身程で、王の為の道具を拵え、それを直接献上するようになった事実でさえマキナにとっては夢のような出来事だったというのに。

だが、こういった戸惑いや逡巡をすればするほど折角王の用意した“最高”の料理の味を損ねていくに等しい。

殺される覚悟をしたのだから、死ぬ気で慣れることもしなければ。

マキナは、意を決して…しかし恐る恐ると葡萄酒の杯に手を伸ばした。中身を覗くと、王の瞳のような深紅で満ちていて、その鮮烈さを殺ぎ落としたような滑らかな色は、どこか背徳的だった。

葡萄酒どころか、酒という飲料を口にしたことのないマキナは、恐る恐ると少量を口の中へと移した。

マキナはまず、その冷ややかな感触に目を見開く。初夏の燻るような熱気の中、それはとても心地よく体を冷ましてくれた。見た目通りにまろやかな舌触りが心地よく、その後で熟れた甘味と、爽やかな酸味、そして痺れるような苦みを感じる。そして最後にやってきたのは、眩暈だった。


「―――…不思議です。ひとつの液体なのに、こんなにたくさんの味がするなんて…」


マキナが今まで飲んだことのある飲料は、水や、草葉を煎じた茶くらいだ。これほど贅沢な飲み物が存在するとは、予想もつかなかった。マキナは驚いた顔をした後で王を見、そしてみるみると顔を綻ばせた。


「……飲み干してしまうのが勿体ない…」
「好きなだけ飲むがいい。我が蔵には幾らでもあるからな。」
「あの…あ、ありがとうございます…でも、そんなには…!」


この一杯だけでもマキナには充分だ。もう何も食べなくともいいほどに満足した。だが葡萄酒は序の口で、まだまだマキナの目の前には十種以上の料理が並んでいる。

王を見れば、彼はまだ葡萄酒を味わっており、主人より前に食べ始めるわけにはいかない。そう思ってマキナも倣って料理に手を付けないでいたが、暫くして咎められ、マキナは慌てて匙を手に取った。そして空になった杯には、侍女の手により新たに葡萄酒を注がれていた。


かつては上流家庭で教育されていた故に、王の前で粗相をすることがないのは幸いだった。勿論緊張は極致で、指先は依然震えているが、それでもマキナは細心の注意を払う。

少しずつ皿にとっては吟味する…それを十二品全てに繰り返した頃、マキナの瞳からは大粒の涙がぼろぼろと、浮かんでは零れていた。


「―――笑ったり泣いたり…忙しい奴だ。それほど美味いか」


ギルガメッシュの表情は、呆れたようでもあったがどことなく優しさが滲んでいる。ただ、マキナは自身の醜い泣き顔を見せてはならぬと顔を背けて涙を拭いていたので、それを見ていなかったのだが。


「……はい。」


マキナはひとしきり涙を拭うと、しっかり頷いた。


「これほど美味しい料理を、私は食べたことがありません」


両親を失った後ですら、多くの涙を流さなかったこの少女が、料理を口にしただけで泣く理由は何なのか。ギルガメッシュは、マキナが語るのを待つ。


「一体いくつの食材が、これらの料理に使われているのでしょうか…それらが全て、この国の農家や羊飼い…多くの人々によって育まれ…料理人の手によって、こんなに素晴らしいモノに生まれ変わるのですね。まるで…この国そのものを味わっているかのようです」


小さく鼻を啜りつつ話したのは、そんな内容だった。料理には、香辛料も含めて非常に多くの食材が使われている。口にしたことこそないものの、生前の父の元で、粘土板という粘土板の内容を読みつくしてきた知識から、どういった食材がどの地方で生産されているのか…大体のことはマキナは理解できる。

故に、それらが国中から余すことなく集められたものだと解るのだ。“国そのものを味わっている”とは、何も大袈裟な表現ではない。

王は何も、ただ愉しむ為だけに、贅を尽くした食事を摂るのではない。こうして国中の産物をくまなく味わうことによって、国の実情を知るのだ。

豊作不作を料理から知る。
王にとっての食事とは、政治のひとつでもある。

マキナは、全ての食材の生産者の苦労と努力を思い、料理人の苦心と工夫を思い、国を想う王のことを考えると、ただ感動するしかなかったのだ。しかもその料理は、職人が精魂を込めて形作った皿の上に載せられ、その皿を丹念に磨き上げる奴隷もいれば、傷のつかぬよう細心の注意を払って洗う女官がいるだろう。

マキナは、心が温かいもので満たされていくのを感じた。自然と表情は柔らかくなり、笑みが滲んでいく。


「王……これが最高の料理なのですね。」


マキナは王都の外に出たことはない。未だ見たことのない都の外に思いを馳せつつ、余韻を味わった。マキナが期待や幸福、夢に満ち溢れた無垢な表情を浮かべるのを見て、
ギルガメッシュは、薄らと笑みを浮かべながら、蛇の如く舐めるような視線でマキナを見つめた。


「―――中々に面白い奴だ。料理如きにそこまで思いを巡らす者は、そういないだろうよ」


すぐに思い耽ってしまうのは自分の悪い癖だ。マキナは咎められているのかもしれないと慄き、身体だけでなく声まで委縮したように小さくなりながら非礼を詫びた。



「……すみません、私出過ぎた発言を………」
「いや構わん。そうでなくては甲斐がない。存分に味わい愉しむがいい。」


彼女の王が大笑したのに、マキナは戸惑いを隠せなかったが、マキナは困ったように笑い返して頭を垂れた。

当然ながら、未だ自身の身に起きている出来事が信じられない。“明日にでも死ぬのだろうか”―――否、最早自身の命を掛けても吊り合わないだろう。天涯孤独で奴隷の身分であるマキナには、命以外に差し出せるものもない。この幸運の対価に何を支払えばいいのか、マキナには皆目見当が付かないのだ。今自分に出来るのは、王の意向に沿うよう必死に努力することだけ。

マキナは全身全霊を以って、王の饗宴を享受した。“愉しむ”というよりは、難しい顔をして生真面目に吟味するマキナを見て、ギルガメシュ王はまたしても愉快そうに笑うのだった。

マキナは、王がこんなに笑うところを見たことも聞いたこともなかったし、それは側付きの女官も同様のようだった。殆ど無表情で静かに佇んでいる彼女達が目を丸くしている。

どうあれ、マキナが少しでもギルガメシュ王を愉しませることができたのであれば、それだけでマキナは嬉しかった。

たとえ道化の如く滑稽に思われていたとしても―――






マキナの今までの食事は、量と質共にとても質素なものだ。幾ら美味とはいえど、身体が慣れていない。食べれる量には限度があった。

しかし、食べ慣れているはずのギルガメッシュも半分以上は残しており、その状態でギルガメッシュは侍女に料理を下げさせた。どうやら残った料理は、侍女たちが分かちあうようだ。


後には、中身を新しくした葡萄酒と、果実や木の実などが残される。

注がれた葡萄酒は四杯目で、マキナは頬から耳にかけてが熱を持ち、視界がゆらゆらと揺れていることに困惑した。自我が曖昧になりかけている。船を漕ぎそうになるのを必死で堪えながら、背筋を正した。

王の前で正体不明を晒すわけにはいかない。


「マキナ。貴様の忠誠には嘘偽りがないな。―――何故そうまで我を慕う」


頭が正常に働いていない中での難問に、マキナは混乱しかける。


「王を慕っていない民など……居ないのではないでしょうか…」
「お前のソレは尋常ではない。他の奴隷や女官――…否、我が息子や側近でさえ、お前ほどの忠義は見せぬ」


マキナは王が何を言っているのか理解できなかった。自身が口にした通り、民は誰しも王を慕っていると信じて疑わないからだ。しかし、王の言葉をマキナ如きが否定するわけにもいかない。それに、マキナが心から王を慕っているのも事実なので、謙遜するわけにも行かず、マキナはただ答えに窮した。


「その………………あ、あの………私は…」
「―――何だ?よく聞こえんな。もっと近くに寄って話すがいい」


マキナが消え入りそうな声で喋るので、ギルガメッシュは眉根を顰めつつ、マキナに向けて手招きをした。

更に戸惑いつつも、マキナは席を立ってギルガメッシュの足元へと跪く。床に視線を向けていると腕を掴まれ、驚いた表情で顔を上げた。マキナは初めて王に触れたのだ。

腕を引かれるままに立ち上がり、腕に引き寄せられるままに、マキナは玉座と王の上に座ることになってしまった。

酔いも手伝って、遠のいた気をそのまま失いかけたが、かろうじて意識を保つことができた。

幾ら隅々まで清められたとはいえ、自分などが王に触れては穢してしまうのではないか。だから反射的に身を離そうとするが、触れたのは王の意思だ。なのにマキナから離れるのは無礼に他ならない。

頭の中は罪悪感と背徳で埋め尽くされているのだが、それと同時に、今まで雲の上の存在に等しかった王に触れられているという事実は疑いようのない至上の歓びだった。

息遣いまで聞こえるほど近くに王の貌があるというのに、マキナは顔を上げることもできないし、目を合わせるなど以ての外だ。しかし、頬を覆った右手に上向かせられた時には、覚悟するしかなかった。


「我に、お前の話を聞かせるがいい。」


マキナは、言葉と共に口から心臓が飛び出すのではないかと心配するのだった。








短い人生であっても、語るにはある程度の時間を要した。途中途中に挟まれる問いに丁寧に答えながら、夜は更けていく。

粗方話した頃には、マキナの酔いは完全に回りきっており、弛緩した体を王の胸に預けていることも、最早認識すらしていない。全ての意識は、話すことのみに向けられている。

マキナは微睡みながら、最後に“理由”を語った。


「―――私は物心がついた頃より、王の英雄譚を読んで育ちました。仕事をする父の横で…叙事詩を読むことが、何よりの楽しみでした。だから、王とエルキドゥ様は―――私にとって憧れの存在です…」


まるで、今もそこに、その光景が見えているかのような…マキナが以前ギルガメッシュに語ったように―――

“抱えきれないほどの愛を受け、言葉に表せない程幸せだった”

その言葉に嘘偽りがないことの証明の如く、安らかで幸福そうな表情をして、マキナは話すのだった。


「私…物語の続きが読みたくて、文字を必死で覚えたんですよ…………」


その言葉を締め括りに、マキナの反応はなくなった。

王を差し置き、その上王の胸に体を預けたままマキナが眠りに落ちたことに、侍女たちは背筋が凍り付くような思いをしたが、ギルガメッシュが不快に思っている様子はまるでなかった。

寧ろ、マキナが滑り落ちそうになれば支えてやるなど、気遣いまで見せる。


暫くは一人静かに酒を味わっていたギルガメッシュだったが、やがて杯を置くと、熟睡するマキナを抱きかかえて席を立った。
マキナの身体を自身の寝台の上へと優しく横たえると、控えていた侍女たちを、部屋の外へと帰したのだった。




(…)
(2015/6/20)






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