moving mountains :12
衛宮士郎は混乱していた。今目の前に繰り広げられている光景は、俄かに信じ難いものだ。あまりにも非現実的で、理解が追い付かない。
凛とマキナが戦っていた。アーチャーの攻撃をマキナが凌いでいたのも驚いたが、何より―――…
今、彼女を守ったサーヴァントは何だった?この青い槍兵は士郎を―――…
「――――…!!」
士郎を一度殺したサーヴァントだ。何故彼がここにいて、マキナを守っているのだ?その理由は一つしか考えられない。青い槍兵は他ならぬマキナのサーヴァントで―――ならば、彼はマキナの命令で自分を―――…?
士郎はその答えを求めるかのように、マキナを見遣った。
「ランサー……何でここに………?」
マキナは、随分と間の抜けた表情をしてランサーを見上げていた。そんなマキナを振り返り、ランサーは数秒見詰めた後―――…
「無事でよかったぜ、“マスター”」
「うひゃあ!?!」
がばっという効果音が付きそうな勢いでマキナをきつく抱きしめたのだった。マキナは思わず脛蹴りを食らわせそうになったのだが、その前にランサーがマキナの耳元で囁く。
「言峰(マスター)の命令だ。俺が嬢ちゃんのサーヴァントのフリをしろとさ」
―――なるほど、あの外道言峰暗黒神父。妹弟子にランサーのマスターであることを告げていないのだな。
マキナは、ランサーの陰になって自分の表情が凛と士郎に見えないのをいいことに思いっきり不機嫌そうな表情を浮かべたのだった。
言峰は既にランサーを使って斥候活動をさせているようなので、自分自身は裏で暗躍していたいのだろう。その為、マキナが表向きランサーのマスターということにしておけば、都合がいい。
帰ってから問い質すつもりだが、きっとこう言う筈だ。“その方がお前にとっても都合がいいだろう”と。
溜息は出るものの、今とやかく議論している場合はない。マキナは気持ちを切り替える。
アーチャーの更なる攻撃が降ってくるのを、見もせずに防御するランサー。ただ、改めて防いだ後に敢えて振り向いてアーチャーに向けにやりと笑むのだった。
「それにしても…ランサー、今の何?……もしかして…ルーン魔術ですか……!?」
古代魔術についてはさっぱり明るくないマキナだが、ランサーがルーン使いであることは知っているし、実際に見てもいる。ただ、今やったような防御のルーンは初めて見るのだった。
「上級宝具の一撃を防いじゃうなんて……!凄い!流石キャスター属性があるだけありますね…!!」
まさに先日の手合せ時と同様、ランサーの能力に高い関心を示すマキナ。因みに演技でもなんでもなく本心である。敵襲を受けている状態で興奮するなど、相変わらず非常識な女ではあるが。
「―――……なんならコレも教えてやろうか?」
「うん、うん!ぜひ教えて欲しい!」
「まあ……まずはアイツを倒してからだな」
ランサーは、改めてアーチャーを見据えて戦闘態勢に入ろうとするのだが…マキナに腕を掴まれ、またしても阻まれるのだった。
「アーチャーを倒したらダメ、ランサー」
マキナは切実な表情をして首を振っていた。言峰も無茶振りをするマスターだが、マキナも大概である。
「―――どうしてだ?アイツは殺る気で狙ってきてるんだぜ?」
「凛は攻撃の中止を命令してる。この戦闘はもう終わる筈なの」
「そうは言っても…向こうは止める気ないみたいだがな…!」
そう言いながらランサーは続くアーチャーの攻撃をまたしてもルーンで相殺する。その様子を見ながら何か思案していたマキナは、突如走り始めた。
「おい!?」
ランサーの庇護化から態と外れるように、マキナは常人より幾らか早い速度で駆け抜けていく。そんなマキナ目掛けて、また一本の矢が狙い撃たれるが…マキナはそれをすんでで避けて走り続けた。
「野郎…マスターを狙いやがって…!!」
マキナの行動は唐突だがそれなりに意味がある。自分とサーヴァントが二手に別れた場合、アーチャーがどちらを狙うか見たかったのだ。アーチャーの独り言のとおり、彼の狙いはあくまでマキナのようである。当然“マスター殺し”は聖杯戦争において立派な戦術の一つだ。マスターが死ねば、サーヴァントも存在を維持できなくなる。しかしそれは大抵マスターがサーヴァントと別行動時に有効なのであって、傍に控えている時に実行するのは殆ど無意味だ。アサシンでもあれば話は別だが。要するに、このアーチャーの行動の原理は別のところにある。
まあ、 何故彼が自分を狙うか理由はわからないが、目的が判れば目処が立つ。マキナはアーチャーの攻撃を誘うように走り続ける。
そうして ランサーはマキナを追った。アーチャーの目標があくまでマキナだということが解った今、この距離ではアーチャーを仕留めるより前にマキナを殺される可能性がある。―――とはいえ、マキナの実力はランサーも知っているので恐らく放っておいてもどうにかなるだろう。
しかし言峰にはマキナを“サーヴァントとしてマスターを守れ”と命令されているし、何よりあのアーチャーはどうも怪しい。真っ当なアーチャーではないので何を仕掛けてくるか解らない。そういった総合的な理由でランサーはマキナを追うのだった。
それより早く先を進むマキナは、立ち並ぶ木の中でも最も背の高いものを選び、その頂上に一瞬で上り詰めるとアーチャーを“視た”。
いつもは常人より少し良い程度に抑えている視力を最大まで上げる。ナノマシンが眼球内の組成を変化させ、アーチャーが今マキナを見ているのと同じように、マキナもまたアーチャーを見た。
その顔を正面から見つめる。
「――――…!」
目前で顔を突き合わせているかのような感覚。その凝視に、アーチャーはほんの僅かに動揺を表わした。弓に番えていた矢に込める力が緩み、そこに“躊躇”を感じた。
その理由はマキナにはわからない。例え殺すべき相手だとしても、こうして正面から見詰められると戸惑いを感じるということか。その程度の考察しか今のマキナにはできなかった。
アーチャーの脳裏に一瞬浮かんだのは、十字線の向こうにいる小さな子供だった。
その子供は、1km以上先にいる自分が見える筈もないのに
確かに自分と目が合ったのだ。
その時も、彼は引き金をひくことを躊躇った。
だからこそアーチャーは、“今度こそ”躊躇いを捨ててレティクルの中心にある眉間を貫くため再び“偽・螺旋剣(カラドボルグII)”を放った。遮るもののない場所でじっとアーチャーを見つめるマキナは、撃ってくれといわんばかりの無防備さを晒していた。しかし、その矢が彼女を貫くことはないことを、恐らく放つ前から解っていた。
マキナの立っていた木は周辺の木も巻き込み、根こそぎ抉って木端にしたが、肝心のマキナはランサーに抱えられて退避していた。
「―――嬢ちゃん、もしかしなくてもスリル好きか」
「もしかしたら嫌いじゃないのかも」
ランサーの愚痴じみた嫌味を聞かせられつつ、地面に下ろされる。さて、あのどこか隙のありそうな弓兵にどう対応しようか、早速コードキャストの実行準備をする。相手の魔力切れかネタ切れを待つか、どちらにしろ持久戦になるだろう。今夜はとことん付き合ってやるとマキナがアーチャーの足元へと魔力を流し始めたその時―――
「やめなさいって言ってるでしょう、アーチャー!!!次に攻撃したら―――…今度は令呪を使って止めてやるわ!!」
そんな凛の怒声が響き、マキナは大慌てで凛に走り寄った。
「だめだめ、令呪、だめ!ゼッタイ!!」
とんでもない事態に発展したとマキナは顔面蒼白になる。マキナは凛の手をぎゅっと握りしめると、しきりに顔を左右に振った。
「凛、知ってる?令呪ってすごく大切なものなんだよ…!?」
「知ってるわよ、そんなこと!」
「だったらもっと大事にしてください!」
「令呪の使い方をアンタに指示される謂れはないってーの!」
凛の言うことは最もなのだが、マキナはこの事態をどうにか阻止したかった。自分との戦闘で魔力を消費した…ということであれば、その分魔力を補充することもできる。だが、令呪のシステムはマキナにとっても未知のものであり、自分の為…とは烏滸がましいが、マキナが関わることに令呪を使われるのは非常にまずい。ユリウスもやっていたように、他人の令呪を移植することもできるのかもしれないが…正直現時点ではやり方はさっぱりわからない。
だが、そんなマキナの心配をよそに、凛は視線をマキナから外し、恐らくアーチャーを見た。
『了解した、マスター。―――…得策とは思えないが…私も度が過ぎたことは認める。頭を冷やすことにしよう』
「ええ、そうして頂戴。」
『だが…奴らが仕掛けたら攻撃を再開するぞ』
「そうね、その時は蹴散らしてやって」
凛はアーチャーとの念話を終えると、溜息をつき、そうしてマキナの手を振り払った。とんだ恥を晒したものだ、と顔が熱くなるのを感じていた。勿論表情には出さないが、頬は赤くなっているかもしれない。
“サーヴァントを制御できないマスター”
アーチャーが凛の制止を聞かなかったことで、そう思われても仕方がない。否、士郎もマキナもそう思っていないとしても、その事実が恥ずかしいことこの上ない。確かにアーチャーはもとより凛の命令に逆らうことがあった。だがこうして他人の前で―――そうだ。やっぱり士郎とマキナに見られたことが一番恥ずかしいのだ!
しかし凛は、自身の感情を抑えることに集中した。ここで取り乱して当り散らそうものなら、それはもっと恥ずべき醜態だ。凛はしばし目を閉じて深呼吸をしたのち、いつもの冷静さを取り戻して改めてマキナに向き直ったのだった。
「―――で、ランサーがあなたのサーヴァントだったワケね」
「そうか。凛ちゃんのサーヴァントはアーチャーだから…既に戦ったことはあるんだね」
アーチャーのマスターはイイ女―――…そう言っていたランサーの言葉を思い出す。中々見る目があるではないか、とマキナは心の中で笑った。ふと、士郎の硬い表情が気になってマキナは目を止める。
「どうかした?衛宮」
士郎は何も言わず、凛も黙っている。士郎の顔には畏怖と困惑の混じった表情が浮かんでおり、凛は難しい表情をしてランサーを見ていた。
マキナは状況が理解できず、今度はランサーの顔を恐る恐る見上げる。
「―――…二人とも、嬢ちゃんの知り合いか?」
「うん、学校の友達だよ」
「……そうか」
どうも気まずい雰囲気である。不安になってキョロキョロと挙動不審になったマキナに助けを出したのは凛だった。
「士郎はね、一度あなたのランサーに殺されかけたことがあるのよ。しかもまだ聖杯戦争に参加する前、一般人だった頃に。」
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