教室のドアを開けると、まず確認するのは窓際、後ろから4番目の席。
そこに見慣れた銀髪が風に揺れてるのを見てホッとする。
(良かった、今日もいる……)
最近妙な噂をよく耳にする。
仁王が学校をやめるんじゃないか、って。
登校はしてくるが、授業中に席が空っぽになっていることもしばしば。その頻度も多くなってきていて、噂の信憑性は増してくる。
今日はそこに居ても、明日は居ないかもしれない。
幸村君の一件は、俺にとって結構なトラウマだったようだ。
ある日突然、見近な者が居なくなるということ。
幸村君はちゃんと帰ってきてくれたけど、あの時に感じた心の空洞は未だに消えなかった。
死別だろうが退校だろうが、目の前から居なくなる事には変わりない。
今ある日常から誰かが欠ける、という事を俺は怖れていた。
「今日は風が気持ちえぇのう」
自分の席─仁王の後ろなんだけど─に着くと、いつの間にか起きていた仁王が話しかけてきた。
「屋上行かん?」
「挨拶もなしでいきなりサボリの誘いかよ」
そう指摘すると思いっきりカタコトの「オハヨウ」が返ってきたので、俺もそれに倣う。
たわいもないやりとりに、教室の扉を開ける前の緊張が解れた。
よし。まだ、大丈夫だ。
「で、どうする?今日一限目自習だそうじゃ」
「マジ?じゃあ行く」
屋上は本来鍵が掛かっていて、一般生徒はあまり立ち入れない。
どっから調達してきたのか合い鍵をちゃっかり所持してる仁王だけは、頻繁に出入りしているけど。
そしてちゃっかりそれに便乗する俺と赤也も。
人気のない屋上は秘密基地みたいで居心地が良かった。
「おー、絶好のサボリ日和ー」
日当たりの良い特等席に腰を下ろすと、穏やかな風が髪を撫でる。
その心地よさに浸っていると、仁王が静かに口を開いた。
「で、丸井。何か俺に言いたいことあるんじゃろ?」
「へ?」
言っている意味を理解出来ずにいると、仁王は口角を上げ顔を指さした。
「学校、やめないで〜って顔に書いてある」
「────」
言葉が出なかった。
仁王は知っていたのだ。自分の噂と、それを密かに気にしてる俺に。
「気になるなら直接聞けば良いのに、お前さんらしくないのう」
「だって……」
自分でもらしくないとは思っていた。
でも“辞める”という単語を言葉にすれば、それが本当になってしまう気がして、口にする事が出来なかった。
そして例え冗談でも、本人の口から聞く事が怖かった。
「心配せんでも、当分は辞めたりしないぜよ」
頭をくしゃりと撫でられる。
「パッチンガムに引っかかり続けるフリしなくても、な」
「なっ……?!お前、気付いて……!」
ニヤリと笑う仁王を見て、顔が一気に赤くなる。
信じらんねぇ!仁王はそこまで気付いてたのか!
いくら食い意地張ってても、さすがの俺も馬鹿じゃない。
ただ罠に引っかかった時の仁王の楽しそうな顔を見て、こいつが面白がってるうちは姿を消すこともないのかな、なんて思ったりして。
騙された振りをして、こいつとの繋がりを保ってた。
まぁそれもただの空回りだった訳ですが。
「俺、超ダセーし馬鹿みてぇ……」
「おん」
あっさりと肯定する仁王を恨みがましく睨む。
どうせ馬鹿にしてんだろと思ったその顔は、思った以上に優しく、いつもの詐欺師とは別人なくらい温かい笑みを浮かべていた。
「でも、そんな馬鹿、嫌いじゃないナリ」
なんだこいつ、俺のこと大好きなんじゃん。
それに気づけず、失う事を怖がってた俺は、本当に馬鹿だった。
「仁王、」
「ん?」
「…俺に黙って消えんなよ」
「じゃあ、俺を退屈させんようにな」
仁王から本物のガムを貰うのは、どうやらずっと先のようだ。