部活帰りの夕方、平古場の家に立ち寄った甲斐が扉を開けると、それを狙ったかの様に雨が降り出してきた。
「うわぁ、タイミング悪……」
その間の悪さに甲斐が顔をしかめると、少し遅れて玄関に来た平古場が外を覗く。
「あー、降ってきたか……」
「わっさん。傘借りてっていい?」
甲斐の言葉に無言で頷くと、傘立てを指さす。
どうやら適当に持っていけということらしい。
何本もある同じようなビニール傘を手にすると、「別に返さなくてもいいから」とありがたい言葉を掛けられた。
「しっかし、今日は雨降るなんて言ってなかったのに」
普段は多少の雨なら傘を持たずに出掛けてしまう甲斐だが、このタイミングの悪さなら天気予報に八つ当たりしてしまうのも仕方がない。
「まぁ、仕方ないやさ。これはアレだろ。“遣らずの雨”ってやつ……」
と言いかけて平古場は言葉を濁す。
余計な事を言ってしまったと慌てて会話を変えようとするが、案の定甲斐は食いついてきた。
「ぬーやが、それ?」
「……別になんでもない」
再度質問をしようとした甲斐を遮り、平古場は外を指さした。
「それよりほらっ、早く帰らんと雨酷くなってくるぜ」
平古場の態度を訝しげに思いつつも、彼の言うことももっともだと平古場家を後にした。
雨足はだんだんと強くなってくる。
家路を急ぎながらも甲斐は携帯を取り出し、電話を掛け始めた。
『もしもし』
「あ、木手。ちょっと聞きたい事があるんやしが」
『なんですか?』
「えっと、ヤラズ?の雨…ってどんな意味?」
意外な質問にほぉーと木手が小さく呟いたのが聞こえる。
『君にしては難しい言葉知ってるじゃない。どうしたの?』
「あー、えーと テレビで前に聞いたの今思い出して……」
『……俺は辞書じゃないんだけど』
それくらい自分で調べなさいよ、と言いつつも木手は質問に答えてくれた。
『あのね、遣らずの雨っていうのは“大切な人を帰すのを惜しむかの様に降る雨”の事。ちょっとニュアンスは違うけど、俺はもう一つの解釈の方が好きなんだよね』
「もう一つって?」
『“恋人を帰したくないと思う気持ちが降らす雨”』
思わず携帯を落としそうになった。
慌てて携帯を握りしめた甲斐は、自身がかなり動揺していることに気付く。
心臓の音が雨音に呼応刷るかの様に響いた。
『もしもし、甲斐クン?』
「あっ、ゴメン。教えてくれてにふぇーでーびる」
形式的な挨拶を済ませ終話ボタンを押す。
待ち受け画面に戻った携帯電話を見つめ、甲斐は先ほどの木手の言葉を頭の中で反芻した。
(“恋人を帰したくないと思う気持ちが降らす雨”か…)
この雨を平古場は“遣らずの雨”と言った。
少しでも別れが惜しいと思ってくれたのだろうか。
「凛のふらー。わん頭悪ぃからそんな愛情表現伝わらんし」
全く素直じゃねーな、と苦笑しながら再び家路を急ぐ。
水たまりの水滴が跳ねるのも気にせずに、足は自然と走り出していった。
──家に帰ったら真っ先に電話しよう。
そんな事を思いながら走る雨の帰り道も、
うん。悪くない。