今なら夜空に盛大に打ち上げられてもいい



 夏の終わりに花火をしたいと永四郎に言った。
「そうですか。火の元には気をつけなさいね」
「どうせそんな感じだと思ったけどさあ!」
 永四郎のすんとした声と、私の泣き声が放課後の教室に響いた。ざわついた教室の中には、私たちに注意を向ける人はいない。たとえ私が机にべたんと上半身をあずけ、ぐねぐねと駄々をこねていてもそれは変わらなかった。
「不思議な踊りですね」
「踊らせてるのは永四郎だよ」
「人を呪術師みたいに言うんじゃありませんよ」
「直接攻撃の方が得意だもんね」
「お望みなら」
 私に見せつけるように、きゅっと固められた永四郎の拳を見て、慌てて彼に向かって手を伸ばした。なだめるような振りをして、指の付け根の骨をうりうりと指の腹で撫でる。
「ちょっと、くすぐったいでしょ」
 抗議の声はかすかな笑い混じりで、私はすぐに調子に乗る。
「だって気持ちいいんだもん。骨とか」
「骨の触り心地を褒められたのは初めてです」
「永四郎の初めてをもらえて嬉しい」
「言い方」
 せっかく気持ちがよかったのに、永四郎の右手を取り上げられてしまった。
「ね、花火」
「花火がどうしたの」
「夜の砂浜とかでね、きれいな花火と波の音とかでいい雰囲気になったりしてね、夏の終わりの思い出づくりっていうか」
 夏休み明けである。再来月になったら、永四郎はテニスの合宿に参加することが決まっていた。学校の部活と違って、ずっと遠くまで行かなくてはならない。だから、その前に。
「永四郎と花火しながらいちゃいちゃしたいです……」
 結局、目論見から目的から欲望まで、全てを吐き出した。ひどい。私だって羞恥心くらい持ち合わせている。ちょっとくらいその気持ちを汲んでくれたっていいのに。恨みがましく視線をあげると、永四郎は底意地の悪そうな顔で満足気に頷いていた。
「最初からそう言えばいいんですよ」
 花火ね、と永四郎はつぶやくと、スマートフォンの画面をするすると撫でてカレンダーを確認している。この日ならいいですよと示された日付はすぐそこで、実は最初から私のために時間を作ってくれる気があったんじゃないか。なんて、そんな風に自惚れたくなった。
「永四郎って、私のこといじめるの好きだよね」
「何を言うんですか」
 心外だと言わんばかりに永四郎が軽く目を見開く。わざとらしい表情だと私が思った瞬間、やはり永四郎は表情を変えた。先程も見たばかりの、底意地の悪そうに口角を上げた顔。嫌な予感がする――そんな風に思ったら。
「あなたのことが好きなんですよ」
 私にだけ聞こえる音量で告げられたそれに、私は見事に撃沈した。



「それでどうしてこうなる」
「何がよ」
 隣にいる平古場くんが首をかしげた。

 ――夜の砂浜。静かな波音。ふたりきりの海辺。
 そんな幻想が儚く砕け散ったのは、かれこれ三十分ほど前だろうか。

 待ち合わせた永四郎は、黒地の半袖シャツを軽く羽織っていた。暑いのかボタンを全部外して、首元のネックレスはともかく胸板とか腹筋とか、色々丸出しで目のやり場に困る。
「わざと?」
「わざとですよ。予想通りの反応で、気分がいいです」
 私は思わず永四郎の肩を強めに押したけど、常人離れしたバランス感覚の持ち主は、当然びくともしなかった。
 どんなにからかわれて拗ねたところで、永四郎が隣にいてそれを継続できる私ではない。
 花火とバケツとあと色々準備をして、左手に花火セット、右手には永四郎。完璧な両手のふさがり方に、私は完璧に浮かれて海までの道を歩いた。隣を歩く永四郎が微妙な表情を浮かべていることにも気づかずに。
 二人きりの花火予定地にたどり着いた私は、そのまま膝から崩れ落ちた。
「まあどうせ、こういうことになってるとは思いましたが」
 頭上から永四郎の声が降ってくる。こういうこと。どういうことかといえば。
 私たちの花火デート会場はすでに人でいっぱいだったのである。波打ち際を見てみると、よく知った顔までわらわらと。
「夏の週末ですからね。まあこんなものですよ」
「わかってたなら言ってよぉ……!」
「聞かれなかったもので」
 シャツの裾を掴む私に「やめなさい」と返す永四郎の声はどこまでも冷静で、このままびろびろに裾を引っ張ってやりたくなる。そんなことをしたらどんな目にあうか、知らない私ではないけれども。
「ほら、誰か通ったら蹴られますよ。立って」
 いっそ蹴られて転がってしまいたい気分だったけど、永四郎の腕には逆らえない。両脇を支えられるがままに立ち上がって、唇をむにゅむにゅと噛み締めた。拗ねと抗議のハイブリッドだった。
 砂浜へと降りる階段の上、そんなことをしていたら当然目立つ。何しろ私はともかく、一緒にいるのは木手永四郎である。ただでさえ人目を引くのだ。あっという間に知った顔――比嘉中テニス部の面々――に見つかって、そうなれば放っておかれるはずもなく。
 ――そういうわけで、私は今砂浜にうずくまっているのだった。
「二人きりの砂浜花火大作戦が……!」
「やーと今二人きりやんに」
「相手が平古場くんじゃん!」
 別に平古場くんに不満があるわけじゃないけど、平古場くんは私の彼氏じゃないのである。
「わったーに見つかった時点で諦めれー」
 人の悪そうな表情で平古場くんは笑う。
「永四郎がいなぐといるとこなんて、面白いに決まってるやし」
「だから邪魔してやれ、と」
「だからよー」
 平古場くんは「いかにも」といった様子でうなずいた。
「それ同時に私のデートも邪魔してるからね!?」
「はは」
「笑いごとじゃない」
 ちなみに今永四郎は、田仁志くんがスイカを一人で一玉食べようとするのを発見して、叱っているところだ。
 背後に甲斐くんが忍び寄っている。あれは海に突き落とすつもりだなあ――ああ、やっぱり。
 盛大な波しぶきと甲斐くんの爆笑、そして怒りのオーラを全身にまとわせて立ち上がる永四郎が、ここからでもよく見えた。
「平古場くんも行ってくれば?」
「ゴーヤの餌食は勘弁」
 どこから取り出したのか、いつもの緑色を両手に構えた永四郎がいた。甲斐くんが顔色を変えたけど、もう何もかもが遅い。縮地法同士の追いかけっこは洒落にならないなぁといつも思う。
「永四郎がついててやれって言うからよー」
 内緒やし、と平古場くんが笑う。さっきと同じような笑顔だった。
「永四郎はやーに過保護さあ」
「……まあね」
 照れ隠しで謎の威張り方をする私だった。
 永四郎の密かな(即座にばらされているけど)気遣いで機嫌を直したわけじゃないけど、私はふう、と軽く息をついた。
「――いてくれてよかったと思うんだよね」
「ぬーやが」
 私の言葉に、平古場くんはよくわからないというような顔をした。火のついていない花火の先を振って、平古場くんは先を促した。
「平古場くんだけじゃなくてさ、甲斐くんも田仁志くんも知念くんも不知火くんも新垣くんも――あとテニス部みんな」
 この夏に、みんなが永四郎の側にいてくれてよかった。
「私がお礼を言うのはなんか違うから言わないけど、でも、よかった」
「……永四郎が言うわけないやし」
「そうかな」
「決まってるさあ」
 そのまま平古場くんは砂浜に勢いよく寝転んだ。多分照れ隠しなんだと思う。
「引退式とか卒業式後の部室とか」
「あーあー」
「言われた方も言った方も意外と大号泣みたいな」
「わんは何も聞いてない!」
 とうとう平古場くんの羞恥心が限界を超えたらしく、叫びながら起き上がった彼は、そのまま永四郎たちの方へと走っていった。向かう先は言うまでもない。甲斐くんをゴーヤ責めしている永四郎の背中は、流石に無防備だ。
「――あ」
 さっき海から上がったばっかりなのに。
 永四郎どころか甲斐くんまでも巻き添えに、平古場くんは海へとなだれ込んだ。三人分の派手な水しぶきを見て、流石に声を出して笑う。
 拗ねて丸まっていたことなんて、いつの間にか忘れていた。



「――笑ってましたね?」
「……」
「吹けもしない指笛でごまかすのやめなさいよ」
「これ難しいね。音全然出ない」
「初心者が小指で吹けるわけないでしょ。だからごまかされませんよ」
 唇で挟み込んでいた小指を手首ごと取り上げられて、じろりと睨みつけられる。これが果たして彼氏が愛しい彼女に向ける表情だろうか。他に比較対象がいないからわからないけど。
「いたら承知しませんよ」
 掴まれた手首の血管を、指の腹で撫でられる。やわやわとした力加減なのに、命を握られているようでぞくぞくした。
「なに平古場くんをけしかけてるんですか」
「濡れ衣」
 別に私がけしかけたわけじゃなくて、平古場くんが自分の意志で飛び出していったのだ。
「どうだか」
「ほんとなのに」
 結局テニス部のみんなは騒ぐだけ騒いで帰っていった。十連パラシュート花火のつかみ取り選手権は、二人でやっても面白くなかっただろうから、みんながいてくれてよかったと思う。
「あなたが選ぶ花火のチョイス、どうなってるんですか」
「派手そうなの買ったらあんな感じだったの」
 最後に残ったのは手持ち花火がいくつか。しゅわしゅわと地味に消化する時間も、決して悪くない。
「永四郎と夏の終わりに思い出づくりができてよかった」
「そうですか」
「永四郎と夜遊び」
「補導されそうな言い方やめなさいよ」
「火遊び?」
「どこでそんな言葉覚えてくるんです?」
 一段声を低くした永四郎が、火の消えた花火をバケツに放り込みながら言った。
「火遊びのつもりでつきあってたら承知しませんよ」
 私の本気を誰より知っているはずの男が言う。わかっていて言うのだから、まったくたちが悪い。しばらく無言で花火を見守って、火が消えたのをきっかけに永四郎との距離を詰めた。バケツに入れた花火が小さく音を立てる。花火のあとの火薬の匂いがした。
 そのまま永四郎の背後に回る。私が何かしようとしているのをわかっていて、それでも何も言わないというのは許されている証拠だ。身体能力に差がありすぎると、こういうのがわかって便利だなと思う。その分、永四郎が本気で阻もうとすれば、私にできることなんて何もないわけだけど。
 だからだろうか。永四郎の背中から腕を回して、肩甲骨のあたりに頬をあてる。その感触だけでなんとなく泣きそうになった。
「いつも本気だよ」
「そうですか」
「人生設計狂うくらい」
「わかりづらいですよ」
 小さく吹き出した永四郎が、身体に巻きついたままの私の腕に手を添える。外す力は強くなかったけど、私はされるがままでいた。永四郎の意図がわかったからだった。
「この方がいいでしょ」
「うん。とっても」
 ぐるりと身体を反転させて、永四郎は私を包み込んだ。両腕の力加減は優しい。ちょっとくすぐったいくらい。でも気持ちがいい。痛いくらい強く抱きすくめられるのも、どっちも好きだった。
「今更ですけど、濡れますよ」
 本当に今更すぎて笑ってしまった。何度も海に落ちた(結局途中から数えるのを諦めるくらいに)永四郎の黒地のシャツは、未だに乾かず肌に張り付いていた。
「いいよ。濡れたシャツの人に抱きしめられるとどうなるのか知りたいから」
「なんですかそれ」
「永四郎に抱きしめられたままでいたいから、口実を作ってみた」
「俺にばらしちゃ意味ないでしょ」
 目を細めて永四郎が笑う。永四郎の視界の中にいられるなら、睨みつけられても構わない。そう思っていたけど、やっぱりこうして優しく見つめられる方が嬉しい。
 私を包む腕の力が少し強くなるのを感じて、私の願いが叶えられたことを知る。
「もうひとつわがまま言いたい」
「ひとつで済むんですか」
「今のところは、たぶん」
「どうですかね」
 憎まれ口を叩きながらも、永四郎の腕から力が抜かれることはなくて、それに後押しされるように私は口を開いた。
「……海に落ちた人にキスされると、どういう味がするのか知りたい」
 私の言葉に、永四郎は一瞬目を見開いた。でもすぐにまた表情を緩めて、
「俺と花火しながらいちゃいちゃしたいんですもんね?」
 私のいつかの言葉を繰り返す。
 いざそうやって言われるとやっぱり恥ずかしい。でも、確かにその通りだったから正直に頷いた。
「素直な人は好きですよ」
 素直になれるのも、正直に言えるのも、私が羞恥心を押し殺す度、永四郎がそうやって言うからだ。
「――いいですよ。叶えてあげます」
 そうしてこの夜、私のお願いもわがままも全部、永四郎に叶えてもらったのだった。



 週明けの月曜日、三年二組の前の廊下で見知った顔を見かけた。
「おはよう」
「おー」
 声を揃えてこちらを向いた平古場くんと甲斐くん。甲斐くんだけが「やばい」という顔をした。その視線の先は、私の横にいた永四郎で――あ、逃げた。
 甲斐くんが踵を返して廊下の向こうへと走り去るのと同時に「持ってて」という声が斜め上から聞こえた。両手に感じる重みの正体は、言うまでもなく永四郎の鞄である。身軽になった永四郎の本気の脚力。甲斐くんがどうなるのかは――まあ、うん。
「あーあ」
 他人事のように見送る平古場くんと私が残された。
「裕次郎、今日までに絶対夏休みの宿題やってこいって言われてたんだぜ」
「ああ、それで」
 花火の夜の別れ際、甲斐くんに何か永四郎が言い聞かせていたのはこれだったのかと悟る。
「――で、」
 意味深に言葉を区切った平古場くんが、にやにやと人の悪そうな笑みを私に向けた。これはあれだ。今からお前をからかいますよという表情だ。
「わったーが帰った後どうなったわけ?」
 たぶん、平古場くんは本当に聞き出したいわけではなかったのだろう。私をちょっとからかってやろうとか、そういういつものやつだったに違いない。
 一瞬言葉に詰まった私は、周囲を見回して、それで。
「……海に落ちた人の口はしょっぱかったよ」
「は、」
「内緒ね」
 この前の夜の平古場くんと同じように、人差し指を口の前に立てて見せた。
「聞くんじゃなかったさあ!」
 全力の惚気を聞かされた平古場くんの、後悔の嘆きが廊下に響いた。
 喋ったことが永四郎にばれて、怒られるのは私だ。でも「知った」ことがばれて平古場くんがどうなるのかは――想像に難くない。
 永四郎との花火デートを面白がって邪魔しようとした件は、これで帳消しである。
 甲斐くんを捕まえた永四郎が戻ってくるまでの間、私は平古場くんの恨み言を甘んじて受け入れた。

2022/09/04 up
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