木手永四郎と相合傘したい



 沖縄の梅雨は油断ならない。
 一日中しとしと降り続くのかと思いきや、急に晴れ間がのぞいたりする。それで油断して、傘をもたずに出かけると突然夕立みたいな雨に降られたり。
「全身ずぶ濡れになったあなたの姿。あまりに哀れで見ていられませんでしたよ」
 放課後の教室である。私の隣から聞こえてくる、辛辣な声の正体といえばひとつしかない。
「『濡れて風邪をひいたりしたら心配だから、ちゃんと気をつけて傘を持ちなさい』かな」
「なんですかそれ」
「木手永四郎語の翻訳」
「おかしな言語をつくらないでください」
 露骨に嫌そうな顔をする永四郎は、それでも私の言葉を否定はしなかった。
 雨が降ろうが風が吹こうが、比嘉中テニス部の練習にはあまり関係がない。たぶん槍くらいなら降っても練習していると思う。
「岩なら降りますけど、槍はまだ体験したことありませんね」
「何度も聞くけど、ほんとうにテニス部なんだよね?」
「何を今更」
 呆れた顔をされた。私はそんなにおかしいことを言っただろうか。テニスの練習で岩が降ってくるなんて、テニス部の彼氏ができるまで知らなかった。
 とにかく、色んなものが降ってきても練習を続ける比嘉中テニス部なわけだけれど、学校の部活である以上、最優先事項である「学業」には敵わない。
 つまりテスト前のこの時期は、部活動が強制的に休みになる。そういうわけだった。
「この時間から一緒に帰れるの、嬉しいねぇ」
「一緒に帰るなんて言いましたっけ?」
「大声で泣きわめくよ」
「やめなさいよ」
 私の脅し(?)に吹き出すようにして笑いながら、永四郎は帰り支度をさっさと済ませてしまう。もたもたしていたら本当に置いていかれるかもしれない。慌ててかばんの中にあれこれ詰め込む私を、永四郎はじっと見ている。視線が刺さるくらいに。
「なぁに?」
「本屋にでも寄りますか」
「寄る!」
 放課後に二人で過ごせる貴重な時間が伸びた。嬉しい。
「そんな嬉しそうな顔して」
「嬉しいからしょうがないよね」
 別にいいですけどね、とかなんとか。口の中でもごもご言いながら視線を逸らす永四郎は、きっと少し照れていた。木手永四郎検定三級持ちの私にはそれがわかる。
「おかしな検定を作るんじゃありません」
 本日二度目のお叱りを受けながら、私達は並んで昇降口へと向かう。



「まだ降ってるねぇ」
「まさか傘を忘れたなんて言わないでくださいよ」
 流石に朝から雨が降っていた日には忘れない。傘立てから自分の傘を引きずりだして、同じように自分の傘を探そうとする永四郎の手首を思わず掴んだ。
「……どうしたの」
 私にしては素早い動きに、永四郎のレンズ越しの目がほんの少し見開かれる。私を見下ろすその目をまっすぐ見つめ返して、手の中にある傘をぎゅっと握りしめた。
「急に雨が降ってきちゃったね」
「ずっと降ってますけど」
「私、傘持ってきてるんだ」
「俺も持ってますけど」
 さっきから何ひとつ予定通りにいかない。
「……持ってないことにならない?」
「なりませんよ。見なさい」
 私に掴まれた右手首とは反対の手の中に、永四郎の傘が収まっていた。うすい紫と白のシンプルなやつ。私はあえてそこから目をそらす。
「そっか、永四郎傘持ってないんだ」
「突きますよ」
 傘で。
「それはやだー!」
 物理的にわからされそうになって、私は根をあげた。自分の身を守るようにして距離を取ると、永四郎は自由になった自分の手首に一瞬目をやる。そしてあからさまなため息をついて、私に視線を戻した。
「なにか言いたいことがあるなら、さっさと白状しなさいよ」
 こうなってしまえばもう、私に抵抗する術などありはしない。数秒逡巡してから、私は観念した。
「永四郎と、相合傘がしたかったです……」
 雨の音にまぎれそうなほどの小声は、それでも永四郎の耳にしっかり届いたらしい。やれやれ、と意味深な笑みを浮かべて、自分の傘を握り直す。どうやら私を突くのはやめてくれたらしい。
「そんなことだろうと思いましたよ」
「思ったのなら察してくれたって」
「気づかないでいた方が面白そうだったので」
 面白さを優先されていた。
「じゃあ、あの……」
 もじもじと自分の傘を差し出す。面白がられていたのはこの際もういい。
「帰りましょうか」
「傘ー!」
 自分の傘をすぱん! と広げた永四郎に、流石に大声が出た。だって、今のはもう絶対に「そういう」流れになるはずじゃないの?
「せっかくちゃんと正直に言ったのに!」
「正直に言えばいうことを聞いてやる、なんて言ってませんけど」
「うわーん確かに!」
 白状しろと言われて、私がまんまと命令を聞いてしまっただけだ。だって、私の身体は永四郎のいうことを聞くように作り変えられてしまったから。永四郎は全然そんなことないというのが切ないところだけど。それが木手永四郎なのだから仕方がない。
「でも、でもね」
「おや。まだ何かあるんですか」
 もう半分面白がっているであろう永四郎相手にも、私はめげはしない。これでめげるくらいなら、最初から永四郎のことを好きになんてなりはしなかっただろうし。
「今日の私の傘には、ピーちゃんがついているとしたら……!?」
「……は?」
 最終兵器を繰り出した私に、さすがの永四郎もぽかんとした表情を浮かべた。ピーちゃん。ピッキー。永四郎の愛すべきペットのオカメインコである。きっと私よりも可愛がられている気がする。
「何言ってるんですか俺は充分あなたを……いえなんでもないです忘れなさい。絶対に忘れなさいよ。ペットとあなたは比較するものじゃないでしょ。それで、ピッキーがなんですか?」
 永四郎が今、絶対に忘れちゃいけないことを言いかけた気がするけど、とりあえず今は脇に置いておく。あとで詳しく蒸し返そう。絶対に。
「これ」
 ひとまず永四郎の疑問に答えることにして、傘の柄の部分を永四郎に見せた。そこには愛らしいインコのマスコットが、傘の柄をとまり木のようにしてくっついていた。昨日の帰り道に見かけて、思わず手に入れてしまったのだ。
「かわいいでしょ? 思わずこの傘に入りたくなるでしょ?」
 永四郎は私の傘のピッキー(に似ているインコ)と目を合わせてしばらく無言でいた。そして諦めたように。
「……ピッキーを出されちゃ仕方がないですね」
 傘を畳みながらため息をついた。



「歩きにくいですねぇ」
 文句を言いながらも、傘を持ってくれるのだから永四郎は優しい。ピッキーがついている傘を持ちたかっただけかもしれないけど、私はこういう時にいいように解釈するのである。
「濡れてないでしょうね」
「永四郎にくっついてるから平気」
「歩きにくいのはそのせいですか」
「永四郎は濡れてない?」
 歩きにくいから離れろと言われないようにさっさと話題を変えた。平気です、という声が斜め上から降ってくる。いつもより距離が近いから、その表情は見えない。けれどその分、体温とか肌に掠めるシャツの感触とか、そういったものの一つ一つに緊張した。
「自分からしたいって言っておいて。なんなんですか」
 私の緊張を悟ったのか、永四郎は呆れた声を出す。だってこんな、ここまで密着するものだとは思っていなかったから。
「もっとこっちに来ます?」
「それじゃもう、抱きついてるみたいになっちゃうじゃない」
「そうしたいのかと思いました」
 違うとも言い切れないから困る。
 ちょうどよく信号が赤になって立ち止まると、私はためらいながらも口を開いた。
「……あのね、これ永四郎にあげようと思ったの」
 インコのマスコットを見て、思い出したのは永四郎のことだけだったからだ。
「今つけてあげる。そしたら、ほら、ね?」
 無理してこんなふうに歩かなくても済むし、私はもうここまでで充分だった。充分どきどきしたし幸せだったし、だから。
「そうですか」
 永四郎はつまらなそうな声を出した。続けてそうですね、と小さくつぶやく。
「ならありがたく貰います」
 つけてください、と永四郎は自分の傘をこちらに向けた。手が空いているのは私だけだったから、私はいそいそとインコを外して永四郎の傘につける。
「ありがとうございます」
 自分の傘を見て、永四郎は穏やかな声を出す。ちょうど雨に溶けていくくらいの。
 じゃあ、と永四郎が自分の傘を開くのを待った。しかしその瞬間がおとずれないことに気づいて、思わず永四郎の顔を見上げた。
「なんですか」
「だって、ほら」
 もうインコのマスコットは永四郎の傘にとまっている。だから。
「ああ」
 永四郎は納得したような声を出すと、少し眉をしかめた。
「ピッキーに釣られてこうしていると思われたくなかったもので」
 そんな不機嫌そうな顔をして、私の心臓をたやすく止める。
「別に傘くらい一緒に入ってあげますよ。歩きにくいですけど、あなたにしがみつかれるのは嫌いじゃないものでね」
「や、あの」
「それに」
 まだあるというのか。
「手が繋げないのは面白くないですけどね」
 たたみかけられる言葉の数々と、その威力。
 私はもう本当にだめにされてしまった。
「梅雨早く終わらないかなぁ……」
 両手で顔を覆った私の耳に、小さく笑う声が響いた。そして。
「……同感です」
 今日一番近い距離から、溶けそうに甘ったるい声が流し込まれた。



「あげます」
 翌朝。耳に馴染んだ「おはようございます」の次に、永四郎の口から飛び出したのはそんな言葉だった。
「ありがとう」
 突き出されたものをとりあえず受け取る。手の中にころんと転がり落ちてきたのは、昨日のマスコットと同じくらいのサイズ感だ。
 よく見ると同じシリーズの別の鳥である。これは……ハシビロコウ……? 目つきの悪い鳥が私を見つめている。
「もうそれしか残っていなかったんですよ」
 不満そうな永四郎の目つきを見て、思わず口角が上がる。
「ふふ」
「何が言いたいんですか」
「なんでもない。ありがとう。嬉しい」
「言いなさいよ」
「ほんとになんでもないよ。目つきが悪くてかわいいね」
「誰がかわいいですか」
「この鳥さんだってば」
「本当でしょうね」
「ペンで眼鏡描いてあげようかな」
「突きますよ。傘で」
「痛いって泣くから慰めてね」
「あなた何も反省してないでしょ」
 照れ隠しの脅しに、私はますます笑みをこぼす。
 照れているのが伝わるのが嬉しかった。

「何しろ木手永四郎検定準二級だからね」
「勝手に昇級するんじゃありませんよ」

2022/06/25 up
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