こたつとみかんと甘えの深度



「沖縄にもこたつがあるんだねぇ」
「沖縄を何だと思ってるんですか」
 年明け早々に永四郎の呆れた声が響く。どんな表情をしているのかは見なくてもわかっていた。
「それに冬は普通に寒いし」
「ここを常夏か何かと勘違いしてません?」
 していた気がする。
 永四郎の部屋でこたつに滑り込んだ私は、向かいに座る永四郎に物欲しそうな視線を送った。永四郎は当然それにすぐ気がつくわけだけれども、一瞬にして眉をしかめる。多分、私がまたろくでもないことを言うと思っているに違いなかった。
「だってろくでもないことを言うでしょう?」
「聞いてみないとわからなくない?」
「聞かなくてもわかりそうだから言ってるんですよ」
 こたつ布団を引き上げながら永四郎は言った。
 木手永四郎とこたつ。私から見ると和む光景なのだが、世間一般的にはアンバランスに映るかもしれない。年末年始の休暇中だというのに、永四郎はいつも通り髪型をかっちりとセットしていた。
「休みなんだから髪の毛下ろしててもいいのに」
「そういうものじゃないんです」
 永四郎はいつも髪の毛のセットを欠かさない。自然体の姿を外で晒すのは恥ずかしいのだと言っていた。夜、入浴を終えてから朝目覚めるまでのわずかな時間にしか見ることのできないそれは、見ているとなんだか得をした気分になる。
「下ろした方が好きなんですか」
 じろりと睨めつけるみたいな視線を向けられる。それはかつての私であれば怯えるものであったのだが、今となってはその奥の永四郎の意図まで理解できてしまう。私の表情は途端にしまりをなくしていった。
「どっちも好き。だから心配しないでね」
「してません」
「大好きだよ」
「二回も言わなくていいんですよ!」
 声を荒げるのと引き換えに耳朶が染まる。照れた時に怒るのはいつもだ。三回目を言おうとしたけど、それよりも永四郎の方が早かった。
「それで、今度はどんなろくでもないことを考えていたんです?」
 強引に話を戻された。年明けのおめでたい空気に乗せられて深追いしても良かったのだけれど、調子に乗りすぎれば逆襲が待っている。私はおとなしく永四郎の言葉に返答することにした。
「私と永四郎は今こたつの天板に隔たれてるでしょ?」
「たかだか一メートル足らずですけどね」
「中を潜って向かいまで行ったらくっつけるかなって思ってた」
 こたつの中の大冒険の計画を口にした私を、永四郎は黙って見つめている。その表情を一言で表すならば「無」であった。
「想像以上にろくでもなくて言葉を失ったんですよ」
「もぐっていい?」
「蹴り飛ばされますよ」
「蹴り飛ばすのは永四郎の意思じゃん……」
 流石にいくら永四郎だって、愛する彼女(私のことだ)を無碍に蹴り飛ばしたりはしないと思う。思いたい。
「愛する彼女ならね」
 今度は私が黙り込む番だった。永四郎の言葉を噛み砕いて理解すると、俯く首の角度がぐんぐんと下がっていく。
「ちょっと、本気にするのやめなさいよ」
 焦る永四郎の声に、どれほど私が安堵したのか、多分永四郎はわかっていない。
「だって」
「……すみません。そうですよね、あなたこういうの刺さるんでしたよね」
 嘆息する永四郎に、私は顔を隠すようにこたつ布団を引き上げた。いつの間にか冷たくなっていた鼻先が、柔らかな生地に触れて暖かい。
 その場に小さく、私を呼ぶ永四郎の声が響く。
 拗ねていようが落ち込んでいようが、永四郎の声はすぐさま私をとろとろにしてしまう。そういう身体になってしまった。永四郎のせいだ。
 めちゃくちゃになった心境そのままの顔で見上げた私を、永四郎は向かいから見つめていた。その目元は、声と同じくらい穏やかで甘い。
「――おいで」



「永四郎はさ、ちょっと甘い声で甘いこと言ったら私が機嫌直すと思ってるでしょ」
「思ってますよ。あなた俺のこと大好きですからね」
「その通りだよ大好き!」
 悔し紛れに叫んでも、永四郎には響かない。
 そして私の方も、背後から大好きな彼氏に包み込まれている状態で、これ以上拗ねを継続させることなんてできなかったのである。
 身体の前面にこたつ、背面に永四郎。
 ニライカナイはここにあった。
「ないですよ」
「湯船に極楽があるんだから、こたつにニライカナイがあっても許されると思わない?」
「どういう理屈なんです?」
 理屈はどうあれ、こたつは暖かいし永四郎のことが大好きだし幸せだという話だった。
「……ならいいんですけどね」
 突っ込むことを諦めた永四郎は、私を背後から抱え直して小さくため息をついた。



 こたつの上の小さな籐かご。その中にいくつかのみかんが積み上がっている。いかにも冬らしい光景だった。
「食べてもいい?」
「お好きなだけどうぞ」
 お言葉に甘えて籐かごの中から一つ取り出した。そのまま手のひらで包み込んで軽くもにもにと弄ぶ。こうすると剥きやすくなると聞いたことがあった。
「みかんっておいしいよね。ビタミンたっぷりだし」
「ゴーヤにもビタミンがたっぷり含まれているんですけどね」
 聞こえていないふりでみかんを揉み続ける。永四郎は諦めているのか、それ以上の追撃をしてこなかったので助かった。
 私は傍らに置いてあったボックスティッシュから二枚ほど引き抜いて、みかんを包み込んだ。
「どうしてティッシュで包むんです?」
「爪の中に皮の白いところが入ると、痛くなるから嫌なの」
「相変わらず軟弱ですねぇ」
 爪と肉の間なんてどうやったって鍛えようがないと思うけど、永四郎は違うのだろうか。確かに私と永四郎の爪は薄さどころか形や大きさまで何もかもが違う。
「……」
「今度は何ですか」
 どう返事をしたものか迷っていたら、永四郎は私の肩口あたりに顎をのせて続きを促した。
 手にしたみかんを軽く持ち上げた。永四郎は黙って待っている。
「例えばこれを『剥いて』って頼んだとしたら、永四郎はそれくらい自分でやりなさいよって言うと思うんだよね」
 そのままティッシュ越しにみかんに親指を突き立てる。
「確かにみかんくらい自分で剥けるんだけど、私ね、もしも誰かとつきあうのならみかんの皮まで剥いてくれるような人じゃないと駄目なんだと思ってたの」
 自分の心の全てを誰かに預けてしまうのは怖いから、それくらい甘やかしてくれる人じゃないとやっていけないと思っていた。けれど実際の私はこうやって自力でみかんに爪を立てている。
「でもね、永四郎のことこんなに好きなんだから恋心って不思議だなって」
 みかんを剥いてくれるどころか、代わりにゴーヤを食べさせようとしてくる男なのに、私は永四郎のことが大好きなのである。みかんを見つめながらそんなことを考えていた。
「……あの、永四郎?」
 永四郎は脈絡のない私の話をいつも根気強く聞いてくれるけれど、流石に今回は無言が長すぎた。もしかして寝ている? 不安になって振り向こうとした私を、二本の腕がぐるりと封じ込めた。
「いくつか誤解があるようなんですがね」
 感情の読み取れない声で永四郎が囁いた。右耳の辺りで唇が触れるか触れないかの距離。そんな場所で背後から声を出されることに私は弱いのだけれど、身じろぎしても永四郎の腕は私を逃してくれることはない。何度か逃れようとしてとうとう諦めた私を確認して、永四郎は腕から力を抜いた。
「よこしなさい」
 その代わりに短く言い放つと、私の手からみかんを取り上げる。そのまま続きを剥き始めた。私はその様子を黙って見守ることしかできない。
 永四郎の爪はいつもきれいに切りそろえられていた。万が一ラケットやボールに当たっても危なくないようにだと思っている。その指先が器用にみかんの皮を剥いていく。いつまでも見ていたいような気分になった。
 外側を全て剥いてしまうと、永四郎は丁寧に白い筋まで剥がしていく。私もそれを取るのは好きだ。なんとなくかさぶたを剥がしたくなる時のわくわく感と似ていたから。かさぶたは状況を見誤ると痛い目をみるけれど、みかんの白い筋はその心配がないところがいい。もしかしたら永四郎も同じだろうか。
 いつまでも見ていたいと思っても、みかんの皮は有限だ。全てをきれいに取り除かれたみかんを一房ちぎり取ると、永四郎は「口をあけて」と小さく私に命じた。私が従うと信じて疑わないのだろう。口元に押し付けられたみかんを、私はおとなしく口内に受け入れた。
 みずみずしい甘さと冷たさが心地いい。乾いた身体とぼうっとしていた頭までついでに冷えていくようで、思わず脱力した背中を永四郎が支えている。
「どんな気分ですか」
 私がみかんを飲み込むのを待って、永四郎は言った。
「……私は永四郎にめちゃくちゃ甘やかしてもらえてるんだなっていうのを実感して幸せです」
「わかればいいんですよ」
 私の答えに満足したらしい。再度みかんをちぎり取り、今度は自分の口に放り込んでいる。私の方はと言えば、頬やら耳やら首から上が熱くてのぼせそうな有様だというのに。当然こたつのせいではない。
「永四郎も私にみかん剥いてほしかったらいつでも言ってね」
「そうします」
 吐息混じりに笑われるのがくすぐったい。でも今はとにかく照れ隠しに何か言わずにはいられなかった。
「永四郎のこと誤解してたかもしれないね。永四郎優しいからみかんの皮くらい剥いて――」
「相手によりますけどね」
「……!」
 照れ隠しで自爆していたら世話はない。言葉を失う私を見て気を良くしたのか、背後で笑いを噛み殺している気配がする。
「俺はみかんの皮くらい自分で剥きなさいって思いますよ」
「うん」
「その俺がこんなことをする意味を、しっかり噛み締めなさいね」
 最後の一房が唇に当てられた。ひんやりとした感触に口を開ける。みかんを押し込んだ指が、唇を意味深に撫でた。
 口の中に広がる味は、いつもよりずっと甘い。
「……私は特別?」
「そうですね」
 顔が見えなくてよかった。とてもじゃないけれど今の顔は見せられたものじゃなかったから。だというのに永四郎は。
「――愛する彼女ですからね」
 本日最大の発言で、私を完全に撃沈させた。
「こら、どこへ行くつもりですか」
 こたつの中に避難するつもりだった。反対側へ通り抜けようとする私を、永四郎の腕は容易く捕まえる。潜りかけた私の両脇が抱えられて、ずるずると引きずり出されて元の位置だ。
「逃がすわけがないでしょうに」
 その楽しそうな声といったら、もう。
 あっさり引き戻された私は、さっきまであんなにたどり着きたかった永四郎の腕の中で、悲鳴をあげる羽目になるのだった。
 ――これもまた幸福な年明けである。たぶん。

2022/01/14 up
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