チョココロネのひみつ



 昼休み開始のチャイムが鳴った。購買部でお目当ての昼食を手に入れて、目的の場所へと足早に向かう。
 日当たりの良い中庭も、賑やかな教室も素通りして、人通りの少ない階段を駆け上がった。
(転びますよ)
 頭の中で再生される声に、思わず表情を緩めた。三階分をまとめて上ると流石に息が切れる。そんなところを見られてしまったら、きっとまた(だらしがないですねぇ)なんて呆れられるに違いなかった。
 本来は入れないはずの屋上へのドアの前までたどり着いて、私はようやく一息つくことができる。
 いつもなら鍵がかかっているはずのドアは、ある一定の条件が揃っている時にだけあっさりと開く。例えば、今のように。
 目を刺す日差しに眉をしかめた。コンクリートの地面の白さに目が慣れるまでしばらくかかる。後ろ手に重いドアを閉めると、金属質な音が響いた。
「――遅かったですね」
 それと同時に、耳に馴染む声も。
「購買がちょっと混んでた。ごめんね待たせた?」
「別に構いませんよ」
 声の主――木手永四郎はこの日差しの中でも涼しげな顔をして、フェンスにもたれて座っている。お弁当の包みを傍らに置いて、視線だけで「来なさい」と私を呼んだ。

 本来学校の屋上なんてものは立ち入り禁止なのが普通で、扉だってしっかり施錠されているはずだった。なのに私と永四郎がこうして屋上で昼ご飯を広げようとしているのは――まあ、永四郎があまり大きな声では言えないような理由でどうにかしているのだろう。そこを深く追求するとろくな結果にならなそうで、詳しく聞いたことはない。私だってこうして彼氏と二人きりで昼ご飯の時間を過ごせるのは嬉しいから、黙って受け入れてしまっていた。
「今日もパンですか?」
「そうだよ。永四郎はお弁当?」
「せめて学食のテイクアウトでもしたらどうです? 身体の為には菓子パンだけでなく栄養バランスを考えて、例えばゴー……」
「いただきまーす!」
 まだ何か言いたそうな永四郎の言葉を遮って、袋の中から本日の昼食を取り出した。永四郎は不満そうだったが何も言わない。ため息交じりに自分のお弁当を食べ始めた。
「ほら」
「ありが、むぐ」
 せめて少しは野菜をとりなさいよ。そんなことを言いながら箸で卵焼きを割って、私の口にねじ込んでくる。出汁の風味と砂糖の甘みと、どうやっても主張してくる苦み。細かく刻まれた緑の正体は言うまでもない。苦いと弱音を吐く私に、永四郎はこうして少しずつゴーヤの味を覚え込ませようとしてくるのだった。実際最近では少しずつ食べられるようになってきてしまったので、永四郎の目論見は見事成功しているということになる。
 おとなしく卵焼きを飲み込んだ私に、うんうんと頷く永四郎はどことなく満足そうで、これは一種の餌付けじゃないかなと思いながらも、私は黙って自分の分の昼食に取りかかる。
「ほんとにそれよく食べますね」
 呆れたように呟く永四郎の視線の先――私の手に収まっているのは大ぶりのチョココロネであった。こんがりきつね色に焼き上がったねじねじのパンの中に、口溶けなめらかなチョコレートクリームがたっぷりと詰まっている。どこか巻き貝を思わせるかわいらしげなフォルムのそれは、私の定番の昼食だった。
「おいしいからね」
 クリームが詰まった菓子パンを昼食にすることに、永四郎はやはり不満そうだ。でもここで怯んだら、明日から私の昼食は学食のゴーヤづくしデラックスになってしまう。それはやはりなんというか、少し遠慮したかった。
「ちゃんと朝と夜は食べてるから大丈夫」
 心配してくれているのはわかっているから――彼氏というより若干お母さんみたいだなという言葉は飲み込んで――安心させるようにここ最近の食事のメニューを挙げた。このままでは永四郎が我が家の台所に乗り込んで来かねない。何しろゴーヤ料理が得意な彼氏なので。
 それに。
「永四郎見てると食べたくなるの」
 チョココロネの甘さと隣に彼氏がいてくれる空間。二つの幸福に包まれてうっかり口を滑らせた。私の視線――おでこのすぐ上――に気づいた永四郎は、私が何を言いたいのかすぐに察したのだろう。眉をしかめてぐい、と顔を近づける。
「コロネじゃないと言ってるでしょう」
 前髪が触れるくらい近づいて私を睨みつける表情は、他人なら多分震え上がってしまうだろうなと思う。私も最初はそうだったし。
 だけど今は「私の永四郎はやっぱりかっこいいな好き」になってしまうだけなので、我ながら完全にやられてしまっているとは思う。少しでも永四郎を感じるものを昼食のメニューに選ぶだなんて、健気な彼女だと自負している。永四郎は絶対に否定するだろうから、口にはしないけど。
「やっぱり永四郎のこと好きだからかな」
「聞いてますか?」
 色々省略した結果の言葉に、永四郎は呆れたような声を出した。さっきの卵焼きのお礼にとチョココロネを差し出すと、無言で一口かじり取る。もくもくとものを咀嚼している永四郎の口元は健康にいい。私の心の。
 きちんとすべて飲み込んで、お茶のペットボトルで喉を潤してから永四郎は微かに首をかしげる。
「その菓子パンと俺の髪型については一旦置いておくとして、俺が好きで俺を思い出すから食べてるって言いました?」
「うん」
 私の返事に何を思ったのか、口元を押さえながら永四郎は黙り込む。なんだろう。私が永四郎を好きなことは多分知ってると思うんだけど。
「それはもう知ってます。充分ね」
 ならよかった。
 手のひらで口元を隠したまま、永四郎はぽそりと呟いた。
「……君それ随分前から食べてますよね?」
 ちなみに、私たちがお互いの気持ちを確かめ合ったのは、つい最近のことである。
「へえ……」
 それだけ言うと永四郎は目を細めて、何やら一人で頷いている。私は何も言ってないのに。否、何も言えずにいるのに。
「そんなに前からですか。そうですか」
 口元を隠した手のひらの下が、どんな表情になっているのか。わざわざ覗くまでもない。
「顔が真っ赤ですよ」
 その楽しそうな声を聞くだけで充分だった。



 翌日もやはり私は購買で昼食を調達して、永四郎が先に待つ屋上へ向かった。
 隣に座って袋から取り出したのはハムと野菜と卵のミックスサンド。栄養バランスがいい。永四郎が勧めてくるからそうしたのだ。そう、あくまで栄養バランスに気を遣った結果だ。
「コロネはいいんですか」
 昨日みたいに口元を覆って取り繕うこともしない、純度百パーセントでニヤニヤしている。
「今日はいいの」
 何も気にしていませんよ、という響きになるように、あえて何でもないように振る舞った。耳のあたりがじわじわ熱いのには気づかないふりをする。
「おや、そうですか」
 白々しい声音の永四郎は、ごそごそと自分の昼食の準備を始めて、そして。
「じゃあ俺が買ったのをあげましょうね」
 取り出されたチョココロネを私に見せつけるように差し出した。
 思わず取り落とした私のサンドイッチの包みは、永四郎がぬかりなくキャッチする。
「……っ!」
 意地悪という叫びが、その場に響いた。
 その声を聞いた永四郎の機嫌は、ますます上昇したようである。

2021/03/21 up
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