昔から、彼の熱いのか冷たいのか分からない性格は苦手だった。熱いエレンは心底面倒くさかったし、冷めているエレンは素っ気なくて取っ付きにくかった。どちらかというと、面倒事がきらいで誰とでも波風立てずに接しているわたしは、自分とは正反対のエレンになるべく関わらないようミカサやアルミンの後ろに隠れ、つまるところ彼との距離を置いていたのである。
エレンを始め、ミカサとアルミンもそのことに気付いていたと思う。けれど、それを敢えて言葉にしない彼らは優しいと感じた。ミカサとアルミンは何かとわたしを気にかけてくれていたけれど、一方のエレンは本当に何も言わず、わたしがどれだけツンとしていても怒ることすらしなかった。逆にわたしとしては、そんなエレンの態度はありがたかったけれど、ミカサとアルミンに心配をかけてしまうのは何だか申し訳ない気持ちもあったのだ。頭のいいアルミンからは、思春期の延長だと笑われたけれど、思春期というものが当のわたしにはよく分からず、かと言って考えることも億劫だった。二人に申し訳なく思いながらも、今更エレンと関係修復しようとは考えられず、相も変わらず苦手なエレンの背中から、わたしは目を逸らし続けていた。


「なまえ、僕たち、訓練兵団に入るよ」


季節は寒さの厳しい冬を迎える。わたしとアルミンは小さな頃から寒いのが苦手で、二人して鼻の頭を赤くしてはミカサに呆れられたものだ。そんなミカサは、エレンからもらったというマフラーを首元に巻いていて、それはとても温かそうで、隣で羨ましがるアルミンとは裏腹に、わたしは何だか重苦しい感覚がお腹のあたりを渦巻いたことを覚えている。別にアルミンみたいに羨ましいとか、そんなことを思ったわけじゃないけれど、素知らぬ顔で地面に寝転んでいる暇があったら、わたしにも上着のひとつくらい貸してくれたっていいのに。水気のないひび割れた地面をそうっと指でなぞりながら、貸してもらっても困るけど、と変なジレンマに悶々としながら、日焼けしたエレンの首筋を盗み見る。

そんなとき、ふとアルミンがわたしの肩をつかんだ。名前も呼ばず突然つかまれたものだから、少しだけびっくりしてアルミンを振り返ると、彼はいつになく真剣な面持ちでわたしを見ていた。ここ最近、アルミンは急に大人びてきたなあとその表情を見ながら場違いにも思っていると、アルミンは男の子特有の声変わりを気にしているのか、少し嗄れた声を咳払いで整えながらわたしの名前を呼んだ。なあに?と肩をつかむ手を取りながら彼を見ると、とてもとても悲しそうな顔をしながら、そして同じように悲しそうな声でわたしへとそう告げた。わたしはばかだから、アルミンが言ったその言葉の意味をすぐに飲み込むことができず、流れた一瞬の沈黙にひどくいたたまれない感覚に襲われた。


「いきなり変な冗談やめてよ、アルミン」
「冗談じゃないよナマエ。僕たち本気なんだ」
「嘘でしょ、信じないからわたし」
「ナマエ、聞いて」


いくらわたしがばかだからって、こんな冗談言うなんてアルミンはひどい子だ。訓練兵団なんて、そもそもアルミンたちが入れるわけない。聞いた噂によれば、訓練兵団に入った人たちはそれはそれはひどい拷問を受けるらしいじゃない。下手したらそこで命を落とす人だって出るみたいだし、例え入団したとしてもすぐに根を上げるに決まってる。それに、それに訓練兵団なんて入ったら、あの巨人と接触する可能性だってあるんだよ!

そう叫んだ瞬間、瞼の裏に浮かんだのは口端からどろりと血を垂れ流す醜い姿。夕焼けが綺麗だったあの日、家族が、友達が、大切だった何もかもが食べられていった。わたしだけじゃない、アルミンだってミカサだって、それにエレンだって同じ。あの恐怖を味わっているのは三人だって変わらないのに、わざわざ訓練兵団に行くだなんて。悪い冗談に決まっていると耳を貸さないわたしに、アルミンはとうとう困った顔を浮かべた。ミカサは相変わらず無表情でいたけれど、何か言いたいことがあるのだろう、綺麗な黒目がちの眼差しがわたしへと向けられていて、それはとても居心地が悪く泣きたくなるような気持ちになった。でも、わたしはアルミンが冗談だよって笑い飛ばしてくれるまで絶対に動かない。訓練兵団に行くなんて馬鹿げたこと、許したりなんかできないんだから。


「…エレン、」


ミカサの声が空気に震えたのは、それから少ししてからだった。ミカサは余程のことがない限り感情を出さない。小さいときから一緒にいるわたしでさえ、ミカサが怒ったり泣いたりするところは数えるくらいしか見ていないのだ。それでも、ミカサは優しいから、わたしが何か悪いことをすると叱り、そして諭してくれた。年は同じなのに、まるでお姉さんができたみたいだと、いつかミカサに打ち明けたことがある。ミカサはそんなわたしを見て、ほんの少しだけ目を見開いたあと、薄く微笑んで髪を撫でてくれた。その手の優しさを、まるで昨日のことのように思い出す。
それなのに、ミカサ、どうしてわたしの味方をしてくれないの。
じゃり、と乾いた地面を踏む音がした。それがミカサでもアルミンでもなく、もうひとりの足音だと悟るのにそう時間はかからなかった。わたしはずっと三人と一緒にいたのだから。エレン、とミカサが囁く。その声にどくりと心臓が脈打ち、嫌な汗が首筋を伝う。ああ忘れていた、わたしのわがままを聞いてくれたのはいつもミカサとアルミンだったけれど、そのわがままを窘めるのはいつもこの人だったこと。


「ナマエ」


エレンの声が、わたしの名前をゆっくりと紡ぐ。
今日のエレンは、冷たいエレン。わたしの苦手なエレン。怒りとか悲しさとか、そんなものは感じられない。まるで無機質な感情のない声が心臓の奥深くへと突き刺さる。エレンはいつもそうだった、わたしが聞き分けのないことを言うと、決まってこんな冷たい声でわたしを呼ぶ。それはまるでわたしのことを責めているようで、こわくて。それなのに。


「ナマエ、いい加減にしろ」
「……なにが」
「相変わらず聞き分けの悪い奴だ」
「エレンには関係ない」


こんなときばっかり、幼馴染ぶらないでよ。口を開けばひどいことばかり、自分もエレンのことは言えないと気づきはしたものの、言葉を一つでも多く交わすことすら億劫でそれきり口を噤む。どうしてわたしばかり責められなくちゃならないの、わたしは三人のことが心配で、巨人となんか接触してほしくなくて言っているのに。
そう思ったらゆるりと視界が揺れた。決して泣くまいと唇を噛みしめると、アルミンが困り果てたようにわたしの手を握る。思わずそれを振り払ったら、ナマエと呆れたようにエレンの声が響いた。


「お前は何も分かってない」
「うるさい」
「アルミンもミカサも困ってるだろ」
「うるさいな、何なの三人揃って!そんなに行きたければわたしなんかに言わないで、勝手に行けばいいじゃない!」


うそ、ほんとは、行かないでほしいよ。
まだ幼かったとき、ミカサとアルミンと、そしてエレンと手を繋いで駆け回っていたときのことを思い出した。壁の外へ行きたいと、まるで宝石みたいな翠の瞳を輝かせたエレンを思い出した。壁の外へと行きたいのなら、訓練兵団じゃなくてもいいじゃない。調査兵団があの巨人をやっつけて、平和になってからでいいじゃない。そうしてわたしばかり仲間外れにして、置いてけぼりにして。
わたしの左手をアルミンが、そして右手をミカサがそっと握りしめた。それは慰めでもなく同情でもなく、別れの挨拶。それを実感した途端、今度こそ心臓を抉られたような痛みを覚え声を上げて泣き出してしまった。小さく震えていた二人の手は、温かくも何でもなくて、冬の寒さに体温を奪われた冷たい手。別れの挨拶にしては、余りにも酷な温度だった。じゃり、と再び砂を踏む音が響く。わたしの横を通り過ぎたエレンは、振り返ることすらせずただ前を向いて歩いていた。


それから三日後、三人は訓練兵団へと入るため開拓地を出て行った。さようならと告げたミカサとアルミンを抱きしめた朝、どうか命だけは失うことのないようにと鉛の空に祈った。力のないわたしには、それくらいしかできなかったから。離れた手を追いかけることはしなかった、その代わりに、一人残された寂しさとどうしようもない情けなさが心臓を痛みつけ、乾いた砂の上に座り込み雪が止むまで泣いた。雪の舞う、寒い日のこと。

季節は巡る。冬を越え乾いた地面には、少しだけれど小さな花が咲き始める。そうして三人のいない月日は、三年目を迎えようとしていた。








第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -