ここへ来て初めての雨は、生憎朝から降り出し止む気配がなかった。幸い、今日はオフのため宿舎で身体を休めていたのだが、昨日体調を悪くしたあいつの様子が気になり、高尾にも急かされいつもの商店へと渋々出向く。すると、案の定両手いっぱいに買い物袋を持ち、雨空を見上げながら途方に暮れる姿を見つけ、思わず頭が痛くなった。


「もう調子はいいのか」


傘へと落ちてくる雨粒が、さっきよりも少し強くなったような気がする。人通りも車通りも少ないこの道では、雨音が妙に大きく響く気がした。前髪を伝う雫を払うと、むっとした空気が傘の下へと吹き込んできて思わず顔をしかめた。どうにも、雨の日は天気だけでなく気分も沈む。心なしか重い肩に溜息をつくと、隣を歩く小さな姿が目に入った。一体何を買い込んできたのか知らないが、ぱんぱんに膨らんだ買い物袋を何度も持ちかえながら歩くそいつに声を掛けると、傘を傾け顔を覗かせたなまえが、どうしたの、そんなしかめっ面してと可笑しそうに笑った。


「うん、一晩休んだらもうばっちり。色々ありがとう、真ちゃん」
「全く、あんな炎天下の中で水分を取らない奴があるか」
「真ちゃんたちの練習見てたら、つい夢中になっちゃって」


そう言いながら傘を肩へと掛け、重たそうに買い物袋を右手に持ち替えたなまえが、照れ臭そうに目を細める。そんなことを言われた俺の方が照れ臭いのに、お前がそんな顔をしてどうするのだ。
凄いよね、真ちゃんのあのシュート。あんな遠い場所から打って入るなんて憧れちゃう。それに、すごく綺麗だったね。まるで子どものように俺を見上げるなまえに、少し口数を減らすよう言いつけるも、一人で楽しそうに喋るこいつは俺の話なんてまるで聞いてない。呆れて溜息をついたとき、珍しく聞こえてきた車のエンジン音にふと顔を上げる。


「珍しいものだな。ここに車が走るなんて」
「…真ちゃん、それ馬鹿にしすぎ。都会が車多すぎるの」
「っお前、何でそんな場所を歩いているのだ。こっちへ来い」


少し拗ねたような声で俺に返事をしたなまえを見ると、あろうことか歩道と車道を区切る白線の外側をふらふらと歩く姿が目に入った。一気に血の気が引いていくのが分かり何かを考える前にその腕を引っ張ると、え、と間抜けた声を出しながらバランスを崩したなまえが腕の中へと倒れこんでくる。その途端、なまえが歩いていた白線の外側を、車がクラクションを鳴らしながら通り過ぎた。
危なかった。本当に一瞬の出来事が、繰り返し脳裏で再生される。もし俺がこいつの腕を引いてなかったら、今頃は。「し、真ちゃん」俺の腕の中でおずおずと顔を上げたなまえを見て安心したと同時に、一気に怒りが沸き上がる。ごつ、とその額に拳を当てれば、なまえは大きく目を見開いて俺を見つめた。


「っお前は、もう少し危機感というものを持て」
「ご、ごめん。真ちゃん」
「少しは自分の身を顧みろ。お前に何かあったらどうするのだ」


真ちゃん。赤く充血した額を抑えながら、なまえはくしゃりと顔を歪めた。嬉しそうな、悲しそうな表情は、その意図を読み取る前に俯き見えなくなる。流れた沈黙に怒りを忘れ我へと返り、「なまえ、」と思わずその名を呼んだ。傷つけてしまっただろうか。そんなつもりではなかったけれど、俺の言い方が悪かったのか、それとも思わず手を上げてしまったのが駄目だったのか。いずれにしろ、黙り込んだまま俯いている姿に何か声を掛けなければと焦燥感に襲われた。けれど掛ける言葉すら見つからず、もどかしさを噛み締め掴んでいた腕を離す。そうして、謝罪の意を込めそっと頭を撫でてやると、ゆっくりと顔を上げたなまえは穏やかに笑い静かに俺の名を呼んだ。


「ありがとう、真ちゃん。あのね、わたし、」


……やっぱり、何でもない。
髪に触れた俺の手をそっと取ると、遠慮がちに握り、それからするりと解放した。相変わらずひやりとしたその掌が、あんなに小さなものだと初めて知る。なまえ、と不意に口をついて出た言葉に、なまえはにこりと笑い俺の髪に伝う雨粒を払った。
「帰ろう」。そう言って踵を返す小さな背中を、引き止めようと伸ばした手は宙を彷徨い、届くことはなかった。


・・・



「わ、雷」


その夜、夕食の片付けをしていたなまえが、ふと窓の外を見て呟いた。その声に俺も顔を上げると、一瞬の発光のあと地鳴りのような雷鳴が響いてくる。昼間とは打って変わったような豪雨が窓を叩きつけ、それを見たキャプテンが慌てて雨戸を閉めている姿が目に入った。
食堂にあるテレビから、今夜は天気が荒れるという何とも大雑把な解説が聞こえてくる。それをぼんやり観ていた高尾が「なまえちゃん、これ帰れるん?」と苦笑いを浮かべて言った。


「…う、ん。傘があれば何とか帰れる気がする!」
「傘かよ!それで帰れたらなまえちゃん猛者だろ!」
「高尾くんそれどういうこと」


この辺りの地域は、斜めに描かれた雨に雷がオマケされた天気マークだ。そもそも、こんな天気予報を見ずとも、荒れ放題であることは外を見れば一目瞭然であり、そして当分は収まらないだろうということも何となく予想がつく。なかなか雨戸が閉まらず、豪雨に打たれているキャプテンが助けを求めるような視線を送ってきたが、気付かないふりをした。
高尾とじゃれ合いながら時々心配そうに窓の外を見るなまえを黙って見ていると、俺にふと視線を送ってきた高尾が見兼ねたように溜息をつき「なぁ、なまえちゃん」とエプロンの裾を引っ張る。


「泊まってけばいいんじゃん?確か部屋空いてるとこあったし、どうせ雨止みそうにないし」
「え、でも」
「見てみろよ大坪さん。あんなびしょ濡れだぜ」


そう言って高尾が指差した雨戸の方を見てなまえは渇いた笑い声を出す。未だに雨戸と豪雨と戦っているキャプテンは、窓辺からなまえさん今帰ったら危ないぞーと情けなく声を張り上げた。あの雨戸、壊れているのではないだろうか。
ずぶ濡れになったキャプテンの姿と、テレビから聞こえてくる天気予報になまえはしばらく困ったように考え込んでいたが、鳴り止まないどころか段々と大きくなる雷の音に渋々諦めたのか大きく溜息をついた。


「大坪さん…、あの本当申し訳ないんですけど、布団だけでいいので貸していただけませんか…」
「おお、確か部屋が一つ空いてたからそこを使ってくれ。緑間、お前案内してこい」
「何で俺が、」


口答えすんな。雨に打たれ化け物みたいな形相をしながらキャプテンが言うものだから、ここで逆らえば何が起こるか分からないと高尾が目線で訴えてくる。終いに恨めしそうな様子で何かの呪文を唱え始めたキャプテンを尻目に、椅子から勢いよく立ち上がり若干の身の危険を感じながらなまえについてくるよう促し歩き出した。
廊下を並んで歩きながら、風に震える窓を見たなまえは再び小さい溜息をつく。その様子に隣を見下ろすと、「あの、真ちゃん」と何処か遠慮がちになまえは俺を呼んだ。


「…何だ。言いたいことがあるなら言え」
「あのですね。…あの、ジャージを、貸していただけない…でしょうか」
「……は、」


ご、ごめん!わたし、まさかこんなに天気悪くなると思わなくて!しかもここに泊まることになるなんて思いもしなくて、その、着替えとか…持ってきてないんです…。
段々蚊の鳴くような声になるなまえに、一瞬言われた意味が分からず呆然とした。…確かに、ここまで雨が酷くなるのは想定外だった。ここに泊まることだって、当初の予定ではなかったことも分かる。しかし、だからと言ってジャージを貸すのは、さすがに…、いや、しかし……。


「……今回だけなのだよ」
「あ、ありがとう真ちゃん…!本当ごめん!」
「いいから早く歩け。のろい」
「ちょ、ちょっと待っ…うわっ雨吹き込んできてる!窓閉まってないよここ!うわー!」




十日目 | 雨足の早まる道にて。







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