「何だこのお汁粉は。全く甘さがないのだよ」
「え!わたし結構お砂糖入れたよ?それなのに?」
「お前は馬鹿か。もう少し上手く作れるようになって出直せ」


どうしてそんな甘党なのに太らないのかなぁ真ちゃん。 何か言ったか。 いっ、いいいえ何も言ってないです!
食事のあと、いつものように綺麗に平らげられた皿を女が片付けている途中、ふと何かを思い出したように俺を仰ぎ呼び止めた。服の裾を軽く引っ張ってきたため、何事かと振り返ると、女はコンロの上の鍋を指差しながら「お汁粉」と笑った。いつの間に作っていたのかと少し感心しながら食べたのはいいが、どうにも甘さが足りず、いつものお汁粉には到底及ばない。それを指摘すると、女は眉間を寄せて難しい顔を見せた。
空になった器を俺の目の前から取り、それを洗うため流しへと立つ女の姿を、隣でぼんやり見ていた高尾が、「なんかさぁ」と頬杖をつく。その声にスポンジを泡立てていた手を止め、女がこちらを振り返った。


「真ちゃん、なまえちゃんにすげー甘えてんね」
「そうなの?」
「そ!、んな訳あるか!お前はいい加減余計なことを言うのをやめるのだよ高尾!」


また適当なことを抜かし始めた高尾に詰め寄ろうとすると、奴はニヤニヤと笑いながらそれをかわし、流しに立つ女の元へと避難する。エプロンで濡れた手を拭きながら女は俺たちを交互に見ると、可笑しそうに小さく笑った。何が可笑しいのだよ。
俺をからかいながら逃げ回る高尾から離れ、シンクの水気を拭き取り忘れ物はないかと見渡した女は納得したように頷く。エプロンの紐を解き、まとわりついている高尾に笑いかけたあと、俺の立っている場所まで歩み寄ってきて「片付け、終わりました」と言って目を細めた。


「じゃあ後片付け終わったし、わたしそろそろ帰るね」
「あ、ストップなまえちゃん!昨日買ったやつやろーぜ!」


エプロンを外し帰り支度を始める女を突然引き留め、高尾は踵を返すと全力疾走で自室へと飛んでいく。そしてバタバタと大きな音を立てながら食堂へ戻ってきたと思ったら、昨日見た覚えのある白いビニール袋から大量の花火を取り出してきた。お前、いつの間にそんなものを買っていたのだ。
わたしもやっていいの?と目を丸くする女に、高尾は当たり前だろー!とその手を引っ張る。そしてよろめく女を食堂から連れ出すと、「みんなー!花火大会やるっすよー!」と大声で叫び出した。その声を聞きつけた先輩たちや同期の奴らが高尾たちの元へ集まり始め、がやがやと玄関先が騒がしくなり始める。


「おら緑間!お前も行くぞ!」
「…キャプテン、俺は遠慮しときま、」
「つべこべ言わずに早く立て!」


ばし、と背中を全力で叩かれ、じんじんと響く痛みに軽く眩暈を覚えながらキャプテンの豪腕に引きずられる。叩かれた衝撃で出そうになった胃の中身を何とか堪え、蒸し暑い玄関先へと出た。目の前に広がる夜の海に、部員たちの姿がちらほらと見える。その中の一際小さい姿がふと視界に入り、あの女だとすぐに悟った。全く、花火なんて子供染みたことをよくやるものだ。痛む背中に無言で立ち尽くしていると、先に門を潜ったキャプテンの怒号に急かされる。溜息をついて渋々歩き始めると、砂浜から歓声が上がり夜空に打ち上げ花火が上がった。小さくも輝いた光に、こんな景色を見たのも一体いつぶりだっただろうと、懐かしさに不意に頬が緩む。…まあ、たまには、悪くないか。多少の気怠さはあるも、ちかちかと瞬く花火の光を見ながら砂浜へと足を踏み入れた。


・・・



「真ちゃん、」


砂浜へと繋がる石段に腰掛け、波打ち際ではしゃいでいる奴らを一人眺めていると、さくりと砂を踏む音がして目の前に女が来た。手に二本の線香花火を持ち、得意げに笑いながら片方を俺へと差し出す。それを条件反射で受け取ると、満足そうに目を細めて女は俺の隣に腰を下ろした。そうしてポケットからマッチの箱を取り出すと、「真ちゃんもみんなのところに行けばいいのに」と静かに言いながら火を点ける。


「馬鹿を言うな。行ったら何をされるか分からん」
「えー楽しいのに。はい、真ちゃんも火。熱いから気をつけてね」
「……子ども扱いをするな」


そんなんじゃないよ。くすくすと笑ったその横顔を、淡い花火の光が照らす。小さな火種を落とさぬようにと、掌で覆いながら見つめる姿に、何だか心根が穏やかになった。ふと自分の手元に視線を落とすと、パチパチと音を立てて弾ける火花が砂へと落ちていく。膝に顔を乗せそれを見ていた女が、ふと俺を見上げ「ねぇ、真ちゃん」と独り言のように呟いた。


「お汁粉、うまく作れなくてごめんね」
「…なんだ、突然」
「何となく」


何となく、そう思っただけ。
再び独り言のように呟き、手元の花火を静かに見つめる女を振り返る。その拍子で、音もなく地面へと落ちた線香花火を、女は少し驚いたような顔で見下ろした。相変わらずこいつは馬鹿で、俺の花火を見たときに手を動かしたものだから、自分の火種までもが砂へと落ちていく。馬鹿か、そう言って落ちた花火を指差すと、女はそこで初めて気づいたように残念そうな表情を浮かべた。


「これから練習して上手くなればいい話だ。謝る必要などないのだよ」
「…真ちゃん、」
「その呼び方はやめろ」


街灯もほとんどない海で、ぼんやりと浮かぶ月灯りだけが頼りだった。お互いの顔もあまり見えていないのに、隣に座る女がふと微笑んだのが分かる。貸して、ぽつりと呟き俺の手から火種の落ちた花火を受け取ると、「真ちゃん。ありがとう」と照れたような声音が小さく響いてきた。相変わらずこいつが何にでも礼を言う意味が分からなかったが、悪い気はしなかった。あのくすぐったいような、不思議な感覚が再び沸き上がり、その行き所が見つからずに思わず空を仰ぐ。

淡く光る月と、都会では滅多に見られないような星。無駄な光のないこの場所で、素直に空が綺麗だと感じた。少し湿り気のある海風や、人気のない静けさ。ここへ来たときには煩わしく感じていたそれらも、いつの間にか生活の一部となっていて。


「いい場所だよな、ここ」


そんなことを考えていると、ふと高尾の言葉を思い出した。あいつも昨日、同じことを考えていたのか。空から目を下ろすと、花火を片手に掲げ女の名前を呼びながら駆け寄ってくる高尾の姿が映った。
あいつが俺よりも先にそのことに気付いていたのは癪だが、たまには良いことも言うのだな、高尾も。
隣にいた女の手を引き立ち上がらせ、そのまま波打ち際で騒いでいる連中の元へと無理矢理連れて行くのを黙って見送る。途中、女が振り返り小さく手を振ってきたのが分かった。俺がそれに返す訳がないのに、本当にあいつは逐一馬鹿だ。未だ残る火薬の仄かな臭いを感じながら、体格のいい男衆の中で一際小さな姿を目で追う。ありがとう、小さくそう呟いた声が脳裏に蘇り、膝へと腕を載せ頬杖をついた。
上手いお汁粉が食べられるのも、そう遠くない話かもしれない。ぼんやりとそんなことを思い、頬を撫でる風にそっと目を閉じた。




七日目 | 星光る夜の海にて。







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テーマ「人外ファンタジー」
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